今やどこへ行っても「禁煙」が当たり前。喫煙者は肩身の狭い思いをしているが、昭和の時代は飛行機内はもとより、映画館、果ては病院の待合室まで、この国にタバコを吸えない場所など存在しなかった。
コンプライアンスでガチガチの現代だが、そのコンプライアンスなる言葉すらなかったかつては、今となっては「不適切な昭和」。
今思い出せば正気を疑いたくなる「昭和のタバコ事情」はまさしく、「不適切」の象徴だった。
今の若者が昭和の記録映像を見れば、まず間違いなく「火事か?」と叫ぶことだろう。例えば映画館。当時は上映中の客席でプカプカやるのが当たり前で、人気作品ともなれば、観客の吐き出す紫煙で銀幕がかすみ、感動のラストシーンが霧の向こう側に……ということが珍しくなかった。
座席の肘掛けには当然のように灰皿が備え付けられ、満席になれば床に吸い殻をポイ。清掃員がホウキで吸い殻の山を掃き出す光景は、昭和の日常であった。
さらに驚愕すべきは病院で、健康を取り戻す聖域の待合室に鎮座するのは灰皿。病人や妊婦が隣にいようが、お構いなし。それどころか、白衣を纏った医師が診察室でタバコを指に挟み、「ちょっと肺の音が悪いねぇ」などと診断を下す、シュールを通り越したブラックジョークが横行していたのである。
そんなわけだから当然、テレビ番組でも今では考えられない光景が繰り広げられていた。あの「徹子の部屋」では、ゲストが悠然とタバコをくゆらせながらトークを展開。黒柳徹子のマシンガントークの横で、昭和の名優たちが美味そうに紫煙を吐き出す。
今の地上波なら間違いなく放送倫理委員会により、一発アウトの騒ぎになるだろうが、当時はそれが「洗練された大人の姿」として、ごく普通に茶の間に流れていたのである。
男性の喫煙率は驚異の82%だった!
教育現場も同様だ。学校の職員室、教諭の机にはマイ灰皿があり、説教を食らう生徒の鼻先には、常に担任のタバコの煙が漂っていたのである。
となれば、勤務先の会社も。各従業員のデスクには灰皿が置かれ、仕事をしながら、電話をしながらプカプカと煙を吐き出す。そんなところに取引先の人が訪問、フロアの壁は黄色くなっていた。
ではなぜ、これほどまでにタバコ無法地帯が存在できたのか。理由は単純に、圧倒的な喫煙者の数だった。昭和40年代、日本人男性の喫煙率は驚異の82%。つまり右を見ても左を見ても、男は全員「歩く煙突」だったのである。
駅のホームだろうが、階段や改札だろうが、吸い放題。地方のローカル線の座席には、普通に灰皿が設置されていた。電車が来れば吸い殻を線路へ放り投げて乗車するのが「粋な所作」とされた。新幹線は当初、禁煙車はわずか1両で、非喫煙者は煙に燻されながら移動するしかなかった。
だが2003年の健康増進法施行を境に、風向きは一変。かつての特権階級だった喫煙者は「絶滅危惧種」として、街の片隅のガラス張りの檻(喫煙所)に押し込められることになったのである。
(乾章)

