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羽生結弦、地元・宮城で迎えた4回目の「notte stellata」 『Happy End』に込めた祈り「“次があるよ”って思えるような…」

羽生結弦、地元・宮城で迎えた4回目の「notte stellata」 『Happy End』に込めた祈り「“次があるよ”って思えるような…」

4回目となる「羽生結弦nottestellata」が、今年も3月7日から開催された。故郷の仙台で東日本大震災に遭った羽生結弦が、復興への願いを込め、宮城県のセキスイハイムスーパーアリーナで仲間達と滑るアイスショーだ。

 羽生は「(震災から)15年経って、自分自身の悲しみや傷への向き合い方だったり付き合い方であったり、そういったことをちょっとずつ理解しながら前に進んできたつもりです」と語る。

「この15年という時があったからこそ、今、逆にその傷に向き合おうという気持ちも出てきたり、逆に『あれがあったからこそ今こうやって学んで生きているんだ、強く生きているんだ』ということを何か表現したいと思って、『Happy End』は特に振り付けを自分でしていきました」
   第一部の最後に、羽生が東北ユースオーケストラの演奏に乗って演じたのが『Happy End』である。東北ユースオーケストラは、2011年7月に故・坂本龍一が発起人となって設立した「こどもの音楽再生基金」を引き継ぐ形で、2014年3月に設立された。『Happy End』は、監督として東北ユースオーケストラに深くかかわり続けた坂本の楽曲である。

『Happy End』について、羽生は「めっちゃ苦しいっていう感じ」と説明する。過去に羽生が東日本大震災への思いを表現したプログラムとしては、2015-16シーズンのエキシビションナンバー『天と地のレクイエム』(松尾泰伸 作曲)がある。『天と地のレクイエム』は東日本大震災の鎮魂曲だが、羽生によれば「どちらかというと、震災に直接気持ちを寄せて」「がれきがいっぱい積んであるような道」を表現したものだった。それに対して『Happy End』は、震災という傷に「自分自身の体が蝕まれて」いく様子を表しているのだという。

「被災地である宮城県、仙台もそうですけど…ちょっとずつちょっとずつ復興は間違いなくしているんですけど、ちょっとずつ残っている傷跡であったりとか、僕自身がアイスリンク仙台で滑る時に残っている壁の傷であったりとか、補修されているけれども見える傷みたいなものを、少しずつ感じながら。で、それにまた蝕まれながら、自分が苦しんでいるけれども、最終的には『その傷も全部自分なんだ』って受け入れながら、演技が終わった後に『次があるよ』って思えるようなプログラムにしたつもりです」『Happy End』では、白を基調とした衣装の羽生が、氷の上に横たわってもがくような所作を交えながら、東北ユースオーケストラの多彩な音を一つでも逃すまいという風情で表現した。前衛的でコンテンポラリーダンスのような印象を与える『Happy End』には、昨年8月から今公演の前まで“メンテナンス期間”と称して自らの心技体を探求してきた羽生の進化が表れている。

“メンテナンス期間” について、羽生は「踊ったりとか、実際にそのトレーニングの手法をいろいろ考えたり変えたりとかして、『フィギュアスケートに何が合うのかな』っていうことを考えたり、そういう期間でした」と振り返る。また、体の使い方に関する座学も行ったという。

 羽生は、強いボクサーのパンチには曲線美があるという例を挙げ、理にかなっているからこそ美しい身体表現を体に入れていったと説明した。そしてそれは、感情の土台になるものでもあると語る。

「平昌オリンピックの後に、『表現・芸術って、技術が基礎にあるよね』っていう話をちょっとさせていただきました。(『Happy End』は)改めてメンテナンス期間を経て『やっぱりこういう技術的なこととか基礎的なことがあるから、その上にやっと感情が乗せられるんだな』ということに気づきながら、一つひとつ丁寧に作ったプログラムではあります」
  羽生が言及したのは、2018年平昌五輪で連覇を果たした後に臨んだ日本記者クラブでの記者会見で発した次の言葉だと思われる。

「芸術は絶対的な技術力に基づいたものであると、僕は思っています」

 競技生活で気づいた身体表現の真髄を、プロとなった今の羽生は徹底的に追求し続ける。そして羽生は、16歳で被災してからの15年で、深い傷に向き合う人としての強さ、さらにそれを表現する技量を身につけたのだ。(文中敬称略)

取材・文●沢田聡子 

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配信元: THE DIGEST

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