最新エンタメ情報が満載! Merkystyle マーキースタイル
【W杯回顧録】第5回大会(1954年)|32戦無敗の“揺るぎない大本命”がまさかの敗北。劣悪ピッチの決勝で西ドイツが無敵ハンガリーを破る

【W杯回顧録】第5回大会(1954年)|32戦無敗の“揺るぎない大本命”がまさかの敗北。劣悪ピッチの決勝で西ドイツが無敵ハンガリーを破る


 北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。今回は第5回大会(1954年)だ。

――◆――◆――

●第5回大会(1954年)/スイス開催
優勝:西ドイツ
準優勝:ハンガリー
【得点王】シャーンドル・コチシュ(ハンガリー):11得点

 開幕前から「マジック・マジャール」の異名を取るハンガリーが、揺るぎない大本命と目されていた。

 当時主流のWM(3-2-2-3)フォーメーションながら、CFのナーンドル・ヒデクチが現代の偽9番のように相手のマークを引き連れて下りてくると、その空いたスペースをMFやウインガーが活かしてゴールを陥れる。

 テクニカルで個性豊かなタレントを揃え、大半のメンバーが国内の2大クラブに所属し、常識を覆す流動性の高いパフォーマンスを実現していた。

 大会前年の11月には、ロンドンの聖地ウェンブリー・スタジアムでイングランドと対戦。それまでホームでは無敗を誇ったサッカーの母国を6-3で一蹴し、ワールドカップ開催年にはハンガリーで再戦を行なったが、今度は7-1で大勝。1952年にはヘルシンキ五輪でも優勝し、1950年6月以降は28勝4分と無敗記録を継続していた。

 しかし、第5回のスイス大会では変則的なグループリーグ(GL)が実施され、それが最後の大番狂わせを招くことになる。参加16か国が4つのグループに分かれたのだが、各組いずれも2か国がシードされ、シード国同士の対戦はなかった。また準々決勝はGLの1位対2位というたすき掛けではなく、それぞれ1位同士、2位同士が顔を合わせる摩訶不思議な方式が採用された。

 開幕してもハンガリーの強さは際立っていた。初戦はシャーンドル・コチシュがハットトリック、エースのフィレンツ・プスカシュ主将も2ゴールを挙げて韓国に9-0。続く西ドイツ戦も8-3と実力の差を見せつけて、あっさりとGLの首位通過を決めてしまう。

 だが一方で、ハンガリーに敗れた西ドイツには、戦略家ゼップ・ヘルベルガー監督の深謀遠慮があった。
 
 西ドイツは、すでに初戦でグループ内のもうひとつのシード国トルコを4-1で下していた。もしGLを首位通過すれば、ほかの組の首位チームとの対戦になり、ウルグアイやブラジルなど南米の強豪国との対戦が予想された。

 また、トルコと2位で並べばプレーオフを行なうことになるが、再戦でも十分に勝利は見込めたし、逆にハンガリー戦を落としてGLを2位通過すれば、準決勝までは2位通過国としか当たらない。そこでハンガリー戦には、初戦のメンバーを7人も入れ替えて臨んでいた。

 ハンガリーは西ドイツを下すが、プスカシュが西ドイツのヴェルナー・リープリッヒのタックルで足首を酷く痛めてしまい、頭痛の種を増やすことになった。

 結局西ドイツは、トルコとの再戦も予定通り7-2で勝利して準々決勝に駒を進める。確かに西ドイツは1試合余計に戦うことにはなったが、首位通過のハンガリーにはノックアウトステージで茨の道が待っていた。

 準々決勝でハンガリーを待ち受けたのは1組を首位通過したブラジルで、ヴァンクドルフ・スタジアムには6万人の大観衆が押し寄せた。

 エースのプスカシュを故障で欠くハンガリーだが、開始4分にヒデクチ、7分にもシャーンドル・コチシュが加点して幸先の良いスタートを切る。その後、両国ともにPKで1点を加え、66分にはブラジルがジュリーニョのゴールで1点差に詰め寄った。すると、その5分後にはブラジルのニウトン・サントスと、ハンガリーのヨージェフ・ホジェクが乱闘となり両者が退場。さらにブラジルはウンベルトが両足で危険なタックルをして、ピッチから追放される。

