カメラを畳に擦り付けて、可能な限り低く構えた。ファインダーを覗き込むと、凄まじい形相の男が座っていた。人を射ぬくような眼光。シャッターを切った瞬間、指先から全身に電気が走った─。
2017年7月2日、佐々木勇気五段(31)=現・八段=が、デビュー以来29連勝を続けてきた藤井聡太四段(現・六冠)を初めて破った。私はその日の朝の佐々木五段の顔が忘れられない。長年カメラマンとしてさまざまな現場を経験してきたが、人間からあれほどの殺気を感じたことはなかった。
将棋界は96年の羽生七冠達成をピークにブームは数年で去り、やがて将棋人気は低迷していった。“斜陽産業”とまで言われたが、16年10月に1人の天才棋士が登場し、神風を巻き起こす。史上最年少の14歳3カ月でプロ入りを果たした藤井聡太である。
当時、私はフリーカメラマンとしてグラビア撮影を中心に活動していたが、再び将棋界の取材へと入っていく。そんな中、親しい編集者から「将棋の本を書いてみないか」と言われる。すでに藤井関連の本はいくつも出版されていたが、それらとは一線を画するものを作りたいという。
テーマは「師弟」に決まった。将棋界は江戸時代の家元制に始まり、400年の歴史を持つ。その伝統を重んじる世界で、現在もプロを目指すには棋士の門下への弟子入りから始まる。
しかし、育成機関の奨励会には全国から「天才」と呼ばれる子供たちが集まり、競争は熾烈を極める。青春の全てを将棋に注ぎ込んでも、プロになれる者は2割弱しかいない。師となることは、1人の子の人生を預かるに等しいのだ。
1作目の「師弟 棋士たち 魂の伝承」(光文社)の中では、森下卓九段(59)・増田康宏四段(28)=現・八段=の章が注目を集めた。当時19歳の増田が、「師匠の考え方は古い」と反論したのだ。かつては「師匠が白いものでも黒と言ったら黒」とまで言われた棋界だが、世代間の意識の違いが強くあることが印象づけられた。
2作目となる「絆 棋士たち 師弟の物語」(新潮社) では杉本昌隆八段(57)・藤井聡太二冠(現・六冠)の対談を行うために、杉本の将棋教室に集まってもらった。そこは藤井が子供時代から通った場所であり、少年の日の面影とタイトルホルダーとなった姿を重ねながら撮影をした。
意外にも杉本はウルトラマンなどの怪獣のフィギュア好きで、それを藤井に見せながら「知ってる?」と聞いていたのが微笑ましかった。
野澤亘伸(のざわ・ひろのぶ)カメラマン・ノンフィクション作家。1968年生まれ。上智大学卒業後、写真週刊誌「FLASH」専属カメラマンを経て、フリーランスとして活躍。小学生の頃から将棋に親しみ、各種媒体で棋士の取材を行う。「師弟シリーズ」第1作で将棋ペンクラブ大賞を受賞。

