喘鳴症(ぜんめいしょう)。俗に「喉鳴り(のどなり)」と呼ばれるこの病気は、喉の器官の麻痺によって気道が狭くなり「ひゅーひゅー」と音を立てることから、そう呼ばれるようになった。競走馬にしばしば見られる疾患だが、これに罹った馬は疾走中に十分な酸素を取り入れられないために能力を十分に発揮できなくなる。近年だけみても、この病によってハーツクライ、ゴールドアリュールなどが競走生命を絶たれている。
もちろん手術による治療は可能なのだが、施術したからといって術前と同等の走行能力を取り戻せる馬はごくごく一部しかいない。その狭き扉をこじ開けて、5つものGⅠ制覇を積み上げた奇跡の名馬がダイワメジャーである。
ダイワメジャーは社台グループを象徴するような良血馬だった。父は社台グループが輸入して日本の種牡馬史を書き換えるほどの革命を起こしたサンデーサイレンス。母は、社台ファームの中興の祖であるノーザンテーストを父に持つスカーレットブーケ。彼女は現役時代に中山牝馬ステークスなど4つのGⅢを制した名牝で、ダイワメジャーの全兄姉には新潟3歳ステークス(GⅢ)を勝ったダイワルージュ、オープン特別など5勝を挙げたスリリングサンデーを出しており、血統的評価はかなり高かった。
大城敬三オーナーに購買されたダイワメジャーは、社台ファーム、山元トレーニングセンターで調教を積まれたのち、美浦トレーニング・センターの上原博之厩舎へ入厩。馬体は500㎏をゆうに超える巨躯はスケールの大きさを感じさせ、疾駆する姿も迫力満点だったが、一方で母系からの遺伝だと思われる気性の難しさも併せ持っていたため、我儘な行動でスタッフを困らせることもしばしばあったという。
2003年12月28日、有馬記念当日の中山競馬場でダイワメジャーはデビューの日を迎える(芝1600m)。ここで彼は後世に伝えられるほどのやんちゃぶりを披露する。装鞍所からJRAの職員から出走取消を打診されるほどの暴れっぷりを見せると、パドックではいきなり地面に腹ばいになるという奇行をとったのだ。
そうした気ままさは馬場入場の際にも発揮され、何度も腰を落として座ろうとしたため、返し馬ができないままでスタート。予想通りに出遅れたが、向正面から走る気を出して猛然と追い上げ、勝ち馬とはクビ差の2着まで追い上げたのだから、本馬の能力が非凡なものであることは誰の目にも明らかだった。
2戦目は翌年1月17日、中山の未勝利戦(ダート1800m)。初戦で醜態を晒したことについて厩舎が立てた対策は装鞍所から調教助手に跨らせるという案で、パドックへ移動しても鞍上に乗せたままで周回を重ねた。この対策は功を奏したが、初戦のわがままぶりを知っていた一部のファンからは失笑が漏れていたという。
しかしその失笑は、レースでは驚嘆の声に変わる。返し馬もまともに済ませられたダイワメジャーは道中2番手を進み、第3コーナーから先頭を奪うと、直線では後続に9馬身(1秒5)もの差を付けて圧勝。自らポテンシャルの高さを証明して見せた。
3戦目の1勝クラス平場戦(ダート1800m)は4着に取りこぼしたが、続くスプリングステークス(GⅡ、中山・芝1800m)で3着に粘り込んで皐月賞(GⅠ)への優先出走権を獲得。ギリギリでクラシック路線へ乗ることができた。
そして迎えた本番の皐月賞。地方競馬に所属したままクラシック制覇を狙うコスモバルクが大きな注目を集めるなか、勝ち鞍がダート戦ひとつというダイワメジャーは単勝10番人気(オッズ32.2倍)に過ぎなかったが、鞍上に短期免許で来日中のミルコ・デムーロを迎えた彼は目を見張るレースを披露する。
逃げるメイショウボーラーの2番手を進んだ彼は直線へ向くと先頭に躍り出て後続を一気に突き放し、中団から追い込んできたコスモバルクに11/4馬身差を付けて押し切ったのである。走破タイムの1分58秒6はコースレコードに0秒1差に迫る好時計だった。
