アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、スキー・ジャンプのオリンピック金メダリストであり現在も競技者として活動を続ける船木和喜さん。第一線で活躍した経緯、その土台となる食への意識、今後への思いなどを聞いた。
――スキージャンプを始めたきっかけを教えてください。
僕は北海道余市町の出身なんですけども、同じ余市出身の笠谷幸生さんという札幌オリンピックの金メダリストの方がいらっしゃいました。笠谷さんの功績のおかげで少年団ができて、整備されたジャンプ台が身近にあったのがきっかけです。
――最初に飛んだのはいつだったのでしょうか。
小学校1年生のときからアルペン競技をやっていて、5年生のときに初めてジャンプを飛びました。最初から怖さはなくて、むしろアルペン競技の方が恐怖心が強かったので、すんなりジャンプを始められましたね。
――そこからジャンプに打ち込み始めたんですね。中学時代から日本一になるなど活躍されましたが、ジャンプの選手として本格的に取り組んでいきたいと思ったのはいつからだったのでしょうか?
高校2年生のときですね。企業から卒業後に所属しないかと声をかけていただいて、ジャンプで給料がもらえて生活ができると考えたときに決断しました。
――社会人になって1年目の1994-1995シーズンから世界選手権に出場するなど日本代表で活躍されるようになりました。オリンピックを意識するようになったのはいつ頃だったのでしょうか。
1994年のリレハンメル大会のときはそこまでオリンピックに関心はなかったですね。世界を転戦していく中で、98年は長野での開催ということもあり、照準がそこに向かっていったように思います。
――そして1998年、長野オリンピックを迎えます。ノーマルヒルで銀、ラージヒルと団体戦で金メダルと圧倒的な強さを見せました。今も多くの人の記憶に残っています。
そうだとありがたいんですけど(笑)。
――あれからもう30年近くが経ちますけれども、今でも記憶として強く残っているのはどんなことでしょうか。
だいぶ時間が経ちましたので曖昧な記憶になりましたが、当時の宿で食べていた毎日の食事ですね。オリンピックに入る10日ぐらい前から食事の時間を試合に合わせて摂っていて、宿の方がいろいろ工夫をしてくれておいしいものを食べられていた。そうしたサポートのおかげでストレスなく試合に臨めたんじゃないかと思います。
――ストレスというのは、どういうものだったんでしょうか。
オリンピックに限ったことではなく、試合になれば期待とかプレッシャーがかかってくるのは当たり前ことだと考えています。でも、それを重圧として感じてしまうときはどうしてもあって、ストレスがたまると頭がパンパンになってしまうので食事でリラックスできたことはすごく助かりました。
――思い出に残っているメニューはありますか?
スープ系ですね。これだけはお願いして作ってもらっていました。
――食事がストレス軽減に大きかったというお話ですが、日本のエースとして期待される中、3種目全てであれだけのパフォーマンスを発揮できた要因は何だったのでしょうか。
五輪に焦点を絞らずにシーズンを通して試合に出ていたからだと思います。長野と同じ冬のシーズンだけでワールドカップが36試合くらいあって、その中の一つがオリンピックという感覚でした。特別な試合だと思わなかったことが一番かもしれないです。
しかも当時の日本代表チームは力のある選手が15人くらいいました。そのうちワールドカップに出られるのは8名です。ちょっと調子が悪くなると代わりの選手がたくさんいるわけですから、全試合、全力でやらないといけなかった。オリンピックになると試合に出れるのは4名になりますが、毎試合そうやって取り組んでいたことでオリンピックも特別に意識せずに臨めたのかなと思います。対戦する海外の強いチームも年間を通してメンバーが大きく変わることはなかったですね。
――長野のあと、所属していた企業を辞めて会社を立ち上げました。当時大きな話題になりました。
はい。長野オリンピックの翌年に所属していた企業を辞めて、会社を立ち上げて競技活動を続けました。理由は海外の選手がみんなプロでやっていたからです。当時の日本ではプロというあり方は認められていませんでした。そうした環境のなかで、実質プロという生き方に挑戦してみたいと思ったんです。
いま考えると企業所属という安定した環境を捨てて馬鹿なことをするなと思いますけど、自分で会社を立ち上げたからこそ、今でもジャンプを飛べていると思うんです。アスリートとして企業にいる以上はいつか肩を叩かれたり、競技を辞める選択をしないといけない時期が必ず来ると思うので。
――2002年のソルトレイクシティオリンピックに出場されて以降、オリンピックという舞台には届かない状況が続きました。そのなかでも選手としてジャンプを続けて、現在も大会に出場されています。その原動力は何でしょうか。
今もスポンサーとして支えてくださる会社があります。結果が出ていない僕を支援してくれるってすごいことだと思うんですね。そうした思いに応えようというのが競技を続ける理由の大きな支えになっていますね。もしもスポンサーさんがいなくなったとしても、そのときはアマチュアとしてできるだけジャンプをやりたいなっていう気持ちはあります。
――改めて現在の活動の状況を教えていただけますでしょうか。
札幌を中心に試合に出ています。年間で10試合まではいかないくらいですね。
――50歳になっても試合に出て飛べること自体が驚きですが、例えば体作りやコンディションはどう意識しているのでしょうか。
できるだけ体を動かそうという気持ちで、仕事の合い間には必ず歩く、走る、を意識しています。あとは階段を使うことですね。札幌の自宅には家の中で練習が全部完結できるぐらい道具をそろえいるので筋トレなり、それなりのことはやってます。
――食事も重要だと思いますが、どのようなことを心がけてきたのでしょうか。
食事の内容は10歳ごとに大分変わってきた印象ですね。食べる量だったり、体の代謝量が変わってきたので、それに合わせて練習量を考えたりしなくてはいけないと感じます。一人のときはコンビニで済ませてしまったり、外食が続くことがありますが、札幌にいるときは奥さんが全部考えてコントロールしてくれるのでとても助かっています。完全に手の上で転がされていますね。(笑)
――日本代表としては海外遠征が多かった頃はどうしていましたか?
