風土と音楽/龍崎翔子のクリップボード Vol.64

龍崎翔子<連載コラム>HOTEL SHE, 、香林居、HOTEL CAFUNEなど複数のホテルを運営するホテルプロデューサー龍崎翔子がホテルの構想へ着地するまでを公開!

風土と音楽/龍崎翔子のクリップボード Vol.64

初めて“東京”に行った時のことを覚えている。

大学入試の前の日に、下見と称してホテルからキャンパスまで京王井の頭線で行ったのだった。駅を出て、駒場キャンパスの正門から校舎をしばらくしげしげと眺めて時間を潰したあと、渋谷まで近いから歩いて行こうと母とふたり、線路沿いをぶらぶらと散歩した。

どことなく落ち着かない、間延びした夕暮れだった。今まで3年間机に齧り付いて一分一秒を惜しんで勉強していたのに、本番を前にして、これから試験が始まるまでの時間を有効活用する方法はおそらく勉強することではないのだろう、という直感だけがあった。明日には人生が決まる大一番の勝負があるのに、これ以上はどうすることもできないというジレンマ。オレンジ色に染まり始めた、初めての知らない街を、ふわふわした気持ちで歩き続けていた。

歩くにつれ次第に人影が増え、行き交う人々を眺めながら、道玄坂を下ってスクランブル交差点に差し掛かった瞬間のことである。突如開けた視界に飛び込んでくる、これまで見たことがない密度でうごめく人混みと、群衆のざわめき、雑踏、車の走行音、クラクション、信号のピヨピヨ音にカラスの鳴き声、工事の音、センター街のBGMにアドトラックのスピーカーから流れる音楽。これまでの人生で一度に処理したことがない量の情報が洪水のように感覚器官に流れ込んできて、視覚と聴覚をジャックした。あまりの騒音に圧倒されて、TSUTAYAの前に立ち尽くしながら「うるせ〜!」と叫ぶ自分の声すらかき消されるほど、渋谷は雑音で溢れかえっていた。キャパオーバーな情報量にもみくちゃにされながら、どこはかとなく、これが東京か、と悟った。今改めて振り返っても、この時以上に“東京”を感じた瞬間は後にも先にもなかったかもしれない。

その土地にしかない音がある、ということに気がついたのは、それからもう少しあと、会社の仲間が佐世保に立ち上げたホテルに泊まった時のことだった。

佐世保は古来より軍港の街で、今でも海上自衛隊が駐屯していたり、アメリカ軍が「ベース」と呼ばれる基地を構えているのだが、意外にも他のエリアのように米軍関係者と現地住民との軋轢はあまりなく、自由に街中を出歩いて飲んだり遊んだりできるので、佐世保配属になった米兵は大喜びするのだ、と案内してくれた人が誇らしげに教えてくれた。へえ、と思いながら商店街を歩いていくと、確かに、ミリタリールックに身を包んだ、手足の長い隆々とした体躯の男性たちが、意気揚々とそこらじゅうを闊歩していた。

日付が変わるまでしこたま酒を飲み、ホテルのベッドに倒れ込んだ翌朝、突然爆音で流れ出した耳慣れない音楽で目を覚ました。なんだなんだと戸惑いながら、どうにか止めねばと眠い目を擦りながら音の出どころを探すと、どうやら外からしているようだと突き止めた。思わず客室の窓を開けると、佐世保の潮風と共に、海の向こうから音割れした『星条旗』がブワッと部屋中に流れ込んできた。

龍崎翔子のクリップボード Vol.64

via vimeo.com

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しばらく呆然としながらご機嫌なアメリカ国歌が街中に鳴り響くのを聴き終えて、残響に浸りつつ、これが佐世保なのか、と静かに悟った。

普通に考えて、街中でよその国の国歌が流れることなどあり得ない。でも、佐世保ではそれが数十年間、いつもと変わらない平凡な朝の光景として続いている。この衝撃と興奮を街の人に伝えても「当たり前の光景すぎて、全く違和感を持っていませんでした…」と返される。日本とアメリカ、2つの国の軍事基地が所在する街であることを、そこに暮らす人々が受け入れ、生活の風景として溶け込んでしまっているのである。

街で聞こえる音は、その街の寛容さそのものなのだと思う。人々が集住をする中で、子供の遊ぶ声がうるさいとか、犬猫の鳴き声がうるさいとか、楽器の練習の音がうるさいとか、うるさいものには事欠かなくて、あらゆる雑音は次第に排除されていく。ある意味、それはすごく自然な流れのようにも思える。

でも、京都の街角で大声で念仏を唱えながら歩く修行僧を見かけた時。新宿でホストクラブのアドトラックが爆音を振り撒きながら走り抜けて行った時。奈良の小さな宿で、興福寺の夕方の鐘の音がゴーンと鳴り響いた時。金沢の花街で芸妓さんの叩く鼓のポン!という響きがゼロ距離で外に漏れ聞こえる時。その街で、その音が聞こえる理由に思いを馳せる時、街中に流れる音こそがその街の寛容さを、そして精神性を表象するものであり、最高に贅沢なローカリティなのだとしみじみするのである。

龍崎翔子

龍崎翔子/SUISEI, inc.(旧:株L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.)代表、CHILLNN, Inc.代表、ホテルプロデューサー
1996年生まれ。2015年にL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を設立後、2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業。
2020年にはホテル予約システムのための新会社CHILLNN, Inc.、観光事業者や自治体のためのコンサルティングファーム「水星」を本格始動。
また、2020年9月に一般社団法人Intellectual Inovationsと共同で、次世代観光人材育成のためのtourism academy “SOMEWHERE”を設立し、オンライン講義を開始。2021年に「香林居」、2022年に「HOTEL CAFUNE」開業。

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