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【連載】onodela「アナーキーアイドル」#12 ウォール街を抜け出して、アイドルになる話

【連載】onodela「アナーキーアイドル」#12 ウォール街を抜け出して、アイドルになる話

ニューヨークでの撮影
ニューヨークでの撮影 / 本人提供写真

2019年7月に、ステージ上でいじめを告発した動画がバズり、アイドルを引退した「小野寺ポプコ」。その後、早稲田大学を卒業、カリフォルニア大学バークレー校へ留学し、卒業生代表としてスピーチをしたことも話題だ。物議を醸したあの日から一体どんな未来に繋がっていったのか。現在、onodelaとして活動する彼女が自身の言葉で書き綴るエッセイ「アナーキーアイドル」。連載最終回である今回は、ウォール街を抜け出して、アイドルになる話についてお届けします。

■#12 ウォール街を抜け出して、アイドルになる話

ニューヨークにある世界有数の金融街であるウォールストリートには、ずっと前から憧れがある。子どもの頃から『Billions』のような作品を見て、ここが世界で最もエリートの人たちが働く場所なのだと思っていた。彼らは資金を調達したり、企業を買収したり、ビジネスの世界を動かしている。
その世界に近づくために、金融の勉強を続けている。大学ではそれを専攻し、空いた時間もインターンに使い、気づけば平日のほとんどの時間を金融に費やしていると言っても過言ではない。そして、テキサスでの勤務を経て、わたしは実際にこの場所に立った。

ウォール街で働くことは、ある種の到達点のように考えていた。最初に街を歩いたとき、視界に入ってくるものは、これまで見てきたどの都市とも違っていった。高層ビルが隙間なく立ち並び、車の流れが途切れることはない。スーツ姿の人々、早足で電話をしながら歩く人、ときにぶつかりそうになるほどの速さで、人々は前へ進む。路肩には常にタクシーが並び、どこかでサイレンの音が鳴っている。

数年前に一度旅行で訪れたことがあるが、そのときとは見え方がまったく違っていた。観光客として眺めていた景色が、いまは自分の生活の一部になっている。どこか現実味が薄く、まだ完全には実感できていなかった。

拠点を変えてから約3ヶ月が経つ頃、プロジェクトにも一つの区切りが見え始めていた。担当している市場予測モデルを引き続き改善し、ようやく実際に運用できる段階にまで持っていく。ただ、それは「完成した」というより、「使える形になった」という方が近かったかもしれない。モデルの構造自体は複雑で、仕組みを理解するには一定の時間が必要になる。実際、このモデルの構築過程を最も深く理解しているのは自分だけであり、その内容を上司に説明するだけでも相当な時間を要す。

その結果、上司自身はモデルの全体像を把握できるようになるが、次の課題がすぐに見えてきた。このモデルを、チームや会社の他のメンバーにも使える形で共有しなければならないという点。ここで初めて、「作ること」と「使われること」は全く別の問題であると気づいた。

ただ、それ以上に大きいのは、自分の能力に対する認識の変化である。これまで曖昧だった「できるかどうか」という不安が、「やればできる」という前提に、少しずつ置き換わっていった。その中で、まだ早いという感覚はありつつも、会社に頼らず自分で何かをやってもいいのではないかという考えが浮かび始めていた。

一方で、このチームで働く中で、繰り返し指摘されていることがある。それは、自分が作ったモデルをめぐる、周囲とのコミュニケーションについてである。
当初は、「コミュニケーションが不十分」と言われる意味を十分に理解できていなかった。周囲と良好な関係を築き、作業が終われば報告する。その程度で十分だと思っていた。しかし、実際にはそれでは足りない。

本当に必要なのは、情報を適切なタイミングで共有し、自分が何をしているのか、どこで詰まっているのかを明確に伝えることである。そうすることで、自分一人では解決できない問題に対して、適切な人から助けを得ることができる。また、自分の作業内容を共有することで、他のメンバーが同じことに時間を費やすのを防ぐことにもつながる。

さらに重要なのは、どれだけ良いモデルを作ったとしても、それが使われなければ意味がないという点である。プロジェクトの価値は、完成度だけではなく、それがどれだけ他者に理解され、実際に使われているかによって決まる。こうしたことに気づくのは、むしろ少し時間が経ってからであった。

