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『鬼滅の刃』の「柱」は歴代で「何人」くらいいたのか 鬼たちの証言などから考えてみると

『鬼滅の刃』の「柱」は歴代で「何人」くらいいたのか 鬼たちの証言などから考えてみると


『鬼滅の刃 柱合会議・蝶屋敷編』キービジュアル (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

【画像】え、「再現度高すぎだろ」「甘露寺さんの服も」 コチラが2.5次元化された「柱」たちです

「数えきれぬほどの柱を切った」

 人気マンガ『鬼滅の刃』における鬼殺隊の最高位剣士が「柱」です。作中に登場する柱は主に9人(ほかに元柱、故人の柱も)ですが、では約1000年に及ぶ鬼との戦いの歴史のなかで、「柱」はいったい何人存在したのでしょうか。

 本作の物語は大正時代(1912年~1926年)が舞台で、それ以前の鬼殺隊の歴史は断片的にしか語られていません。そこで、原作マンガ、アニメ、関連書籍の描写をもとに、不明部分を推察で補いながら、歴代の柱の人数を考察します(※本稿はまだアニメ化されていない範囲のネタバレを含みます)。

「柱」はいつ誕生したのか

 ラスボス「鬼舞辻無惨」が鬼となり、「産屋敷」家との因縁が始まったのは平安時代中期(約900年頃)とされます。当初から鬼を狩る剣士は存在していましたが、この時点では組織的な階級や「柱」という称号は未成立だったでしょう。鬼もまだ発展途上で、戦闘レベルは現在ほど高くなかったはずです。

 そして、約500年後の室町時代、鬼の活動が活発化し、鬼殺隊側でも炎・水・風・雷など、後の「呼吸」につながる剣術体系が発達していました。それを会得していた実力者を「柱」と呼称していたと思われます。

「呼吸」の登場が戦局を変えた

 そして、1450年頃、鬼殺隊で歴代最強とされる剣士「継国縁壱」が入隊しました。元は縁壱の双子の兄「巌勝」である「十二鬼月」の上弦の壱「黒死牟」が、作中の約400年前(1510~1515年頃?)に齢80を超えた縁壱と戦ったと回想していたため、逆算すると彼が20歳くらいだったこの時期に鬼殺隊に入ったと考えられます。

 天才・縁壱が編み出した「日の呼吸」は、鬼と対等以上に戦うための技術体系であり、これを基に各種の呼吸が派生しました。呼吸の普及によって、元からいた柱たち含む鬼殺隊全体の戦闘力は飛躍的に向上します。それまでも柱はいたと説明されていますが、炭治郎たちの時代と同レベルの、「呼吸が使える」人間離れした実力者「柱」が出てきたのは、この辺りからと考えてみましょう。

「柱」の消耗は想像以上に激しい

 十二鬼月のなかでも、特に上弦の鬼たちは世代交代を繰り返す柱たちと戦い、多数の柱を葬ってきました。

 作中でも、かつては「月の呼吸」を使う柱だったと思われる黒死牟は、「数えきれぬほどの柱を斬った」と語っており、「遊郭編」に出てきた上弦の陸「妓夫太郎」と「堕姫」の兄妹だけでも、合わせて20人以上の柱を倒したことを語っています。控えめに見積もっても、「鬼(主に上弦)に倒された柱」だけで100人は優に超えるでしょう。


霞柱・時透無一郎は推定14歳。柱になってまだ間もない時期に……TVアニメ『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編』ティザービジュアル (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

柱は量産できない

 次は、柱の在任期間から逆算してみます。炭治郎の時代における柱の在任期間を参考にすると、多くは数年以内に戦死、あるいは重傷で引退しています。作中の最長は19歳で岩柱になった「悲鳴嶼行冥(27歳)」で、平均活動期間は、おおよそ3~5年程度と考えられます。

 柱の定員は9人ですが、常に満員だったわけではありません。作中でも、一時期は7人しかいない状態が描かれています。悲鳴嶼の「柱の3分の1以上が欠けると鬼殺隊が危うい」という発言から考えても、歴史を通じて常時、柱5~6人前後で隊を維持するのが限界だったでしょう。

 柱は、戦死以外にも「痣」の出現による寿命(25歳まで)、病死、老齢による引退などがあったはずです。作中では死なずに引退した元柱に、「鱗滝左近次(水柱)」「桑島慈悟郎(鳴柱)」「煉獄槇寿郎(炎柱)」の3人がいました。仮に、戦死と非戦死(引退含む)の比率を約7対3とすると、歴代の柱の総人数は大きく絞られます。

結論

 さて、計算に入りましょう。1450年頃から大正時代初期(1912~15年頃)まで、約462年間で、同時に在任していた柱は平均6人とし、柱ひとりあたりの在任期間は平均4年と、それぞれ仮定します。

 単純計算では、「465年÷4年=約116期」、「116期×6人=696人」、つまり、柱在任枠が696人分ほどあったことになりました。ただ、柱は複数人が同時に在任しているため、戦死と非戦死の比率を、約7:3として実人数を割り出します。そうすると「696人分×0.35(補正係数)=244人」です。

 462年の間に柱という役職は、延べ116回入れ替わりましたが、戦死と引退を考慮すると、柱はおよそ「244人」いたと考えられます。ただし、これはかなり控えめに見積もった数字なので、実際はもう少し多かったと推測し、「250人前後」とするのが妥当かもしれません。

 柱とは、量産される英雄ではありません。数百年にわたり命を落とし続け、それでもかろうじて次代へとつながれてきた存在です。その果てに現れた大正時代の柱たちは、奇跡的にそろった「最後の世代」だったのかもしれません(以上は、あくまで個人の考察・推察です。あしからずご理解ください)。

配信元: マグミクス

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