栄冠に沸きたつ陣営だったが、一方で気になる異変を感じ取っていた。ダイワメジャーはこの頃から、疾駆する際に喉からヒューヒューという音が出る「喉鳴り」の症状が出始めていたのだ。 次走の日本ダービー(GⅠ)は距離適性の問題もあって6着に終わったが、夏の休養をはさんで出走したオールカマー(GⅡ)、秋の天皇賞(GⅠ)は2戦続けて最下位に惨敗。その後、北海道・苫小牧市にある社台ホースクリニックで診察すると、正常なときと比べて60~70%しか空気が取り込めていない」との診察を受け、オーナーの大城、調教師の上原、生産者であり、育成・調教も担当する社台ファームの代表、吉田照哉の3者で協議。その結果、治るかどうか、従前の能力を発揮できるまでに戻るのかどうかは分からないが、チャレンジはしてみようと意見がまとまり、11月に喘鳴症の手術が行なわれた。
手術の効果はてき面に表れた。復帰戦となった2005年4月のダービー卿チャレンジトロフィー(GⅢ)を先行・抜け出しの正攻法で快勝。その後、勝利こそ得られなかったものの、関屋記念(GⅢ)とマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を2着とし、トップレベルの戦いでも好勝負できるだけの能力を取り戻したことをアピールした。
5歳となった2006年。安藤勝己とコンビを組んだこの年の秋シーズンはダイワメジャーの競走生活を通じて白眉だった。毎日王冠(GⅡ)で桜花賞馬ダンスインザムードを下して勝利を挙げると、続く天皇賞(秋)も2番手から力強く抜け出して快勝。そして前年は2着だったマイルチャンピオンシップでもダンスインザムードを退けて優勝。マイルから中距離までのカテゴリーを制覇し、この年のJRA賞において最優秀短距離馬に選出された。卓抜したスピード能力とその持続性において、比肩するものがない優秀さを示した秋シーズン。ディープインパクトさえいなければ、年度代表馬に選ばれても不思議ではないほどの充実を示した。
2007年には初の海外遠征としてドバイへ渡航し、ドバイデューティフリー(G1)でアドマイヤムーンの3着に好走した。そして帰国して未制覇のマイルGⅠ安田記念に参戦すると、4番手を追走から逃げたコンゴウリキシオーをクビ差捉えて優勝。そして秋には道悪が堪えてか天皇賞の連覇を逃したが、続くマイルチャンピオンシップは先行・差し切りという得意のスタイルで連覇を達成。年末の有馬記念(GⅠ)を2年連続3着としてラストランを締め括った。春秋のマイルGⅠを制覇した彼には2年連続でJRA賞最優秀スプリンターの称号が贈られた。
総額18億円という高価なシンジケートが組まれ、翌08年から社台スタリオンステーションで種牡馬入りしたダイワメジャーは初年度から220頭を超える繁殖牝馬を集める大人気を博すと、その期待に応えて次々とGⅠウィナーを輩出。以下のように芝のスプリントからマイルに強い産駒を送り出したほか、ダートのJpnⅠ勝ち馬も多数生まれた。また、フランスのロワイヤルオーク賞(G1)を2度制したダブルメジャー(Double Major)もおり、海をも超える活躍を果たした。
・カレンブラックヒル(NHKマイルカップ)
・コパノリチャード(高松宮記念)
・メジャーエンブレム(NHKマイルカップ、阪神ジュベナイルフィリーズ)
・レーヌミノル(桜花賞)
・レシステンシア(阪神ジュベナイルフィリーズ)
・アドマイヤマーズ(香港マイル、NHKマイルカップ。朝日杯フューチュリティステークス)
・セリフォス(マイルチャンピオンシップ)
・アスコリピチェーノ(ヴィクトリアマイル、阪神ジュベナイルフィリーズ)
2023年にJRA史上12頭目となる産駒の通算勝利数1200に到達したダイワメジャーはこの年いっぱいで種牡馬から引退。以後は功労馬として余生を過ごし(2024年に産駒のJRA通算1300勝を達成)、26年1月20日に社台スタリオンステーションにおいて老衰で死んだ。25歳だった。
死後、現役時代に主戦を務めた安藤勝己がX(旧ツイッター)で「自然と位置を取れて仕掛けるまで動かない。そして、追えば追うだけ伸びてくれる。安心して乗れる頼もしくて大好きなパートナーやった」と絶賛されたダイワメジャー。気性難という難事と折り合いを付け、喘鳴症という宿痾(しゅくあ)を乗り越えて頂点へと上り詰めた奇跡の名馬だった。
文●三好達彦
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