NBAの世界ではトレードやFA(フリーエージェント)で他チームへ移籍するケースが多々あり、プロ入りからひとつのチームでキャリアを終えるのは稀なことだ。
それはスーパースターに限らず、一流のスコアラーやスターター、ロールプレーヤーと、どんな選手であろうと当然該当する。移籍によって古巣チームとの対戦や、以前所属していたチームのホーム凱旋があり、元同僚と談笑しつつ、コート上で競い合うことで新たなストーリーが生まれるものだ。
1990年代中盤から2000年代後半にかけて、NBAで16シーズンをプレーしたロバート・オリー(元ロサンゼルス・レイカーズほか)は、キャリアで2度のトレードを経験。2003年夏にはFAでサンアントニオ・スパーズへ移籍した。
現地時間5月26日(日本時間27日)、ポッドキャスト番組『Legends Of Sport』へ出演した際、オリーは約7シーズン在籍したレイカーズを離れ、スパーズの一員になって迎えた2003-04シーズンに「気まずい思いをした」と明かしていた。
「初めてスパーズへやって来た時は、本当に変な感じだったな。自分のバスケットボールキャリアの中で、一番気まずい思いをしたと思うね。2003-04シーズンからスパーズに加入したんだけど、(開幕戦で)みんながチャンピオンリングを授与されているのに、私はベンチに座っていて、なんだか違和感があったんだ。
だって、僕はいつもならリングを受け取る側なんだ。あれは一番気まずいし、これまでで最悪の気分だった。ほんのちょっと前、このチームにボコボコにされたのにね」
1994、95年にヒューストン・ロケッツの2連覇に貢献した208㎝・109㎏のフォワードは、フェニックス・サンズを経て、1996-97シーズン途中にレイカーズへ加入。シャキール・オニール、コビー・ブライアントを支えるロールプレーヤーとして定着し、2000~02年に3連覇を経験した。
しかし2003年のプレーオフ、レイカーズはカンファレンス・セミファイナルで敗退し、チームの4連覇の夢は途絶えた。
そのシリーズで対戦したのがスパーズだった。ティム・ダンカンとデイビッド・ロビンソンの“ツインタワー”を中心に堅実なバスケットボールを展開し、レイカーズを4勝2敗で突破。勢いそのままに、球団史上2度目の優勝を達成した。
スターター起用されたオリーは、シリーズ平均4.3点、7.8リバウンド、1.8アシスト、フィールドゴール成功率26.2%と低調だった。武器の3ポイントも18本すべて失敗。第5戦では、決まれば逆転となる終盤の長距離砲を外すなど、本来の勝負強さを発揮できなかった。
レイカーズから、よりによってライバルチームのスパーズへ移籍したことで、“裏切り者”と非難されてもおかしくはないのだが、その当時をオリーはこう回想していた。
「レイカーズが土壇場で私を放出することになったから、スパーズに加入したんだ。行き先がなかったのさ。そこでスパーズが『お金ならあるから、うちに来ないか?』と誘ってくれてね。それで『オーケー』って感じで、そんな経緯でスパーズに加入したんだ」
キャリア最後の5シーズンをスパーズで過ごしたオリーは、2005、07年のリーグ制覇に貢献して計7回優勝。ベンチスタートとはいえ、要所で仕事を遂行し、ローテーションの座を確保して戦い抜いた。
NBA史上、7回以上の優勝回数を誇るのは9人のみ。そのうち、1980年代以降に達成したのはオリー1人だけだ。リーグ屈指のスターたちとプレーしてきたのは事実だが、“ビッグショット・ロブ”がプレーオフの大舞台で、チームを勝利へ導く重要なシュートを何度も沈めてきたことも見逃せない。
2003年にレイカーズから王者スパーズへ移籍したことで、オリーは当初こそ気まずい思いをした。それでも新天地で自身の役割を確立し、2度の優勝を勝ち取ったのだから、この移籍は結果的に成功だったと言えるだろう。
文●秋山裕之(フリーライター)
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