
「シェイクスピアは晩年、どこで過ごしていたのか?」
18世紀以来、研究者たちを悩ませてきたこの問いに、ついに一つの答えが提示されました。
英キングス・カレッジ・ロンドン(KCL)に所属するシェイクスピア研究者のルーシー・マンロー(Lucy Munro)教授は、これまで正確な場所が分からなかったシェイクスピアのロンドンの家について、新たに発見された文書をもとにその位置を特定したと報告しました。
この研究により、単なる「この付近」とされてきた曖昧な記録が、具体的な場所へと塗り替えられたのです。
さらに興味深いのは、この発見がシェイクスピアの晩年の過ごし方そのものにも見直しを迫る可能性を持っている点です。
稀代の劇作家シェイクスピアは晩年どこで、どのような生活を送っていたのでしょうか?
目次
- 消えたシェイクスピアの家ーー「この付近」という曖昧さ
- 晩年のシェイクスピア像が変わる?ーーロンドンに残っていた可能性
消えたシェイクスピアの家ーー「この付近」という曖昧さ
シェイクスピアは1613年、ロンドンのブラックフライアーズ地区にある「ゲートハウス」と呼ばれる建物内の住居を購入していたことが知られています。
この地域は13世紀のドミニコ会修道院に由来する歴史ある場所で、当時の演劇活動の中心地の一つでもありました。
現在もロンドンのセント・アンドリューズ・ヒル5番地には、その購入を記念するプレートが設置されています。
そこには「1613年3月10日、シェイクスピアはこの付近に住居を購入した」と刻まれています。
しかし、この「この付近」という表現こそが問題でした。
シェイクスピアの孫エリザベス・ホール・ナッシュ・バーナードが1665年にこの物件を売却した後、翌1666年に発生したロンドン大火によって建物は焼失してしまいます。
ロンドン市内の約15%の住宅が失われたこの大災害により、物件の正確な位置を示す手がかりも失われてしまったのです。
その後、数世紀にわたって研究者たちは断片的な記録をもとに推測を重ねてきましたが、決定的な証拠は見つからず、「おおよその場所」しか分からない状態が続いていました。
ところが今回、マンロー教授がロンドン・アーカイブズおよびナショナル・アーカイブズから発見した3つの文書が、この状況を一変させます。
特に重要だったのが、1668年に作成されたブラックフライアーズ地区の図面でした。
これはロンドン大火の直後に描かれたもので、シェイクスピアの家の位置と大きさを具体的に示していたのです。
この図面によれば、建物の一部は門の上にまたがる構造で、基礎がなかったため図には描かれていませんが、残る部分は東西約45フィート(約14メートル)、南北は場所によって約13~15フィート(約4~4.5メートル)という規模でした。
内部構造は不明ながら、1645年までに2つの住居に分割されていたことから、当時としては十分に大きな建物だったと考えられます。
この発見により、これまで曖昧だった「この付近」は、具体的な街区として特定されることになりました。
晩年のシェイクスピア像が変わる?ーーロンドンに残っていた可能性
今回の発見が持つもう一つの重要な意味は、シェイクスピアの晩年像の再評価です。
従来の理解では、彼はこの家を購入した後まもなくロンドンでの活動を終え、故郷ストラトフォード・アポン・エイヴォンに戻って静かな生活を送ったと考えられてきました。
ブラックフライアーズの家も、単なる投資物件だったとみなされることが多かったのです。
しかしマンロー教授は、この見方に疑問を投げかけています。
そもそも投資目的であればロンドンのどこでもよかったはずですが、この家は彼の職場であるブラックフライアーズ劇場のすぐ近くに位置していました。
この立地は、実際に使用することを前提に選ばれた可能性を示唆しています。
さらに、シェイクスピアは1613年に劇作家ジョン・フレッチャーと共に『二人の貴公子』を共作しており、翌1614年にもロンドンを訪れていたことが記録に残っています。
こうした事実を踏まえると、彼がこの家を拠点の一つとして利用していた可能性は十分に考えられます。
また、建物の規模が比較的大きく、後に分割されていたことから、賃貸として収入を得つつ、自らも滞在するという使い方も想定されます。
つまり、この家は単なる資産ではなく、「仕事と生活をつなぐ場所」だった可能性があるのです。
今回特定された位置は、現在のアイルランド・ヤード東端やバーゴン・ストリート付近に相当し、セント・アンドリューズ・ヒル5番地のプレートは「付近」ではなく、実際にその場所を指していると考えられるようになりました。
その後、この土地には印刷会社や建築事務所、カーペット卸売業者などが入居する建物が建てられ、20世紀以降もさまざまな用途で利用されてきました。
消えた家が語る「もう一つのシェイクスピア」
建物そのものはロンドン大火によって失われ、数百年にわたって所在不明のままでした。
しかし、今回の発見によって、その「空白」が具体的な場所として埋められました。
それは単に住所が分かったというだけではありません。
シェイクスピアが晩年に、どこで働き、どこで過ごし、どのように都市と関わっていたのかという、生身の生活の輪郭が浮かび上がってきたのです。
偉大な劇作家は、故郷に引きこもって余生を送っていたのではなく、ロンドンという都市の中で最後まで活動を続けていたのかもしれません。
失われたはずの家は、いまになって彼のもう一つの顔を静かに語り始めています。
参考文献
Shakespeare’s ‘missing’ London house mapped with new discovery
https://phys.org/news/2026-04-shakespeare-london-house-discovery.html
Shakespeare’s long-lost London home is finally found
https://www.popsci.com/science/shakespeare-london-home-found/
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

