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【W杯回顧録】第10回大会(1974年)|世界中がオランダを称賛、優勝は開催国・西ドイツ。革命的な“トータルフットボール”に日本ファンも魅了された

【W杯回顧録】第10回大会(1974年)|世界中がオランダを称賛、優勝は開催国・西ドイツ。革命的な“トータルフットボール”に日本ファンも魅了された


 北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。今回は1974年の第10回大会だ。

――◆――◆――

●第10回大会(1974年)/西ドイツ開催
優勝:西ドイツ
準優勝:オランダ
【得点王】グジェゴシ・ラトー(ポーランド):7得点

 1974年7月7日、実はこの七夕こそが、日本サッカーの夜明けだったのかもしれない。

 東京12チャンネル(現テレビ東京)が、初めてワールドカップ西ドイツ大会の決勝戦を生中継した。それは海外サッカー熱への着火点とも言えた。日本の低迷期に唯一定期的に海外サッカーを紹介し続けた「ダイヤモンドサッカー」でお馴染みだった金子勝彦アナウンサーは、こう述懐している。

「2年前のミュンヘン五輪でパレスチナゲリラのテロがあったので、大会は厳戒体制で運営されていました。私たちはホテルから専用バスでスタジアム入りすると、シェパード2頭が全員のバッグの中を嗅ぐ。米ソ会談を終えたヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官が軍用ヘリをミュンヘン空港の外につけ、放送席から見下ろせば各国元首や女優のエリザベス・テーラーなどが臨席していました。極度の緊張に包まれての中継でした」
 
 ミュンヘンのオリンピア・シュタディオンに7万5200人の大観衆を呑み込んだ西ドイツとオランダの決勝戦は、ショッキングな幕開けとなった。オランダのヨハン・クライフのキックオフで動き出したゲームは、1度も西ドイツの選手に触れることなくオランダがパスを回し続けた。

 CFと表記されるクライフが降りてきて10本目のパスを受ける。そして16本目が再びクライフの足もとに収まった。クライフがドリブルを始める。急激なダッシュ、ストップ。これで密着マークを託された西ドイツのベルティ・フォクツを揺さぶると、再度スプリントして置き去りにする。そこでフォローしたウリ・ヘーネスの足がかかり、ジャック・テーラー主審がPKを宣告。ヨハン・ニースケンスが中央に蹴り込み、オランダが開始2分に先制した――。

 東京12チャンネルは決勝戦だけを生中継し、その後「ダイヤモンドサッカー」枠内で毎週各試合を前後半に分けて紹介した。そこでようやく日本のファンも、オランダの革命的な「トータルフットボール」を映像で確認し、魅了されることになる。

 オランダ快進撃の芽は、すでに欧州では顕著だった。1970年にオランダ勢としては初めてフェイエノールトがチャンピオンズカップ(当時)を制覇すると、翌71年からはアヤックスが3連覇を達成。このアヤックス初優勝時の監督が74年大会でオランダ代表を指揮したリヌス・ミケルスだったので、革命の基盤は築かれていたことになる。

 西ドイツ大会からは出場16か国を4組に分けた1次リーグの後に、4チームずつ2組の2次リーグへと進み、各組の1位同士が決勝へ、2位同士が3位決定戦に進む方式が取り入れられた。
 
 オランダは開幕から快進撃を続けた。最前線に位置するはずのクライフは自在にポジションを変え、ほかの選手たちも渦を巻くように適宜移動していく。また前線から守備に入るとともに最終ラインも一斉に押し上げるオフサイドトラップを多用。対戦相手のFWは再三罠にかかり、待ち伏せ位置に取り残された。クライフのテクニックや創造性は群を抜いていたが、彼を取り巻く選手たちも万能型のタレント揃いで、DFでも積極的な攻撃を繰り出した。

 1次リーグを2勝1分(得点6、失点1)で首位通過したオランダは、2次リーグに入ると一段と勢いを増し、アルゼンチンを4-0,東ドイツを2-0で一蹴する。そして決勝進出をかけて同じく2勝の前回王者ブラジルと対戦した。

 ペレ、トスタン、ジェルソンらが代表を退いたブラジルは、リベリーノが10番を引き継ぎ、ルイス・ペレイラを軸とする守備力を活かして1次リーグを2位で通過し、2次リーグもなんとか連勝をした。しかし、さすがにオランダとの直接対決では力の差が浮き彫りになった。圧倒的にゲームを支配するオランダは、50分、クライフがゴール前に鋭くスルーパスを送ると、ニースケンスがスライディングで合わせて先制。さらにその15分後には左サイドを疾走するルート・クロルがライナー性のクロスを送ると、クライフが中央をフルスプリント。身体をいっぱいに伸ばして見事にジャンプボレーでミートし突き放した。オランダは2次リーグ3戦を8得点無失点で悠々と突破し、自他ともに優勝を確信していた。
 
