
中世の修道院に眠る墓を開くと、そこには歴史書だけでは見えてこない人々の人生が残されていました。
スペイン・バルセロナにある王立サンタ・マリア・デ・ペドラルベス修道院で、14世紀の墓8基を対象とした大規模な調査が行われました。
この修道院は、アラゴン王ハイメ2世の王妃だったアリゼンダ・デ・ムンカーダが関わった重要な宗教施設です。
創建700周年を記念して始まった今回の研究では、アリゼンダ本人の墓を含む創建期の墓が開かれ、合計25人分の遺骨が考古学、人類学、古代DNA分析などによって調べられています。
その結果、王妃の遺骨は中世の木箱に納められていたことが確認されました。
一方で、別の墓からは、顔にナイフによるものとみられる傷を負った人物や、刺し傷のある男性の頭蓋骨、妊娠中に亡くなった女性の遺骸も見つかっています。
目次
- 修道院の創建者だった王妃アリゼンダ
- 墓は後世に開かれて、再利用されていた
修道院の創建者だった王妃アリゼンダ
アリゼンダ・デ・ムンカーダは、1292年に有力貴族ムンカーダ家に生まれました。
1322年、彼女はアラゴン王ハイメ2世と結婚し、アラゴン王妃となります。
ハイメ2世は「公正王」とも呼ばれ、現在のスペイン東部にあたる地域を治めた王でした。
アリゼンダとの結婚時、ハイメ2世はすでに前妻との間に10人の子どもをもうけており、アリゼンダは王妃であると同時に、王家の複雑な家族関係の中に入っていくことになりました。
しかし、彼女の名が強く記憶されている理由は、王妃だったことだけではありません。
1326年、アリゼンダはバルセロナに王立サンタ・マリア・デ・ペドラルベス修道院を創建したのです。

この修道院は、クララ会の女子修道共同体のための施設であり、王妃の信仰、政治的影響力、そして女性による庇護の象徴でもありました。
翌1327年にハイメ2世が亡くなると、アリゼンダは修道院の近くに建てた小さな宮殿に移り住みます。
彼女は修道女になったわけではありませんが、宮廷政治から距離を置き、修道院と密接に関わりながら晩年を過ごしました。
1364年に亡くなるまで、彼女はこの修道院のそばで生きたのです。
今回の調査では、そのアリゼンダの墓が初めて総合的に研究されました。
研究者たちが墓を開くと、教会と回廊の間にある空間の一角から、骨を納めた中世の木箱が見つかりました。
この墓の構造は、彼女の二重の立場をよく表しています。
教会側に近い位置では王妃としての権威を示し、回廊側に近い位置では祈りと悔悛(かいしゅん)の人としての姿を示していると考えられています。
つまり、アリゼンダの墓そのものが、彼女を「王妃」としても「信仰に生きた女性」としても記憶させる装置になっていた可能性があるのです。
遺骨の分析では、遺骸は約70歳の女性のものとされ、歴史書に記されたアリゼンダの死亡年齢におおむね一致していました。
骨には加齢に伴う変形性関節症の痕跡も確認されています。
また、彼女は質素な衣服で埋葬されていたとみられますが、墓の中からは金属糸を用いた絹織物の断片も見つかりました。
質素さと高貴さが同じ墓の中に残されていたことは、王妃でありながら修道院に寄り添って生きた彼女の立場を象徴しているようです。
さらに、ローズマリーやギンバイカなどの芳香植物も確認されており、葬送儀礼に植物が用いられていた可能性も示されています。
墓は後世に開かれて、再利用されていた
今回の調査で明らかになったのは、王妃アリゼンダの墓だけではありません。
研究チームは、創建期に関わる14世紀の墓8基を開き、合計25人分の遺骨を調査しました。
そこから見えてきたのは、墓が後世に再び開かれ、複数回にわたって再利用されていたという事実です。
たとえば、もともと騎士アルタウ・デ・フォセスの墓と考えられていた場所では、男性の遺骨は確認されませんでした。
見つかったのは、成人女性2人と子ども3人の遺骨です。
さらに、女性の一人では長いポニーテールが頭蓋骨につながった状態で保存されていました。
【その実際の画像がこちら。遺骨の画像が苦手な方は閲覧にご注意ください】
この発見は、墓の伝承や歴史的帰属が、実際の埋葬状況と必ずしも一致しないことを示しています。
また、王妃アリゼンダの姪であり、第2代女子修道院長だったフランチェスカ・サポルテリャの墓とされる場所からは、少なくとも9人分の遺骨が見つかりました。
そこには、刺し傷のある男性の頭蓋骨4つが含まれていました。
さらに、産道内に妊娠20〜23週の胎児の遺骸を伴う、女性のミイラ化した胴体も確認されています。
これらの人物が誰で、なぜ同じ墓に納められたのかは、現時点ではまだ確定していません。

ただし、墓の再利用や遺骸の移動が行われていたことは、当時の埋葬が単純に「亡くなった人を一度埋めて終わり」というものではなかったことを示しています。
墓は、家族、身分、信仰、記憶をつなぐ場所であり、時代の変化に応じて整理され直されることもあったのでしょう。
そして今回、特に謎を残しているのが、初代女子修道院長ソビラナ・オルゼットの墓です。
研究者たちは、彼女の生涯について知られている情報と一致する骨を確認しましたが、その顔には死亡直前、あるいは死亡時についたとみられる謎の外傷がありました。
この傷はナイフによるものの可能性があり、現在も詳しい調査が続けられています。
ただし、この傷がどのような状況で生じたのかは、まだわかっていません。
暴力によるものなのか、死後の処置や別の出来事に関係するものなのか、現段階で断定することはできません。
今後の分析によって、埋葬された人々の身元、血縁関係、生物学的な出自、場合によっては古代の病原体の有無まで調べられる可能性があります。
ただし、遺伝子解析はまだ初期段階であり、最終的な解釈は2027年ごろまで続く追加調査を待つ必要があります。
王妃アリゼンダの墓を開いた今回の研究は、単に有名人の遺骨を確認する作業ではありません。
そこから見えてきたのは、中世バルセロナで女性たちが築いた宗教共同体の姿であり、王妃、修道院長、子ども、身元不明の男性たちが、どのように死後の世界で記憶されてきたのかという問いです。
慎重に開かれたその墓からは、王妃の晩年、女性たちの信仰、再利用された墓の歴史、そしてまだ説明できない傷跡が、700年の沈黙を破って少しずつ姿を現しているのです。
参考文献
Skeletal remains of Queen Elisenda, one of the most powerful rulers in medieval Europe, unearthed in Barcelona — along with several others who bore unexplained stab wounds
https://www.livescience.com/archaeology/skeletal-remains-of-queen-elisenda-one-of-the-most-powerful-rulers-in-medieval-europe-unearthed-in-barcelona-along-with-several-others-who-bore-unexplained-stab-wounds
El Reial Monestir de Santa Maria de Pedralbes desvela noves dades sobre les tombes fundacionals amb l’estudi de 25 individus del segle XIV
https://premsaicub.bcn.cat/2026/05/28/el-reial-monestir-de-santa-maria-de-pedralbes-desvela-noves-dades-sobre-les-tombes-fundacionals-amb-lestudi-de-25-individus-del-segle-xiv/
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