もともと、人と足並みを揃えることが得意なタイプではない。そこに時間とエネルギーを割き続けることに対して、強い納得感を持てないままでいる。その少しずつ積み重なっていく違和感が、この会社を離れ、独立するという選択を考え始める一つのきっかけになった。

そうした中で、まったく予想していなかった形で、チャンスが現れた。

ニューヨークのスカイライン
ニューヨークのスカイライン / 本人提供写真



ある日、特に目的もなくインターネットを見ていると、一つの重大発表が目に入る。学生の頃からずっと好きだった女性芸能人が、新しくアイドルグループをプロデュースするということ。

「推しが、アイドルグループをプロデュースする?!」

彼女は、特に女性ファンの間での人気が高く、名前を聞けば誰もが知っているような存在。もともと、心のどこかに、もう一度アイドルとして活動したいという気持ちは残っていた。ただ、それはあくまで可能性の一つであり、現実的な選択肢として考えたことはほとんどない。

それでも、もし挑戦するのであれば、このタイミングなのかもしれないと思った。深く考えもせず、応募フォームを入力して送信。
アメリカにいるという状況も、その時点ではあまり意識していない。ただ、機会が目の前にあるのであれば、とりあえず手を伸ばしてみる、それだけ。

その後、まさか一次の書類審査を通過。続いて二次審査があるが、本来は東京で対面で行われる予定だったものを、自分の都合でオンラインに切り替えてもらった。なんと、二次審査も通過してしまった。

最終審査は東京での選考になる。ここまで進んだ時点で、ほとんど迷いはなかった。上司に1週間の休みを申請し、日本へ向かう。社会人としてはかなり突発的な行動であるが、いつまでも続く仕事よりも、そのときにしかない自分の衝動や情熱を優先したいという思いが芽生え始めた。

成田空港からオーディション会場に直行し、しばらく待機した。やがて、他のスタッフとともに、一人の女性が現れた。細身で、整った顔立ちをしており、圧倒的な存在感を放っている。近くで見た瞬間、それが自分が長い間憧れてきた方であることに気づく。イベントで握手したときとは違い、一瞬でいなくなる存在ではなく、一人の人間として目の前にいる。

距離の近さに、一瞬だけ頭が真っ白になった。それでも審査は始まり、用意していたことを一通り話す。どれだけ自分の言葉が正確に伝わっているのかは分からない。ただ、目の前の時間に集中することだけを考え、約1時間ほどの選考が終わった。

数日後、結果が届いた。合格していた。

その連絡を受け取ったとき、気持ちが大きく揺れた。この機会は間違いなく二度とないものだと分かっている。もう一度アイドルとして活動し、表に立つことへの願望も、自分の中に確かに残っている。それも、長年憧れてきた人のもとでできるのであれば、これ以上の環境はないようにも思える。
一方で、日本で生活していた頃の感覚も思い出した。どこか息苦しさのようなものを感じながら、別の生き方の可能性を探していた日々。そこから離れ、アメリカに来た理由も、改めて思い出していた。これまで過ごしてきた環境の外に出て、まったく違う世界を見てみたいと思ったから出てきたのに。

合格は、正直まったく予想していなかった。オーディションの雰囲気を一度見てみたい程度の軽い気持ちで応募した。それが、そのまま最終審査まで進み、結果が出た。そのため、すぐに結論を出すことができなかった。事務所側からは、返答の期限を定めたうえで、一度アメリカに戻って考えてもよいと許可をもらった。加入の準備が整えば、2ヶ月後には他のメンバーと合流し、デビューに向けた活動が始まるという。

いったんニューヨークの自宅に戻った。日本での数日間の出来事が、どこか現実ではなかったかのように感じられて、その余韻だけが残っている。
そのまま仕事に戻り、日常が再開。誰にも話せない迷いを抱えたまま、出社を続けた。そして、あらかじめ決められていた、事務所への加入可否の返答期限が近づいてきた。

