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「足りない部分があったのかな」昇降格を繰り返す横浜FCでの苦闘。そして現役最後のクラブに【伊藤翔のサッカー人生⑤】

「足りない部分があったのかな」昇降格を繰り返す横浜FCでの苦闘。そして現役最後のクラブに【伊藤翔のサッカー人生⑤】


 2025シーズン限りで現役を引退した伊藤翔にロングインタビューを実施。19年のキャリアを振り返ってもらった。全11回のシリーズで、第5回は横浜FC時代だ。

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 コロナ禍がまだ続いていた2021年1月、伊藤は鹿島アントラーズを離れ、国内4つ目のクラブとなる横浜FCへ移籍した。

「実は横浜FCに行く直前にコロナにかかって、40度の高熱が出て、3週間くらい療養が必要な状態に陥ったんです。回復途中で始動日を迎えたんで、(横浜F・)マリノスに移籍した時みたいな万全な準備ができず、宮崎キャンプも序盤は別メニューが続きましたね」と、彼は新天地に赴いた当初から苦戦を強いられたことを明かす。

 この年の横浜FCは、下平隆宏監督体制3年目。三浦知良、中村俊輔、南雄太といった大ベテラン、伊藤より少し上の伊野波雅彦、渡邉千真、高橋秀人ら30代前半の面々、若手の瀬古樹や齋藤功佑、松尾佑介らで構成されたチームだった。

「尊敬する先輩もいましたし、松尾みたいに『上へ行きたい』という欲のある若手もいて、ポイント、ポイントに良い選手がいたのは確か。僕自身もやりがいを感じました。

 ただ、J1で上位に行けるだけの選手層があるかと言われたら、そうではなかったという印象はあります。特に2021年は守備陣の人材が不足気味。失点数もリーグワースト(77点)だったので、なかなか勝てなくて苦しかったですね」と伊藤は5年前を述懐する。
 
 横浜FCは同年4月に下平監督が早々と解任される苦境に直面。ユースの監督を務めていた早川知伸監督が指揮を執ったが、最終的に最下位に沈み、1年でJ2降格を強いられた。伊藤自身は夏に松本山雅FCへのレンタル移籍に踏み切ったため、残留争いを戦うチームで力になれなかった。

 半年のレンタルから戻った2022年は、北海道コンサドーレ札幌で長く指導していた四方田修平監督が就任。以降、横浜FCは毎年のようにJ1昇格とJ2降格を繰り返すことになる。

 まさに“エレベーター状態”で、そういうチームをどう引き上げていくのかは難題に他ならなかった。

「横浜FCへ行って感じたのは、『1ミリでも上に行ってやる』という凄まじい向上心を持った選手が、そこまで多くはなかったのかな、という印象です。僕がそれまで在籍したマリノスや鹿島アントラーズは、ギラギラした選手の集団でしたけど、下位クラブになると、どうしてもそういう意識を持つ選手が減ってしまいがちなんです。

 野心に満ち溢れた選手が過半数を占めないと、チームの雰囲気は変わらない。僕自身も高い意識を周りに示したいと考えていたし、そういうふうに振る舞ったつもりではありましたけど、どこか足りない部分があったのかなという反省もあります」と本人の中には悔恨の念もあるようだ。

 2022~25年の4シーズンの伊藤の実績を振り返ると、四方田監督体制1年目の22年はJ2で25試合6得点。26ゴールを挙げた小川航基のブレイクに目が行きがちだが、1トップ・2シャドーの一角でベテランらしい存在感を残したと言っていい。

 続く2023年はJ1で26試合2得点。小川が離れた後の得点源として期待され、後半からは出場時間も増えたが、不完全燃焼感が強かったことだろう。
 
 2度目のJ2参戦となった2024年は33試合7得点。横浜FC時代ではキャリアハイの数字を残すと同時に、J1昇格の原動力となった。が、現役ラストとなった25年はJ1で16試合1得点。シーズン途中に四方田監督が去り、コーチから昇格した三浦文丈監督に報いようとベストを尽くしたが、チームはJ2降格を余儀なくされた。

「フミさんとは、松本山雅に行った2021年の半年間、一緒に仕事をしましたけど、2025年に横浜FCで再会した。いろんな環境で指導してきた人らしく、周りと円満にやっていける穏やかさや調整力がある人物ですけど、指揮官としては“闘将”。その熱さに応えたいという強い思いを持ってピッチに立っていました。

 フミさんは僕のサッカー人生をリスペクトしてくれたし、コミュニケーションも密に取っていました。『もし引退するということになるなら、俺にできることは少ないから、早めに言ってくれ』とも言われていて、昨夏くらいからはずっと話をしていました。

 そのままシーズン終盤に突入し、最終的にJ2に落ちることが決まって、11月30日のホーム最終節、京都(サンガF.C.)戦後のセレモニーを迎えました。そのタイミングで自分が引退発表すると、降格の事実をうやむやにすることになってしまう。

 僕も『フミさん、引退発表はせずにいったん考えます』と伝えて、何となく、のらりくらりしていたんですけど、3月になって正式に決める形になりました」と伊藤は引退発表までの流れを改めて説明してくれた。
 
 4月3日の引退会見でも「海外のチームと話をしていて、行くか行かないかを含めて考えていたんですけど、うまくまとまらなくて時期がズレてしまった」と話していたが、本人の中では2025年末の時点で八割方、区切りをつける腹積もりではいたという。

「ベトナムのクラブから12月に話をもらっていたんです。その後、なかなか進まなくて、3月になってしまった。『この状態だと、仮に自分が行ったとしても、すぐに貢献できることはないな』と感じて、『もういいかな』という思いに至りました」と本人は言う。

 横浜FCというクラブで合計5シーズン過ごし、そこでユニホームを脱いだことを本人は前向きに捉えている様子。マリノス時代を含めて、伊藤は横浜に縁のある男だったのだ。

※第5回終了(全11回)

取材・文●元川悦子(フリーライター)

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配信元: SOCCER DIGEST Web

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