ヤクザ社会の喧騒をよそに、後藤元組長は自身の信念を貫いていた。それがよく表れているのが、前述の出家であろう。
09年4月8日、釈迦が誕生したとされる日に、後藤元組長は400年以上の歴史を持つ寺院で得度式を行った。法名「忠叡」を授かり、仏門へと入ったのだ。
「その寺院は、後藤元組長の盟友である民族派の故・野村秋介氏の菩提寺でした。野村氏の没後15年というタイミングであったので、寺院の住職も『昨日、今日に決まった話ではなく、人生の一大事として後藤元組長が以前から決めていたこと』と話しており、まさに自身の信念に沿った行動だったのでしょう」(ジャーナリスト)
その得度式の来賓に配られた書状には、〈暴虎馮河と揶揄されながらも己が道を信じ、如何なる困難をも排除し、一心不乱に邁進して参り、悔い無き人生を送ることが出来たと私なりに達成感する感じておりました〉とヤクザとしての半生を振り返り、続けてこう記している。
〈俗世で求めた道心に対する疑問を解かんと自問致しました〉。その時、最澄が説いた「山家学生式」に触れ、「照宇一隅」という言葉に出会う。〈まさに目を覚まし、残された人生は末法濁世に照宇一隅を胸中に秘し、人々とともに己が人生を全うせんと決意し、仏弟子として新たなる一歩を踏み出すに至りました〉と覚悟を記している。
この「照宇一隅」は「一隅を照らす」として知られる言葉で、誰も注目しない片隅でも精一杯に努力し、思いやりを持って行動する人は国の宝であるという教えである。
「後藤元組長は引退後、社会貢献活動に人生を捧げる覚悟でした。自叙伝の印税は全額、寄付したことは有名ですが、袴田事件の再審請求を陰ながら支援するなど、実際に一隅を照らすことに生涯を捧げたのです」(ジャーナリスト)
反骨に彩られた後藤元組長の83年の生涯は、ただひたすらに信念を貫き通した生き様であったのだ。

