元NBA選手のルー・ウィリアムズは、2005年のドラフト2巡目45位でフィラデルフィア・セブンティシクサーズに指名されて入団。最初の2年間はベンチウォーマーだったが、エースのアレン・アイバーソンからスコアリングのスキルを学び、その後、最優秀シックスマン賞を3回受賞する名選手へと成長を遂げた。
15年にトロント・ラプターズから完全フリーエージェントとなったウィリアムズは、コビー・ブライアント率いるロサンゼルス・レイカーズと3年2100万ドルで契約。当時のチームは2年連続で20勝台に沈むなど転換期にあり、迎えた2015-16シーズンは結果的にコビーの現役ラストイヤーとなった。
だがウィリアムズによれば、開幕前、コビーはこのシーズンで引退するつもりはなく、レイカーズを再び強豪へと押し上げるべく意気込んでいたと、ポッドキャスト『Out the Mud』で明かした。
「彼の引退シーズンって言われてるけど、あの年は最初から“フェアウェル(引退)ツアー”として始まったわけじゃないんだ。コビーはあのシーズンに完全に準備万端の状態で入ってきた。何かを証明しようとしていたんだ」
しかし、コビーの前に立ちはだかったのは、どんなスーパースターでも逃れることができない“時間”だった。37歳となり度重なる負傷を抱えていた大黒柱は、気持ちはまだ戦えても、身体がそれに応えられなくなっていた。
「開幕して10試合くらいで、肩が壊れ始めて、アキレス腱にもまた問題が出てきた。その時に彼は気づいたんだ。“これで終わりだ”ってね」
チームはシーズン最初の14試合でわずか2勝、キャリア20年目のコビーは平均15.2点を記録する一方、フィールドゴール成功率31.1%、3ポイント成功率19.5%と衰えは顕著だった。
そして開幕から1か月後の15年11月29日、レイカーズの英雄はこのシーズン限りでの引退を表明した。
チームとして勝利を目指していた状況は、コビーの引退発表で一変。瞬く間に“フェアウェルツアー”へと様変わりし、最終的に球団史上ワーストの17勝65敗に終わった。
ただ、コビーから得たものは大きかったとウィリアムズは振り返る。
「本当に衝撃的な経験だった。みんなが自分と同じくらいの真剣さでバスケットボールに向き合っているわけじゃないって気づかされた。彼は一切の妥協がなかった。バスケに対して極めてストイックで、試合の見方もまったく別次元だったよ」
ウィリアムズによるとコビーは、試合を5分単位で細かく分解して考えていたという。
「『この5分間はこういう展開になるべきだ、次の3分はこうだ』といった感じで、試合を細かく区切って見ていたんだ。他の選手とは全然違ったね」
バスケットボールを誰よりも愛し、極めるためにストイックに真摯に向き合ったからこそ、コビー・ブライアントは唯一無二の存在になれたのだろう。
構成●ダンクシュート編集部
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