
【W杯回顧録】第18回大会(2006年)|“頭突き”で全てが変わった――ジダン退場が導いたイタリアの4度目V
北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。今回は2006年の第18回大会だ。
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●第18回大会(2006年)/ドイツ開催
優勝:イタリア
準優勝:フランス
【得点王】ミロスラフ・クローゼ(ドイツ):5得点
決勝進出7度で優勝が3度。欧州屈指の栄光の歴史を持ち、大舞台の開催経験も豊富なドイツでのワールドカップは、波乱だらけだった前回から一転、欧州勢が主役を独占した。
前回ベスト16に進出した日本は、JFA川淵三郎会長が「サッカーに対する情熱、見識が申し分なく、日本のサッカーを一番知っている。世界に認められるチームにしたい」と、ジーコを代表監督に据えて4年間強化を進めてきた。ただしジーコには、鹿島の草創期に事実上チームを牽引した歴史はあっても、監督としての実績はなかった。
また鹿島時代はポジショニングもセンチメートル単位で厳しく指示していたそうだが、日本代表では「そんな必要はない」と信頼に重きを置いていた。例えば就任早々には、中田英寿と中村俊輔を個別に呼んで「キミたちはチームの顔だ。だから直訴してこない限り代えることはない」と伝えたという。
実際ジーコは、ドイツ大会初戦でもコンディションの整わない中村をスタメン起用。確かに中村のキックから幸運な先制点が生まれた。だが後半の采配には、対戦相手のオーストラリアを率いる監督叩き上げのフース・ヒディンクとの力量の違いが浮き彫りになった。
ヒディンクは開幕直前のドイツとの親善試合(2-2)を見て、日本を分析していた。
「中田英と中村からスピードあるフォワードへのパスを寸断するのがポイントで、ミッドフィルダーを制する必要がある。終盤には課題を抱えている」
1点を追うオーストラリアは、61分に194センチのジョシュア・ケネディを入れてFWを増やし、ストレートなロングボールを送り込むように指示。全体も押し上げてプレッシャーをかけ続けることで、セカンドボールも次々に回収していく。逆に炎天下で後手に回った日本は、心身も頭脳も疲弊していった。こうした流れでオーストラリアは、84分、その後も「日本キラー」ぶりが定着していくティム・ケーヒルがついに同点ゴール。日本は決壊したように一気に3失点して逆転負けを喫した。
結局日本の命運は、この初戦で決まった。続くクロアチア戦はスコアレスドローで凌ぎ、辛うじてグループリーグ(GL)突破の可能性を繋ぐが、3戦目の相手は優勝候補筆頭のブラジルである。玉田圭司の鮮やかなゴールで先制したものの、それがブラジルの起爆剤となったかのように4ゴールを畳み込まれた。
ジーコ自身は、日本サッカーにプライドを持ち心血を注ぎ込んで取り組んだ。だが一方でオーストラリアは、ヒディンクを予選のプレーオフ直前に招聘しながら、クロアチアを抑えてGLを突破し、優勝したイタリアをアディショナルタイムまで苦しめた。明らかに日本代表の敗因はジーコを選任したJFAにあったが、川淵会長は丁寧な検証もなく大会開催中に早々と失言という体裁で次期監督(イビチャ・オシム)を発表してしまった。
日本が戦ったグループFを3戦全勝で終えたブラジルは、連覇が有力視されていた。前回大会では25分間しかプレー出来なかったカカがミランで大ブレイク。ロナウジーニョは直前のUEFAチャンピオンズリーグでバルセロナを優勝に導き、パワフルなアドリアーノも台頭、ロナウドも健在で、ジュニーニョ・ペルナンブカーノのFKは欧州で猛威を振るっていた。何より前年のコンフェデレーションズカップでは、決勝戦でライバルのアルゼンチンを4-1と圧倒。充実ぶりを証明していた。
ブラジルは、ラウンド(R)16でもガーナを3-0で退けて開幕から4連勝。ロナウドは、この試合で大会通算15ゴール目を挙げ、ゲルト・ミュラーの記録を塗り替えた。
ブラジルとは対照的に、フランスの評価は芳しくなかった。レイモン・ドメネク監督が世代交代を試みたものの成果が挙がらず、ジネディーヌ・ジダンら1度代表を退いたベテランたちを呼び戻して建て直しを図った。だがGLでは初戦からスイス、韓国と連続して引き分けてしまう。3位の韓国を勝点1の差で抑えての2位通過だったために、準々決勝でブラジルと当たることになった。
だがノックアウトステージに入り、フランスは一変した。R16ではスペインにダヴィド・ビジャのPKで先制を許すが、3ゴールを連ねて弾みをつけた。そしてブラジルとの天王山で真価を見せつけたのがジダンだった。ブラジルのカルロス・アルベルト・パレイラ監督が「ここ10年間で最高の選手の一人。ピッチのどこにでも現れて試合をコントロールした」と脱帽したように、終始攻撃を操りティエリ・アンリの決勝ゴールも演出。1-0ながら快勝だった。
また育成に長けた知将ホセ・ぺケルマンが率いるアルゼンチンは、GLでセルビア・モンテネグロに6-0で大勝するなど爆発的な攻撃力も示し、R16ではメキシコを延長戦の末に2-1で下して、開催国ドイツとの準々決勝を迎えた。滑り出しは好調に主導権を握り、そのまま49分にCKからロベルト・アジャラのヘッドで均衡を破った。ところが残り20分を切り、ぺケルマン監督はトップ下のファン・ロマン・リケルメを下げ、守備的MFのエステバン・カンビアッソを送り込み逃げ切りを図る。それが裏目に出て終了10分前に、ドイツのミロスラフ・クローゼに同点弾を許した。