 ハンガリーは終了2分前にコチシュが頭で決め4-2で勝利を飾るのだが、両国は控室に戻ってからもビンや椅子などを使って乱闘を続け「ベルンの死闘」として後味の悪い記憶を残すことになった。
 
 さらにハンガリーは、準決勝でも難敵ウルグアイを迎える。一転して「20世紀を代表する」と形容されたほどの技術水準の高い美しい試合となったが、間違いなく負荷は高かった。ハンガリーは13分に、ゾルタン・チボールが均衡を破ると、46分にはヒデクチの鮮やかなダイビングヘッドが決まりリードを広げた。

 しかし、ウルグアイも終盤死力を尽くして反撃し、ホルベクが立て続けにゴールを決めて延長戦に持ち込む。ハンガリーはプスカシュ、ウルグアイも前回主将として優勝に導いたオブトゥリオ・ヴァレーラを欠いた試合だった。決着をつけたのはコチシュの「黄金の頭」で、空中戦を制して2ゴールを叩き出した。

 2つの激闘を経たハンガリーに対し、西ドイツは安定したストレスの少ない勝ち方で決勝まで進んだ。GLの各組1位がハンガリー側のブロックに集結したので、西ドイツ側には2位の国しかいない。準々決勝でユーゴスラビアを2-0で退けると、準決勝ではオーストリアを6-1で一蹴し、世界一をかけたハンガリーとの再戦に持ち込んだ。

 ハンガリーは自信満々で、試合後にはパーティーの準備も進めていたという。しかし7月4日、決勝戦当日はあいにくの豪雨。キックオフ直前に1度は上がるがすでにピッチは泥んこ状態で、後半からは再び激しい雨が叩きつけた。悪条件は西ドイツに味方した。彼らは、後のアディダス創業者アディ・ダスラーが開発した交換式スタッドのスパイクを履いていたのだ。
 
 それでも最初から主導権を握ったのはハンガリーだった。開始6分には、完調には程遠かったが、強行出場したプスカシュが先制。その3分後にはチボールが追加点を奪い、試合を決定づけたかに見えた。ところが西ドイツも、11分にマックス・モーロック、18分にはヘルムート・ラーンとたたみかけ、たちまち振り出しに戻す。

 ただし、それからはハンガリーの猛攻が続いた。西ドイツは守護神のトニー・トゥレクが、神がかったセーブを繰り返し、DFがライン上でクリアしたかと思えば、プスカシュのシュートはクロスバーが阻む。

 そして終了6分前、耐え続けた西ドイツにチャンスが訪れた。左ウイングのハンス・シェーファーがクロスを送るとDFのクリアが不十分で、ボックス角にいたラーンに渡る。低い弾道のシュートがゴールネットを揺すった。ハンガリーもその直後にプスカシュが再度ゴールを陥れるが、副審がオフサイドの判定を下し、西ドイツが3-2で勝利を収めた。

 西ドイツの優勝は、第二次大戦の敗戦で打ちひしがれた国民に大きな勇気を与えた。一方、ワールドカップ決勝で、4年間で唯一の黒星を喫したマジック・マジャールは、その後もしばらく健在ぶりを示すが、1956年のハンガリー動乱で主力選手たちが次々に亡命。プスカシュはレアル・マドリー、大会得点王のコチシュはバルセロナへと移籍していく。

 因みにこの大会では日本も予選に初参加し、韓国と出場権を争った。韓国の李承晩大統領が日本の訪韓を認めなかったので東京で2試合を行ない、韓国が5-1、2-2と圧倒。日本より44年も先駆けてワールドカップを経験した。

文●加部究(スポーツライター)

【画像】日本は何位? 最新FIFAランキングTOP20か国を一挙紹介!アフリカ王者が驚異の7ランクアップ、新たにトップ10入りを果たしたのは…

【画像】どこもかしこもデザイン刷新! 世界各国の北中米W杯“本大会用ユニホーム”を一挙公開!

【画像】新垣結衣、有村架純、今田美桜らを抑えての1位は? Jリーガーが好きな女性タレントランキング
配信元: SOCCER DIGEST Web

あなたにおすすめ