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ゲームやパソコンソフトの「コピー屋」が堂々営業していた時代… 終わりが見えない海賊版問題

ゲームやパソコンソフトの「コピー屋」が堂々営業していた時代… 終わりが見えない海賊版問題


1986年に発売された「ディスクシステム」とファミコン本体を接続した状態(マグミクス編集部撮影)

【画像】「えっ」「コピー用じゃないよね?」これがディスクシステムに密かに仕込まれていた「謎の端子」です(3枚)

かつてのゲームやパソコンソフトは「コピーし放題」?

 日本ではかつて、ゲームやパソコンソフトのコピーは当たり前のように行われていた時代がありました。1980年代には、街で「コピーできます」と、看板を出していた店すらありました。そんな時代が、どのようにして終わったのでしょうか。ファミコン世代の筆者は、「コピー蔓延の時代」とその終焉を目の当たりにしてきました。

 いまから40年前の1986年2月21日、「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」(以下、ディスクシステム)が発売されました。当時大人気だった「ファミリーコンピュータ」のカセットは高価で、子供が簡単に買ってもらえるものではありませんでした。そんな折に登場したディスクシステムは、本体とディスク1枚さえあれば1回500円で新しいゲームに書き換えることができました。当時としては画期的なこのシステムを、必死になって親にねだったことを思い出します。

 どうにかディスクシステムを買ってもらってしばらく経ってから、「安いディスクがあってそれにコピーしてもらえる」とのうわさが学校で流れ始めました。実は当時「バックアップ活用テクニック」という雑誌でディスクのコピー方法が紹介されており、ディスクカードの模造品やコピーマシンが製造され、街の電器屋やファミコンショップが導入していたのです。

現在も「終わり」が見えない海賊版問題

 なぜコピーマシンが堂々と店頭に並んでいたのでしょうか。それは1980年代半ばまで、パソコンソフトが当たり前のようにコピーされていたことが大きいでしょう。1985年まで、プログラム生成物は著作権法で保護されておらず、プログラムが著作物として例示され保護されるようになったのは1986年1月からでした。

 今では考えられない話ですが、当時はパソコンソフトのコピー屋が街じゅうで堂々と看板を構えていたものです。コピーツールも売られており、雑誌広告も出ていました。著作権法が変わったといっても「ソフトはコピーしてもいいのだ」という人びとの意識はそう簡単には変わりません。そもそもネットがない時代、一般人には著作権法の内容を知る機会も動機もありませんでした。

 ディスクシステムのコピー問題は早期に決着を見ましたが、パソコンソフトについてはかなり長引きました。店側がゲームソフトをレンタルで提供し、顧客がそれをコピーして返却するという形で経営を続ける事例が後を絶たなかったのです。取り締まられて経営を断念した店も多かったのですが、場所を変えて「新規開店」のハガキ顧客に送り、ひそかに経営を再開する店もありました。なかには2000年代まで活動していた店もありましたが、「Winny」をはじめとするP2Pアプリの登場により、とどめを刺されました。

 現代ではパソコンソフトやゲームは「アクティベート」機能の導入やプラットフォーム化により、海賊版の被害はある程度抑えられています。しかしマンガやアニメはデジタル化とインターネットの普及により甚大な被害を受けている状況で、海賊版や違法コピーの問題は40年前よりもさらに深刻化しています。

 こうした問題を完全に解決するには、今すぐ全人類に「著作権法」という英知を授ける必要がありますが、もちろん現実には不可能な話です。違法行為と取り締まりの「いたちごっこ」が終わる日は来るのか、終わりの見えない戦いが今なお繰り広げられています。

配信元: マグミクス

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