16歳で両足を失った葦原海さん、車椅子モデルとしてパリコレ出演する理由。

モデルとしてミラノとパリへ

コロナが落ち着いた頃には「インフルエンサー」と呼ばれるようになっていた葦原さんは、自らの手で仕事の幅を広げていきました。

2021年、ミラノ・ファッションウィークのオープニングムービー出演のためのオーディションが開かれると聞き、応募。審査員の評価とウェブ投票で、合格者が決まります。そのウェブ投票の締切2日前、オーディションの関係者から、「審査員の中ではめちゃくちゃ評価が良かったんですけれど、ウェブ投票の数があまりにも少ないから告知を頑張ってください」と連絡がありました。

その日の夜、ティックトックライブを開催。なぜオーディションに参加したか、受かったら何を伝えたいかを約4時間にわたって訴えました。すると一気に数百票が投じられ、オーディションに合格。当時はまだ海外渡航が難しい時期で、日本国内での撮影となったものの、オープニングムービーに参加することができました。

後日、この時のティックトックライブを見ていたというエージェントから連絡が来ます。もともと葦原さんをフォローしていたそうで、ライブを見て「デザイナーに紹介したら面白いかも」と思ったと言いました。これが縁となり、2022年秋のミラノ・ファッションウィーク、2023年春のパリ・ファッションウィークで日本人ファッションデザイナー、けみ芥見さんのショーモデルに抜擢されます。


2023年春 パリ・ファッションウィークのランウェイ

日本と文化も大きく異なるイタリアやフランスでは戸惑うことも多かったそうですが、葦原さんはその違いを楽しみ、「もっと違うところに行ってみたい」と思うようになりました。

また、2023年の『MISIA25周年アリーナライブツアー』では、全国8都市、18公演で車椅子パフォーマーとしてバックダンサーを担当。そして、同年5月にはこれまでの活動をまとめた書籍『私はないものを数えない。』を発売しています。

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「今やっていることを続けることが大事」

20歳で独立し、26歳の今、モデル、パフォーマー、インフルエンサーとして注目を集める葦原さん。これからどういう活動をしていきたいですか?という質問に返ってきたのは、意外な答えでした。

「私はよく車椅子モデルって言われます。それはキャッチーだからだと理解しているんですけれど、自分からは車椅子モデルとは言いません。あえて車椅子ってつける必要なくない?と思っていて。今、そう言われるのは珍しいから。でも、当たり前になったらわざわざその言葉を使いませんよね」

たとえば、ニューヨークのファッションウィークに出たいとか、CMに出たいとか、もっと売れるようになりたいという答えではなく、葦原さんは「社会を変えたい」という話をしていました。

「多様性っていう言葉も、そう。すでに多様性があったら多様性って言葉を使わないと思うんですよ。だから、車椅子モデルとか多様性という言葉を使わなくていい社会にすることが目標です。それを実現するために、何か一つ大きなことをするというよりは、今やっていることを続けることが大事だなと思っています。無意識に馴染んでいくことが大切だと思っているので」

インタビューの最後に、目指す社会が100%だとしたら、今は何%ですか?と尋ねると、葦原さんは「20~30%ぐらいじゃないですかね」と苦笑しました。多様性と言わない社会は、まだ遥か彼方。それでも葦原さんは、軽やかに走り続けます。

(文:川内イオ)