僕の時代は海外で日本食やアジアの食品を買えるスーパーなどはなくて、見たことのないの料理や食材がけっこうありました。好き嫌いがあまりないので現地のものをなるべく食べるようにしながら、量はコントロールして体重の上限を守ることを意識して管理していました。好き嫌いがないおかげで、ビュッフェのときはいろいろな料理を偏りなく食べられたので自然と体調管理にもなっていたのかもしれないです。
--食材としてのきのこの印象を教えてください。きのこはお好きでしょうか?
北海道には「落葉きのこ」というのがあります。北海道だけの言い方かもしれませんが、秋に採れるものでよく食べていましたね。天ぷらが好きで、例えばマイタケだったり天ぷらにすると美味しいきのこってたくさんあるなと思いますね。シチューも好きな子どもだったので、シチューの具材で食べていた印象もありました。今もきのこは好きで、家ではスパゲティの食材として使ったりしています。
--きのこは栄養面が高く低カロリーです。腸内環境の改善の働きもありますが、これまでに栄養について学ぶ機会はありましたか?
いや、きのこは本当に好きで食べているというところですね。
一時期は食事のメニューをトレーナーや栄養士の方にお願いしていましたが、全日本の遠征になると、すでに考えられたメニューを用意して頂けていたので自分自身で勉強したり、意識をしたことがなくて知識はあまりないのが正直なところです――会社の事業内容についても改めて教えていただけますでしょうか。
いろいろな業種を入れているんですけども、ジャンプの収入もありますし、エネルギー関連の事業、食品関係、あとは教育関連ですね。北海道ハイテクノロジー専門学校というところの副校長をやらせていただいています。
――食品事業では百貨店などに出店して販売されている姿を見たことがあります。
はい、やっています。食品を始めた理由が子どもたちの支援なんですよ。いま頑張っている子どもたちを元気づけて、もっとジャンプを頑張ってもらおうということで道具の支援や少年団の支援をしています。
――そうした取り組みを始めた理由、思いはどんなところだったんでしょうか。
ジャンプの道具って普通に販売されてるものではないので、結構お金がかかるんです。なので1年でも長くジャンプをやってくれるように道具の支援しようというところから始めました。北海道の場合、小学生でジャンプをやっている子どもたちはある程度いますが、中学生になるタイミングで一気に減ってしまう。成長期を迎えて、スキー板やスーツのサイズを頻繁に変える必要がある競技なので経済的な負担が大きいのだと思います。だからこそ道具の支援をすることでジャンプをやっている小学生が中学生になっても続けてくれるきっかけになればと取り組んでいます。
――競技の未来にとって厳しい状況があるのですね。
今は小林陵有くんだったり、女子は丸山希さんや高梨沙羅さんだったり、いろいろな選手が頑張っている姿に憧れて競技を始めてくれる小学生が多いんですよ。ただ、その小学生が中学生までやってくれるという保証はないですし、考えると怖いところです。
選手たちも自分たちが頑張ることで競技人口を増やしたいと思いながら飛んでいるので、相当プレッシャーを持ってやっているのではないかなと思います。
――ミラノ・コルティナオリンピックが始まります。選手にメッセージをおくるとしたらどのような言葉になるでしょうか。 ※編集部注:26年1月に取材
自分もまだ飛んでますので、出場する選手たちのレベルの高さはわかります。技術的な部分で一番安定しているチームは日本だと思うんですよ。自信を持って飛べれば結果は必ずついてくるはずなので、そうなってほしいなと思いますね。
――ジャンプを頑張っている子どもたち、ジュニアの選手に競技に向けて取り組むアドバイス、ジャンプの魅力をお願いします。
僕もジャンプを続けていて、なかなか結果が出てない、楽しくないなと感じることはあります。それでもジャンプするときは楽しい顔をしながら飛んでいると思うので、そうした姿を見てもらって、ジャンプって楽しそうだからやってみたいなと感じてもらえたら嬉しいです。僕は言葉にして伝えるのが苦手なタイプなので、言葉で教えるよりもオリンピックに出場する選手たちの活躍を見ることで感じることがあると思うので、競技が盛り上げられるような手伝いができればと考えています。
――最後に選手として、経営者としてこれからの目標を押してください
選手としては今よりも距離を延ばして結果を出したいです。
会社としては、長野が終わって当時では異例だったプロ第一号の道を選びました。だからこそジャンプを続けながら、会社も潰すわけにはいかない。ジャンプを続けていることで色々な人、企業さんとの繋がりが生まれて仕事にも繋がっています。今の形を守り続けることが目標だと思っています。昔から一生懸命やることは得意なので、これからも一生懸命にやるだけですね。
船木 和喜(ふなき かずよし)
1975年4月27日生まれ、北海道余市町出身
小学5年生のときにスキー・ジャンプを始める。1998年長野、2002年ソルトレイクシティと2度オリンピックに出場、長野ではラージヒル、団体で金メダル、ノーマルヒルで銀メダルを獲得。1999年世界選手権ノーマルヒルで金メダル。1999年に会社を設立、今日も幅広く事業を展開しながらジャンプに打ち込む子どもたちなどへの支援を行っている。また競技選手として現在も活動している。

