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「逃げる選択肢はなかった」KJが語る神様ジョーダンとのマッチアップ秘話「もしセバロスがケガをしていなければ…」<DUNKSHOOT>

「逃げる選択肢はなかった」KJが語る神様ジョーダンとのマッチアップ秘話「もしセバロスがケガをしていなければ…」<DUNKSHOOT>

元NBA選手の“KJ”ことケビン・ジョンソン(元フェニックス・サンズほか)は、1990年代にリーグを代表する攻撃的ガードの1人として活躍した。現役引退後は故郷サクラメントの市長も務めたことで知られる。

 のちに殿堂入りするデイビッド・ロビンソンやスコッティ・ピッペン、レジー・ミラーと同じ1987年のドラフト全体7位でクリーブランド・キャバリアーズに指名されたKJ。ルーキーイヤーの途中にサンズへトレードされると、新天地で瞬く間に主力へと上り詰めた。

 翌1988-89シーズンには平均20.4点、12.2アシストをマークして最も成長した選手に贈られるMIP賞を受賞。同年から4年連続で得点とアシストで平均ダブルダブルを達成し、90-91シーズンには平均22.2点、10.1アシスト、2.12スティール、フィールドゴール成功率51.6%の好成績を残してMVP投票で7位にランクインした。

 オールスター出場3回、オールNBA2ndチーム選出4回を誇るKJは、チャールズ・バークレーとのコンビで、93年にNBAファイナルで“神様”マイケル・ジョーダン擁する2連覇中のシカゴ・ブルズと対戦。シリーズ2勝4敗でリーグ優勝は果たせなかったが、サンズ不動の司令塔として名を馳せた。
  KJはロサンゼルス・レイカーズOBのバイロン・スコットがホストを務めるポッドキャスト『Byron Scott's Fast Break』に出演した際、「(バークレー加入前の88年~92年頃の)私たちは“バッドボーイズ”(デトロイト・ピストンズ)にも勝てると思っていたし、彼(バークレー)がいれば“ジョーダンのチーム”にも勝てると思っていた」と当時の自信を語った。

 そして、93年のNBAファイナルでKJはジョーダンともマッチアップ。シリーズ当初、ジョーダンにはダン・マーリーがついていたが、マークを代わることになった舞台裏を振り返った。

「ダン・マーリーという素晴らしいディフェンダーが、最初の2試合でジョーダンをガードしたんだ。でも、ジョーダンは平均36.5点を叩き出した。私たちはコテンパンにやられたよ。

 ホームコート・アドバンテージがありながら0勝2敗でね。第3戦(シカゴ)に向かう時、ヘッドコーチのポール・ウエストファルが、『ケビン、お前がジョーダンをガードするんだ。お前を信頼している』と言った。『そんなの筋が通らない。最高のディフェンダー(マーリー)ですら守れないのに、いったいどうやってジョーダンを守るっていうんだ?』と思ったよ」 KJは、「どうか私の名前をマイケル・ジョーダンの隣に書かないでくれと祈った」とマッチアップすることに少なからず抵抗があったとしつつ、「それが私を奮い立たせたんだ」と明かした。

「『戦うか、逃げるか』の2択で、逃げるという選択肢はなかった。だから戦うしかなかったんだ。ジャンプボールの時に、彼(ジョーダン)に肘打ちを食らわせたんだ。彼は『何するんだ?』って顔をしていた。私は『俺がお前をガードするんだ。逃がさないぞ。俺はダン・マーリーとは違う。足が動くんだからな』と言ってやった。

 そうやって虚勢を張って、自分を鼓舞したんだ。本当に、そうするしかなかった。結果的にそれはうまくいって、私は互角にプレーができた。チームはトリプルオーバータイムの末に第3戦に(129-121)勝ったんだ。私は(62分間)1分も休まずにプレーしたよ」
  当時のサンズには平均12.8点を記録していたセドリック・セバロスがいたが、ヒザのケガでファイナルを全休。

 KJは「もしセバロスがケガをしていなければ、サンズがブルズを倒していただろうね。悪いな、マイク(ジョーダン)。はっきり言ってやったぞ!」と、自分たちはブルズにも決して負けていなかったと自負を覗かせていた。

構成●ダンクシュート編集部

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配信元: THE DIGEST

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