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【Do My Best, Go!|木俣椋真・男子スノーボード|前編】「しっかりと準備ができていなかった」――北京五輪落選から始まった、もう一度の4年間

【Do My Best, Go!|木俣椋真・男子スノーボード|前編】「しっかりと準備ができていなかった」――北京五輪落選から始まった、もう一度の4年間

アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、スノーボードのビッグエアとスロープスタイルでミラノ・コルティナオリンピックに出場、ビッグエアで銀メダルを獲得した木俣椋真さん。第一線で活躍するまでの経緯、その土台となる食への意識、今後への思いなどを聞いた。


――スノーボードを始めたきっかけを教えてください。

 3歳の頃、父親に連れて行ってもらったのがきっかけでした。当時の記憶はほとんどないですが、何回も「行きたい」と言っていたみたいです。まだ滑れなかったので上までリフトで登ってちょっと練習してから、親におんぶしてもらって下まで降りる、みたいな感じだったと聞いています。

――ご自身の記憶にあるなかで「スノーボードが楽しい」と感じたのはいつ頃ですか?

 小学1年生ぐらいから雪山で遊ぶ友達もできて、一緒に滑ることが楽しかったという思い出があります。家は名古屋なので、滑るときは岐阜のスキー場まで毎週土日で行っていました。楽しかったので遠くて大変と感じることはなかったですね。

――本格的に競技としてスノーボードに取り組むようになったのはいつ頃だったのでしょうか。

 地元の大会に出るようになったのは小学1年生の頃でした。当時、バンクーバーオリンピック(2010年開催)のハーフパイプをテレビで見て、それに憧れてオリンピックを目指そうと取り組み始めました。――そこから現在のビッグエアやスロープスタイルに転向したのはいつだったのでしょうか?

 中学2年のときです。ハーフパイプの動きが左右に一定であるのに対して、スロープスタイルのアイテム(※レールやボックスなどトリックに使う設置物)を使う動きが好きになって、スロープスタイルをやろうと思いました。あわせてビッグエアも始めることになりました。

――早くからオリンピックを目指して活動をされてきましたが、学生という立場との両立はどのようにしていたのでしょうか?

 中学も高校も学校は通っていたので、基本に土日だけ雪山に行って、海外に遠征するときは休みを取る形で活動していました。高校では平日はジムでトレーニングなどするようになりましたが、中学時代は週末の練習以外ではトレーニングはしていませんでした。宿題も多かったですし、厳しい学校だったので勉強もちゃんとしていました。

 僕は学校に行きながら競技を続けることができましたが、これからトップを目指そうという選手たちには学校との両立はかなり難しいと思います。今、トップを目指して練習している子どもたちは夏も冬も山にこもる生活をしていて、練習時間が取れない選手が結果を出すことは難しい環境になりました。僕自身は1年間ずっとスノーボードに取り組めるようになったのは学校を卒業してからでしたが、下の世代をみるとスノーボードを中心に生活をしている子どもが本当に多くなったと感じています。
 ――高校生2年生だった2019-202シーズンにはユースオリンピックや世界ジュニア選手権のビッグエアで優勝したのをはじめ、実績も積み重ねていきました。その中で2022年の北京オリンピックが近づいてきましたが、オリンピック日本代表に届きませんでした。

 周りの選手と比べると遅咲きだったと思います。世界ジュニア選手権も参加できる最後の年齢での優勝でした。それもあって、自分のなかではオリンピックの選考レースが急に始まったという感覚があって、しっかりと準備ができていなかった。選考途中で怪我もしてしまい、オリンピックに出場するための意識が不足していたのかなと思います。

――落選から再び前を向けたのはいつ頃だったのでしょうか。

 北京五輪の代表になれなかった後、スノーボードを続けるか、それともやめるのかの話し合いをして「あと4年頑張ってやろう」と決めました。その決断ができたので落ち込んでいる期間はそれほどは長くなかったと思います。
 ――北京オリンピックの翌シーズンは強化指定から外れました。そうなると活動資金の負担が大きかったのではないでしょうか。

 そうですね。1年間は親にお金を借りたり、経済的には本当に大変でした。それでも4年やると覚悟を決めて強化指定選手に戻ることもできたので、大変な時期ではありましたが気持ちはブレなかったです。

――そうした状況のなか、現在、所属されている株式会社ヤマゼンとの契約はどういう形で決まったのですか。

 小学1年生のときに滑っていたスキー場で良くしていただいた恩師のような方がいて、その方をきっかけにヤマゼンとのご縁をいただきました。ヤマゼンの社長もスノーボードが好きなので、恩師の知り合いを何人か呼んでチームとしてやっていこうと迎え入れて頂いたことが経緯です。

 僕が一番お世話になっているスポンサーで、社長も僕のことをすごく可愛がってくださいます。なかなか結果が出せなかったときに「オリンピックに出る選手をサポートしたいわけじゃなく、あなたのことを一人の人間としてサポートしたい」と直接電話をくれるような方で、親と同じくらい感謝をしています。

 ミラノ・コルティナオリンピックの選考期間だった2024-2025シーズンは不調な時期が続きましたが、世界選手権のビッグエアで優勝することができました。その世界選手権の前にも電話をくれて「いつでも味方だよ」という言葉をいただいて、それが大きな力になりましたね。


<プロフィール>
木俣椋真(きまたりょうま)
2002年7月24日生まれ、愛知県名古屋市町出身

3歳でスノーボードを始める。小学生の頃から大会に出場。享栄高校2年生だった2019-2020シーズンの世界ジュニア選手権で優勝、ワールドカップ2位になる。2023年世界選手権スロープスタイルで日本男子初のメダルとなる銀メダルを獲得、2025年世界選手権ビッグエアでは金メダル。2026年ミラノ・オリンピックでは2種目に出場しビッグエアで銀メダルを獲得した。
配信元: THE DIGEST

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