 一方、大会開幕前に有力視されていたのは、2年前の欧州選手権で創造性豊かなサッカーで優勝を飾った開催国の西ドイツだった。

 最後尾に位置するフランツ・ベッケンバウアーが、機を見て攻撃にも参加していくリベロという役割を確立。中盤を指揮するギュンター・ネッツァーと前後でポジションを交換しながらプレーする「ランバサンバ」という戦い方が機能していた。

 だがワールドカップに入りネッツァーの調子が上がらず、ヘルムト・シェーン監督は安定感で勝るボルフガンク・オヴェラーツにプレーメイクを託す。それでもすでに2勝を挙げ1次リーグ突破を決めた東ドイツとの歴史上唯一の対戦でネッツァーを起用したが、東西ドイツ対決でまさかの敗戦(0-1)を喫してしまう。以後ネッツァーがピッチに立つ機会は訪れず、ここからはベッケンバウアー主将が事実上舵を取り、チームを牽引していくことになった。

 また大会に入るまで絶好調だったのがイタリアだった。2年前の9月に行なわれたユーゴスラビア戦で83分に失点したのを最後に、1年9か月間(12試合)もゴールにカギをかけ続ける。対戦相手にはブラジル、イングランド、西ドイツなども含まれていた。ところが本大会に入ると、初戦で初出場のハイチに先制を許し、無失点記録はあっさりと途切れる。それでもこの試合は3-1で逆転勝ちを収めるが、続くアルゼンチンとは引き分け。最後は2年前のミュンヘン五輪で金メダルを獲得したポーランドに1-2で敗れ、早々と帰国の途に着くことになった。
 
 逆に旋風を巻き起こしたのがポーランドで、欧州予選でイングランドを競り落とした実力が本物だったことを証明した。五輪得点王のカジミエシュ・ディナが1列下りてゲームを構築し、快足を誇るグジェゴシ・ラトー(大会得点王)やドリブルの名手ロベルト・ガドハ、さらにはCFで身体能力の高いアンジェイ・シャルマッフらを活かしてスピード豊かな攻撃を展開。開幕から唯一5連勝で2次リーグ最終戦に臨んだ。

 決勝進出をかけた西ドイツとの一戦は、キックオフ前の豪雨でピッチのあちこちに水たまりができる悪コンディションに見舞われた。ポーランドが再三チャンスを作るが、西ドイツは守護神ゼップ・マイヤーが好守を連発。76分にゲルト・ミュラーのゴールが生まれ、西ドイツが決勝進出を果たした。

 サッカー界は変革期を迎えていた。

 大会開幕の2日前にはFIFA総会で会長選挙が行なわれ、ブラジル人のジョアン・アベランジェが、3期(13年間)も務めてきた英国人のサー・スタンレー・ラウスを退けた。4か国語を操る大富豪のアベランジェは、巨額を投じて広範な選挙活動を行ない、中南米、アフリカ、アラブ諸国などの支持を集めた。会長就任後は、ワールドカップの参加国枠を拡大し、商業化を押し進め、年代別ワールドカップを創設しながら後進国の育成を支援していくことになる。

 それに対し、もちろんピッチ上の変革のリーダーはオランダだった。前回全勝で3度目の優勝を飾ったブラジルは、究極の個が融合し即興でポジションを入れ替えながら主導権を握った。だがオランダは、質では劣らぬ個を並べながら、より先鋭な戦術を整備し、スピード豊かでダイナミックな攻守を展開した。
 
 世界中がオランダを絶賛した。そのなかでオランダは、対戦相手の西ドイツにボールに触れさせないまま均衡を破った。

 しかし、それでもオランダは、まだトロフィーを手にしたわけではなかった。西ドイツはフォクツが失点しても怯まず、ポジションを変えながら中心的にゲームを支配しようとするオランダのクライフに執拗に食らいつき苛立たせた。

 そして25分、左からドリブルで進んだベルント・ヘルツェンバインが巧妙に倒れPKを獲得する。本来西ドイツのキッカー候補の一番手はウリ・ヘーネス(後のバイエルンGM及び会長)だったが、実は前夜39度を超える発熱をしていて尻込みをする。ミュラーも確信を持てていない様子だった。そこでボールに歩み寄りスポットに立ったのが22歳のパウル・ブライトナーだった。冷静に決めたようだが、実は翌日テレビで蹴りに行く自分を見て「オイ、おまえは何を考えているんだ!」と驚嘆したという。

 さらに43分、西ドイツは右からライナー・ボンホフが折り返すと、ゴール前で戻り気味にボールを止めたミュラーが思い切り反転して、オランダのDFクロルの股を抜く。ミュラーはワールドカップ3大会で通算14ゴール目を挙げ、これは2006年ドイツ大会まで最多得点記録であり続けた。

 後半もオランダの猛攻が続いた。だが西ドイツの統率の取れた守備は最後まで崩れず、2-1のスコアが動くことはなかった。

 1974年、クライフは3度目のバロンドールを受賞した。しかし新設の優勝トロフィーを高々と掲げたのはベッケンバウアーだった。

文●加部究(スポーツライター)

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配信元: SOCCER DIGEST Web

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