しかもリケルメを途中で下げた指揮官は、19歳の誕生日を迎えた切り札のリオネル・メッシを使わないまま120分間を終えてしまう。PK戦ではドイツの強さが再度クローズアップされた。82年スペイン大会以降4度のPK戦を重ねて全勝。失敗したキッカーも82年大会のウリ・シュティーリケだけで、この大会でも4人全員が決めて圧勝した。
こうして南米二強が準々決勝で散ったので、ベスト4は欧州勢が独占することになった。開幕まで1か月を切った時点で、イタリアサッカー界はユベントスのGMルチアーノ・モッジのスキャンダルで揺れていた。イタリア連盟にレフェリー選出の圧力をかけ、他チームの試合結果を操作したことなどが明るみになり、ユベントスは直前のシーズンのスクデットをはく奪されセリエBに降格。ジャンルイージ・ブッフォンやファビオ・カンナヴァーロらも家宅捜査を受けた。だがこうしてチームを喧噪が包まれる状況は、1982年スペイン大会で優勝した時と似ていた。
イタリアは群を抜くパフォーマンスを見せるブッフォンと、キャプテンのカンナヴァーロの卓越した読みが際立ち、準々決勝までの5試合で1ゴールしか許さなかった。ただしマルチェロ・リッピ監督を悩ませたのは、カンナヴァーロとCBのコンビを組むアレッサンドロ・ネスタがGLで故障してしまったことで、ドイツとの準決勝ではマルコ・マテラッツィを起用。この抜擢は、大会の行方も大きく左右することになった。
ワールドカップでのイタリアは、ドイツとの相性が良く過去3度の対戦では2勝1分と負けていなかった。この夜も総じてイタリアが主導権を握りながら試合を進め、延長戦に突入。ちょうど82年大会で優勝した日に生まれたアルベルト・ジラルディーノのシュートがポストを叩き、ジャンルカ・ザンブロッタの右足もゴールを脅かす。
こうして延長戦の終了1分前、アレッサンドロ・ピルロのスルーパスを、ファビオ・グロッソがダイレクトで巻き込んでついに均衡を破る。さらに2分後には、交代出場したばかりのアレッサンドロ・デル・ピエロが、得意のゾーンから蹴り込んで決着をつけた。だが地元ドイツのファンも最終的には3位も確保する代表チームの躍動には納得したようで、おおむね暖かい拍手で健闘を讃えた。
そして翌日は、フランスが2年前に自国開催のEUROで準優勝したポルトガルと対戦した。ポルトガルを指揮するのは、前回ブラジルを優勝に導いたルイス・フェリペ・スコラーリ。異なる2か国での連覇がかかっていた。
スコラーリ監督は「フランスが我々より良かったとは思わない」と振り返り、実際ポルトガルはポゼッションでもシュート数でも上回った。だがフランスは、33分、アンリがリカルド・カルヴァーリョに足をかけられて獲得したPKを、ジダンが左隅に蹴り込み、それが決勝ゴールとなった。
7月9日、20時。決勝戦が動き出す。いきなりアンリがフルスプリントをかけ、カンナヴァーロがブロック。まだベルリンには、30度の暑さが残っていた。
開始7分、フランスのフローラン・マルーダがマテラッツィにチャージを受けると、主審は確信を持って笛を吹きペナルティスポットへとダッシュした。2戦連続でPKを任されたジダンは、趣向を変えてループで狙い、微妙に感触が狂ったのかクロスバーを叩くが、下側に当たってラインの内側へと跳ねた。
だが19分、今度はPKを与えてしまったマテラッツィが、ピルロのCKを頭で叩き、イタリアが追いつく。後半はジダンが起点となってゲームを構築し、前線でアンリが活発にチャンスの創出を主導したフランスが攻勢に出たが、ゲームは1-1の均衡を保ったまま延長戦に入った。
フランスがさらにギアを上げる。新星フランク・リベリーがゴールを脅かし、ジダンの決定的なヘッドを元チームメイトのブッフォンが阻止。
「もうイタリアはPK戦しか考えていない…」
多くのフランスの選手たちは、そう感じ始めていた。ところが延長後半が始まって間もなく、ゲームは唐突にバランスを欠いてしまう。ジダンの番人としてシャツを掴んでいたマテラッツィが離れ際に囁く。すると踵を返したジダンが、マテラッツィに頭突きをした。必然のレッドカードを受けたジダンがロッカーへと消えていく。それはそのまま現役生活の終焉を意味していた。
結局PK戦では5人全員が成功したイタリアに対し、フランスは2人目のダビド・トレセゲが失敗したために5-3で決着した。94年大会決勝でブラジルに、98年大会準々決勝ではフランスに、PK戦で敗れたイタリアは、ようやくこの方式を味方にして4度目の優勝を手繰り寄せた。
フランスのドメネク監督は皮肉った。
「MVPはピルロではなくマテラッツィだ。同点ゴールを決めて、ジダンを挑発して退場にしたんだから」
大会後にFIFAは、ジダンには3試合の出場停止、罰金、社会貢献活動、またジダンに侮辱的な発言をしたマテラッツィにも、2試合の出場停止と罰金の処分を下した。
文●加部究(スポーツライター)
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