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『ばけばけ』最後「行方不明」なってた生徒・正木に心配の声続出 モデル?を見ると「もしや戦争に」「最後の手紙の相手?」

『ばけばけ』最後「行方不明」なってた生徒・正木に心配の声続出 モデル?を見ると「もしや戦争に」「最後の手紙の相手?」


正木役の日高由起刀さんのプロフィール写真

【画像】え、「髪型一緒で顔も似てる」「一緒に富士山のぼったの?」 コチラが「正木のモデル(?)と小泉八雲」の写真です

丈は大活躍だけど

 連続テレビ小説『ばけばけ』は、2026年3月27日に125話で堂々の最終回を迎えました。最終第25週は、亡き「錦織友一(演:吉沢亮)」の弟「丈(演:杉田雷麟)」が、「雨清水八雲(レフカダ・ヘブン/演:トミー・バストウ)」が完成させた『怪談(KWAIDAN)』を和訳したり、主人公「松野トキ(演:高石あかり)」が語ったヘブンの思い出を書籍にまとめて『思ひ出の記』にしたりと、万能な活躍を見せています。一方、途中までトキたちと一緒に住んでいた「正木清一(演:日高由起刀)」は、10年の月日が省略された間にいなくなり、話題にも出なくなりました。いったい彼に何が起きたのでしょうか。

 正木は最初は松江中学(島根県尋常中学校)のヘブンと錦織の教え子として登場し、トキたちが熊本に行くことになると、丈と一緒にヘブンの赴任先の熊本第五高等中学校に進学して、松野家で同居を始めます。焼き網が消えた事件での推理や、妊娠初期のトキを病院に運ぶなど、印象的な活躍を見せました。しかし、第23週が終わり、24週になって一気に10年が経過して、主人公一家が東京で暮らすようになってからは、正木は登場しないどころか劇中の会話でも名前すら出てきません。

 当初の目標通り丈が東京帝国大学の研究室にいるのに対し、正木は進学できたのかどうかも分からず、視聴者からは

「てか、丈は変わらず登場してるけど正木は、ちゃんと職に就いてるのか?」

「正木ー熊本の後はどこでどうしてたんやー?」

「頼もしい正木が大人になった姿も一目見たかったなあ」

「丈さんは帝大に入ったけど、正木さんって結局あれからどんな人生送ったんだろうか?」

 と、疑問、心配の声が出ていました。

 ヘブンのモデル・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の生徒は多数いましたが、『ばけばけ』では丈と正木、松江に残った「小谷春夫(演:下川恭平)」の3人に描写が絞られています。丈のモデルは西田千太郎(錦織友一のモデル)の弟にあたる人物で、東京帝国大学を卒業後、工学博士になって全国の上下水道の整備に尽力した西田精です。ただ、最終週での活躍を見ると、丈は小泉セツの回顧録『思ひ出の記』をまとめた小泉家の遠縁の歴史学者・三成重敬や、ハーンの著作の和訳を手伝い、伝記『小泉八雲』(1914年発表)を書いた英文学者・田部隆次(帝大時代の教え子)の役割も担っていました。

 小谷のモデルは大谷正信という英文学者・俳人で、彼は松江中学でハーンに英語を教わってから東京帝大に進んで恩師と再会しています。ハーンから絶大な信頼を寄せられ、1926年以降の小泉八雲全集の和訳で多大な貢献をしました。

 そして、絞り切れない面もあるものの、松江に拠点を置く研究団体「八雲会」の公式Xのポストによると、正木のモデルは松江中学でハーンに教わり熊本の第五高等中学校(以下、五校)に進学した、藤崎八三郎(旧姓:小豆沢)という人物ではないかと見られているようです。


藤崎八三郎の話題も多い、長男・小泉一雄の著書『父「八雲」を憶う』(東香出版)

正木のモデルは、小泉八雲が最後に書いた手紙の相手?

 小豆沢はハーンが来日後初の著作『知られぬ日本の面影』のなかの「英語教師の日記から」で、「今後わたくしの記憶に最も長く明白に残るだろうと思う」と名前を挙げた優秀な生徒のひとりでした。彼はハーンが熊本に移った後も文通を続け、資料提供の手伝いもしています。

 その後、小豆沢は1894年12月に日清戦争の志願兵として入営し、それから1895年の9月にハーンが辞めてから1年ほど経った五校に入るも、結局休学して1896年3月に退学しました。彼は陸軍士官学校に入り、その際に遠縁の藤崎剛八の養子となって藤崎八三郎に改名しています。

 それから職業軍人になった藤崎は、1897年の夏にハーンの念願だった富士登山に同行し、体力に不安のあった恩師を大いに助けました。その後も東京の小泉家を何度も訪ねた藤崎は、1904年2月に始まった日露戦争に行くことになったとき、ハーンに家族ぐるみでの送別会を開いてもらっています。ちなみに、出征前に結婚した藤崎の妻は「ヲトキ」という名前でした。

 そして、藤崎にまつわる逸話で特に有名なのが、ハーンの絶筆(生涯で最後に書き残した文)となった手紙を送った相手だということです。ハーンは亡くなった1904年9月26日に、戦地にいる藤崎への手紙と数冊の本を送り、その数時間後の夜に亡くなりました。セツの『思ひ出の記』にも、「(ハーンは)午後には満洲軍の藤崎さんに書物を送って上げたいが何がよかろう、と書斎の本棚をさがしたりして、最後に藤崎さんへ手紙を一通書きました」という記述があります。

 また、ハーンの長男・小泉一雄は1931年に発表した著書『父「八雲」を憶う』のなかで、藤崎との思い出を繰り返し語っていました。一雄は藤崎が日露戦争時点で満州軍の総司令部付の大尉で、満州軍総司令官の日本陸軍元帥・大山巌の副官を務めていたと書いています。1931年時点では、藤崎は大佐になっていたそうです。

 その藤崎は無事に日露戦争から帰還し、「先生の最後となった手紙と贈ってくださった本と、それから先生の亡くなられたという知らせと同時に受け取って悲嘆に耐えなかった」という手記を残しました。ハーンから藤崎への手紙は、松江にある小泉八雲記念館に収蔵されています。

 説明が長くなりましたが、藤崎が『ばけばけ』正木のモデルなのであれば、正木は省略された10年の間に軍人となって東京にはおらず、ヘブンが亡くなった時期には日露戦争に行っていた、と考えることもできるでしょう。ただ、それにしても誰も彼に関して言及しないのは不可解です。スピンオフなどで彼のその後が分かれば、視聴者のモヤモヤも晴れると思うので、今後に期待しましょう。

参考書籍:『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮出版社)、『父「八雲」を憶う』(東香出版)、『小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン』(中央公論新社)

配信元: マグミクス

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