どこか苦さを感じつつ、合格を辞退することにした。明確にこれだと言える理由はない。ただ、いくつかのことが足を引っ張っていた。
ひとつは、いまアメリカで築き始めているものを手放すことへの、どこか惜しさに近い感覚である。留学生として来て、ようやく社会人になったばかりである。まだ十分な基盤があるとは言えない状態で離れてしまえば、同じ場所に戻ることは難しいかもしれない。
もうひとつは、自分自身に対する不確かさである。どこかで、自分がまだ未完成であるという感覚が残っている。その状態のまま、長年憧れてきた推しの前に立つことに対して、ためらいがあった。いずれにしても、はっきりとした結論を持たないまま、その選択肢を手放そうとしている。ただ、以前とまったく同じ生活には、もう戻れないような気もする。

会社でのプロジェクトも終盤に差し掛かり、大企業で学べることも、多くは経験できていると感じていた。もちろん、すべてを理解したわけではないが、少なくとも「どうやって学ぶか」、自分の中でやるべきことの全体像も、ある程度見えてきている。だからこそ、もっと自分の短所を飛び越えて、長所を思いきり発揮したいという気持ちが強くなっていった。
会社という枠組みの中で協働している限り、この満たされていない感覚は消えないようにも感じ、時間が経つにつれて、少しずつ無視できないものになっていった。

ある時、ふとしたきっかけで、しばらく更新していなかったSNSを開いた。自分の生活の1ページを、誰かに見てもらいたくて、ニューヨークでの生活を、軽く記録するような形で投稿を始めた。
そうした投稿を続ける中で、一つ気づくことがあった。自分は、何かを発信することに対して、まだはっきりとした熱意を持っている。そして、誰にも縛られず、思いのままに創作することにも強く惹かれていることにも。

もうアイドルとは無縁の人生を歩むのだろうと思いかけていたが、別の形で舞台に立つ機会がやってくる。


SNSでの発信を続ける中で、少しずつ認知度が上がり、ニューヨークでのイベントに呼ばれることになった。
音楽に合わせてステージに立ち、観客に向かって手を振る。その瞬間、数年前日本で初めてアイドルになって感じていた感覚が、ほとんどそのまま戻ってきた。自分はやはり、この時間が好きなのだと、はっきりと確信した。
その気持ちが、やがて一つの決断へとつながっていく。

出演から一週間ほど経った頃、会社に感謝の気持ちとともに、退職の意思を伝えた。一度ニューヨークでイベントに出演しただけで会社を辞めるというのは、客観的に見ればかなり無謀な判断に映るはず。だけど、これまでも常にぎりぎりの状態の中で判断を重ねてきているわたしは、安定そのものを優先していない。こうした大きな選択をするとき、いつもお父さんに言われてきたことを思い出す。

「長期的な視点を持ち、5年後や10年後にどうなっているかを考えること」
「どの状況でも、複数の選択肢を持てるように土台をつくっておくこと」

これまで徹底してきたこの二つの考え方に照らしても、今回の選択については、5年後や10年後の姿をまったく想像できていない。それでも、少なくとも今の自分は、会社を辞めても立っていられる状態を、自分なりに用意できた。

長い間、自分が何をしたいのか分からないまま、ただ手探りで生きてきた。その中で、初めて、こういう形であれば進んでみてもいいのではないかと思える方向が見えてきた。
アメリカで、日本発のアイドルとして活動してみたい。これまでに身につけてきた金融やプログラミングのスキルを使い、フリーランスとして収入を得ながら生活を維持しつつ、同時に自分の表現活動を開花させていきたい。

これまで誰も歩いてこなかった道ではあるが、日本のアイドル文化に対する強い愛着と、異国で自分にしか作れないものを作ってみたいという気持ちがある。この挑戦は、自分にとって最も厳しく、同時に最も楽しい試みなのかもしれない。すでに形が整っている秩序に対して、どこか反抗心を持っている自分だからこそ、まだ形のない場所に、自分で踏み込んでいきたい。だって、人生はアナーキーの連続だから。

一度終わったと思われた側に立つ人間でも、もう一度アイドルとして輝けることを、わたしが証明したい。

【写真】ニューヨークでのアイドル活動の様子
【写真】ニューヨークでのアイドル活動の様子 / 本人提供写真

ニューヨークでのアイドル活動の様子
ニューヨークでのアイドル活動の様子 / 本人提供写真


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