左右反転動画が嫌いだ。いわゆる「鏡像(きょうぞう)」の動画だ。右利きのギタリストが左利きになったり、左目の下にほくろがあるYouTuberのほくろが右目の下に移動したり、文字が鏡文字になったり。好きな映画のワンシーンがなんかおかしい。よく見ると左右が逆なことに気づく。YouTubeのショート動画なんかをボーっと見ていると、よくこんなコンテンツに出くわす。他人の動画を無断で使用していることがばれないよう、わざと反転させていることがほとんどだ。鏡像動画であることがわかると、心底がっかりする。
映画のように作り込んだ映像作品の場合、鏡像にしてしまうと、制作者が意図した心的効果を完全に無効化してしまう。例えば役者が右から左、左から右と歩く方向にはそれなりの意味と理由がある。計算して完成された映像が、小銭稼ぎの素材に貶められてしまう。作品への冒涜だ。最近の著作権管理システムは高機能。鏡像にしたぐらいでは見逃してはくれない。下手をすればアカウント停止の憂き目を見る。いずれバレる。無駄な抵抗はやめて、鏡像を使うのはやめてほしい。
さらに厄介なのはスマートフォン(スマホ)を使ったライブ配信だ。設定上は「正像(正しい向きの映像)」で配信されているはずなのに、なぜか鏡像になってしまう場合がある。例えば、iPhoneのインカメラでYouTube Liveを行う場合などがそうだ。iPhoneの仕様で、プレビュー画面、つまり自分のiPhoneに表示される映像は常に鏡像。配信映像はカメラの設定による。「前面カメラを左右反転」という項目を「オフ」にすれば、正像で配信される。これがわかりにくい。また、YouTube Liveなどではこの設定が反映されず、鏡像になってしまうケースもあるようだ。確認するには、別のスマホやPCで、実際の配信映像を見てみるしかない。原因がスマホ側にあるのかYouTube側にあるのか、一概には言えないようだ。こうした状況が鏡像動画大量生産の温床にもなっている。
確かに、実際に会ったこともないYouTuberの顔が鏡像になったとて、全てがそうなら気にならない。しかし、通常動画では正像、ライブでは鏡像と混在すると困ったことになる。人間の顔は左右対称ではなく、微妙に違っている。顔に分かりやすいほくろでもあろうものなら、なんか別人の顔に見えたりもする。鏡像と正像の両方を見せられるとかなり気持ちが悪い。さらには、鏡像のまま背景に文字が映り込んだり、書籍を紹介したりしようものなら、もう違和感だらけで直視できない。がっかりというより、見ていて大いに疲れてしまう。
脳に余計な負担がかかっている、というのが疲れの正体だ。鏡像は、いわば脳への暴力。例えば脳には「処理しやすい情報」を好み、「正しい」「心地よい」と感じる「処理流暢性」という性質がある。しかし、脳内で「座標変換」を強いる鏡像は、脳から余計なエネルギーの消費を強いる。また、画面に映った他人の動作を見る際、脳内では自分が動く時と同じ神経活動が起こる、と言われている。これを「ミラーニューロン」というそうだ。しかし鏡像を見せられることで、「次はこう動くはずだ」という予測が裏切られる。本来脳は、全消費カロリーの20%を消費する大食漢。そこで、できるだけ処理を簡素化しようとする。見慣れた文字や顔、光の当たり方や車の進行方向などで、脳は「過去の予測モデル」を適用して処理を手抜きし、エネルギーを節約する。鏡像によって、このシステムが壊されてしまうわけだ。
その昔、とある企業のPR誌の編集を担当していた。ある時、掲載した写真が鏡像になる「事故」が発生した。業界用語で言う「裏焼き」。アナログ写真時代の話だ。そのページは先輩編集者の担当だったが、取材先の中華料理店とクライアントに、一緒に出向いて平謝りしたのを思い出す。印刷所で誤ってフィルムを裏返してスキャンしてしまい、校正段階で発見できなかったのが原因だった。「事故」と表現していることからも分かる通り、裏焼きは決して起こしてはならない事象。読者に嘘を伝えたことになるうえ、被写体にもクライアントにも迷惑がかかる。幸い裏焼き事故は後にも先にもこの1回だけだった。
編集者にとって、写真を正像で印刷するのは当たり前以前の問題。おそらく今でも、出版物であれ放送コンテンツであれ、鏡像・正像のどちらでも良しとするものは皆無だろう。投稿動画の世界では、この点「ゆるゆる」だ。もちろん大多数の配信者は、正像を当たり前に配信している。そればかりか、玄人はだしの映像や編集技術で視聴者を楽しませている人も数限りない。こうした玉石混交であるところが、ネット動画の面白さでもある。しかし、鏡像を許容する文化はどうにも受け入れがたい。
C2PA(Coalition for Content Provenance and Authenticity)という団体がある。デジタルコンテンツの出所や真正性を保証するための技術標準を策定するために設立された。会員企業には、Google、Adobe、Microsoft、Meta、Amazon、OpenAI、BBC、Sony、Intel、Armとそうそうたる顔ぶれが並ぶ。キヤノン、ニコン、富士フイルム、パナソニック、ライカなどカメラメーカーも加盟している。C2PAは「いつ、どこで、誰によって作られ、どう変更されたか」を暗号的に記録・検証できるようにする情報をコンテンツに書き込む仕組みだ。普及すれば、鏡像問題はある程度解決できる。制作過程で「動画が反転された」という編集履歴も記録できるからだ。
既にカメラへの搭載は始まっている。最初にC2PAのハードウェア実装を行ったメーカーはライカ。2023年10月発売のM11-Pに搭載した。そのほか、ソニーやキヤノン、ニコンのカメラにも搭載され始めている。Googleやサムスンのスマホへの搭載も進みつつある。コストがかかるため、ハイエンドモデルへの搭載が中心。C2PAが市民権を得るにはまだまだ時間はかかりそうだ。しかし、今後大きな社会問題になりそうなディープフェイク動画対策としても極めて有効。極めて精巧な動画生成エンジンを使って、一国の大統領にとんでもないことをしゃべらせる動画を公開しても、すぐに作り物だと見抜ける。YouTubeなどの動画プラットフォームで、C2PAデータを含むことを掲載の要件とすれば、鏡像動画を含めた「嘘」動画の氾濫を止めることができそうだ。(BCN・道越一郎)
![君は左右反転動画を許せるか? [道越一郎のカットエッジ]](https://assets.mama.aacdn.jp/contents/268/2026/5/1779615045165_h43j2ap7nqn.jpg?maxwidth=800)
