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「弱点が最大の武器になった」ノースカロライナ大の後輩が語るジョーダン論「そんな選手は彼以外に誰もいない」<DUNKSHOOT>

「弱点が最大の武器になった」ノースカロライナ大の後輩が語るジョーダン論「そんな選手は彼以外に誰もいない」<DUNKSHOOT>

かつてシカゴ・ブルズで2度の3連覇を果たしたマイケル・ジョーダンは、NBAの歴史において“史上最高の選手(GOAT)”の筆頭として語れるレジェンドだ。ノースカロライナ大の後輩にあたるケニー・スミス(元ヒューストン・ロケッツほか)が、大学時代のジョーダンについて語った。

 1984年のドラフト全体3位指名でブルズに入団したジョーダンは、類まれな身体能力を活かしたプレーで観る者を魅了。91~93年、96~98年にブルズを優勝に導き、そのすべてでファイナルMVPを受賞した。史上最多となる得点王10回、歴代トップの平均30.1点、88年には最優秀守備選手賞にも輝き、NBA50周年記念オールタイムチームとNBA75周年記念チーム選出、バスケットボール殿堂入りなど、その実績と影響力は、まさにNBA史においても別格と言えるものだった。

 また、NBA入り前、ノースカロライナ大1年時の82年のNCAAトーナメント決勝で優勝を決める決勝弾“ザ・ショット”を沈め、伝説の第一章として刻まれることになったのも語り草となっている。

 同大出身で、1983-84シーズンにジョーダンと共闘した経験を持つ元NBA選手のスミスはポッドキャスト番組『The Pivot Podcast』で、「マイケルがあれほどまでの存在(GOAT)になるとまでは当時は知り得なかった。でも、彼が誰よりも凄まじい努力家であることだけはわかっていた」と振り返った。
 「マイケルのキャリア初日から最終日までを振り返ってみると、NBAに入った時の弱点が引退する頃には最大の強みになっていた。そんな進化を遂げた選手は、彼以外に誰もいない。多くの選手は強みを持ってリーグに入り、それを磨くけど、彼は違う。最初は不安定だったハンドリングもシュートも、やがて誰にも止められない武器へと変わっていった」

 ジョーダンは、大学3年目のシーズン終了後にNBA入り。しかし、スミスによれば、「マイケルは、本当は大学を途中で辞めたくなかった」という。

「彼は(プロ入りの決断期限である)当日の朝まで待っていた。私が大学1年生の時、事務所から電話があって『マイケルがプロ入りを発表するかもしれないから記者会見に来るか?』と言われた。すごくショックだった。彼は4年生まで残って卒業スピーチをすることを何より楽しみにしていたから、辞めるなんて信じられなかったんだ」

 ジョーダンをよく知るスミスは、「私はマイケルの築いたレガシーを愛している」とリスペクトの念を示す。

「NBAファイナルに6回進出し、一度も負けることなくすべて優勝を勝ち取ったという事実は、本当に素晴らしいことだ。私たちが『彼こそがGOAT』だと言う時、この『一度も負けていない』という事実は揺るぎない根拠になる」

 スミスは世界的スターへと駆け上がる前のジョーダンに「特別な何か」をはっきりと感じ取っていたことを誇らしげに語っていた。

構成●ダンクシュート編集部

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配信元: THE DIGEST

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