
【W杯回顧録】第8回大会(1966年)|北朝鮮の大金星、エウゼビオの4発、そして“疑惑弾”…サッカーの母国イングランドが初優勝を果たした激闘の全貌
北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。今回は1966年の第8回大会だ。
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●第8回大会(1966年)/イングランド開催
優勝:イングランド
準優勝:西ドイツ
【得点王】エウゼビオ(ポルトガル):9得点
1966年、ついにサッカーの母国でワールドカップが開催された。
イングランドでは1863年にFA(フットボール連盟)が創設され、百周年には代表チームが世界選抜と対戦し、2-1で勝利を収めていた。自国開催のW杯で代表監督の重責を託されたのは、イプスウィッチを3部から1部優勝まで押し上げたアルフ・ラムジーで「イングランドは優勝する」と宣言していた。
7月11日、イングランドは、聖地ウェンブリー・スタジアムでウルグアイとの開幕戦を迎える。だが所属するアルゼンチンのクラブから出場許可が下りず、多くの主力が不在の相手に攻めあぐみスコアレスドロー。フラストレーションを溜めたサポーターからは、痛烈なブーイングを浴びた。
しかし続くメキシコ、フランスとの試合は2-0と堅実な勝利を重ねてグループ1を首位で通過。これで最後までウェンブリーで戦い続けることが確定した。
ただし開幕時点での優勝候補筆頭は、前回まで連覇をしてきたブラジルだった。実際ブルガリアとの初戦では、ペレとガリンシャが揃ってFKを直接決めて2-0と順当な勝利を収めている。
しかし、この試合で厳しいマークを受けたペレが故障。2戦目でペレを欠いたブラジルは、2年前の東京五輪で金メダルを獲得したハンガリーに1-3で敗れてしまう。ペレは準々決勝進出をかけたポルトガル戦で復帰するが、再びファウルで痛めつけられチームも1-3で敗戦。2002年日韓大会のフランスまで、前回覇者のグループリーグ敗退が繰り返されることはなかった。
また、ブラジルと同じく2度の優勝歴を持つイタリアも候補の一角と目されていた。伝統の守備戦術カテナチオを生み出したエレニオ・エレーラがインテルで黄金期を築き、偉大な父バレンティーノの血を引くサンドロ・マッツォーラや、攻撃参加を得意とするSBジャチント・ファケッティらが脚光を浴びていた。
初戦でチリを2-0で下したイタリアは、2戦目でソ連に0-1で敗れた。しかし、残る北朝鮮戦に勝てばベスト8進出が決まる。チームのスタッフからは「サッカーの試合をするというよりは散歩に出かけるようなもの」と軽口も出ていたという。
ところが北朝鮮は、個々が正確な技術を備え優れた組織力を誇るアジアでは傑出したチームだった。試合途中からは予想を覆す北朝鮮の善戦を目の当たりにしたミドルスブラの地元の観客も応援に回り、41分にはパク・ドイクが均衡を破る。その後も1-0のままスコアは動かず、北朝鮮が世紀の大番狂わせを完結させた。
イタリアは、ひっそりとローマの空港に帰国するのだが、待っていたのはチームが乗車するバスを目がけた腐ったトマトや生卵の洗礼だった。
北朝鮮の快進撃は続いた。グディソン・パーク(エバートンのホーム)に舞台を移した準々決勝のポルトガル戦でも、開始1分に先制すると25分までに3点をたたみかける。サイズの不利をスピードで補い、19歳のGKリー・チャンミョンがアクロバティックなセーブを繰り返した。
だが初出場のポルトガルは、ここから「モザンビークの黒豹」の異名を取るストライカー、エウゼビオが真価を見せつけた。27分には2人のDFの間に割って入り1点を返すと、43分にPKを決め、56分には右からの突破で左隅に突き刺しハットトリックを達成。その3分後には自ら2人を置き去りにした後のファウルでPKを獲得。これも左隅に蹴り込み、4ゴールを積み上げひとりで3点差を引っ繰り返してしまう。さらに1点を加えたポルトガルが、5-3と大逆転でベスト4進出を決めた。
ロンドンに居座るイングランドは、準々決勝でアルゼンチンと対戦。サッカー発祥国と南米の雄は、対極の文化も相まって荒れに荒れた。接触をいとわず激しさを武器にするイングランドに対し、アルゼンチンは狡猾に闘う。
試合を裁く西ドイツのルドルフ・クライトライン主審の笛は、どうしてもイングランド側に傾いた。納得のいかないアルゼンチンのアントニオ・ラティン主将がレフェリーに抗議をすると、主審は退場を宣告。ラティンは、その場を去らずに10分間も居座り、警察が立ち入る事態になった。
試合はイングランドがGLで故障したジミー・グリーブス(代表通算44ゴールの記録を樹立)の代役に立てたジェフ・ハーストの決勝ヘッドで10人のアルゼンチンを1-0と振り切るが、ラムジー監督が「(あいつらは)アニマル」と吐き捨てれば、アルゼンチンのメディアも「泥棒」と応戦。両国の因縁は、その後も長く続いていくことになる。
伝統のウイングを排した4-4-2で戦うイングランドは、準決勝でもポルトガルを2-1で退け決勝進出を決める。1958年に起きたマンチェスター・ユナイテッドの航空機事故の生き残りで、2年後にはチームを初の欧州制覇に導くボビー・チャールトンが2ゴールを奪い、9ゴールで大会得点王のエウゼビオをPKによる1点のみに抑えた。
イングランドと逆側のブロックから勝ち上がったのは、20歳のフランツ・ベッケンバウアーがMFで躍動し、4ゴールを記録した西ドイツだった。準々決勝では初代王者のウルグアイを4-0で一蹴し、準決勝は歴史的にもGKとして唯一バロンドールを受賞したレフ・ヤシンを擁すソ連を2-1で振り切った。
決勝戦を迎えたウェンブリー・スタジアムには9万8000人の観客が詰めかけ、推定4億人がテレビ観戦をしたという。スタンドを覆っていたのは、現在と異なり白地に赤十字のセント・ジョージ旗ではなく、無数のユニオン・ジャック旗だった。
当時イングランドの西ドイツとの対戦成績は6勝1分。まだ1度も負けたことがなく、グリーブスが保持するイングランド代表得点記録を更新したガリー・リネカーが「最後に勝つのはいつもドイツ」と吐き捨てるのは20年間以上先のことだ。ちなみに日本代表チームは、初めて現地を訪れて決勝戦を観戦。西ドイツのベンチに自分たちが師事したデットマール・クラマーの存在を確認し、改めて感嘆したそうである。
12分、均衡を破ったのは西ドイツだった。左からジークフリート・ヘルトがクロスを送ると、レイ・ウィルソンのクリアが小さく、拾ったハーラーが素早くゴールネットを揺する。だが6分後、イングランドもボビー・ムーア主将がクイック・リスタートでゴール前に送るとハーストが頭で叩いて追いつく。
さらに78分には、ハーストのシュートのこぼれにマーティン・ピータースが反応して逆転に成功した。しかし、この頃から西ドイツの粘りの伝統が構築されていく。混戦からヴォツフガンク・ヴェーバーが、イングランドゴールをこじ開けたのは終了1分前だった。
こうして試合は延長戦に突入。問題のシーンが101分に巡ってきた。右からアラン・ボールが中央へ折り返すと、バウンドしたボールを巧みに押さえたハーストが右足を一閃。クロスバーを直撃したボールが真下に落下し、ライン上で跳ねた。スイス人のゴッドフリート・ディーンスト主審は、線審(当時)に確認し「ゴール」と認定。ジャッジを巡る論争は両国に限らず長く語り続けられることになる。
それでもイングランドは、終了間際の120分にハーストが左足でニアサイドを抜き、頭と左右の足で決勝戦初のハットトリックを完成させてダメを押し、初優勝。ラムジー監督は見事に宣言を実現し、イングランドのムーア主将は女王エリザベス2世からジュール・リメ・トロフィーを受け取った。
文●加部究(スポーツライター)
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