時計の針が深夜0時を指した時、中国・北京郊外に待機していた人民解放軍戒厳部隊が轟音を響かせて、北京市内を目指す。夜が明け始めた午前4時頃に、民主化を求めて集合していた学生・市民の群れに戦車が発砲しながら突入し、多数の死傷者を出した。
これが「8964」と呼ばれる1989年6月4日の未明に起きた「天安門事件」の結末だ。
ところが中国では、天安門事件について知っている人は稀である。事件を語ることも、知ることさえも許されていないからだ。
筆者がかつて中国に赴任していた(2008~2013年)時に、ある大学教授に天安門事件について質したら、
「自分も知らない。調べようがない。資料は日本の方が豊富にある」
と答えたので、大変に驚いたことを覚えている。
要は中国共産党にとって、天安門事件は国民に知られたら困る「絶対秘」の案件なのだ。
では国民に知られることをなぜ、中国政府がそこまで恐れるのか。これを伝える前に、天安門事件の概要をほんの少し、知っておきたい。
天安門事件が勃発した1989年は、鄧小平が「黒ネコでも白ネコでも、ネズミを捕まえたネコが偉い」と発した「改革解放」から10年が過ぎ、中国全土で10億を超える中国人がカネ儲けに驀進していた頃だ。
「カネを儲けた者が偉い」とした改革で、賄賂と汚職がはびこり、平等だった社会に貧富の格差が生まれ、社会には不満が燃えるマグマのように蓄積していた。
本来ならありえないことだった
そうした不満と怒りが中国全土で高まっていた折に、文化大革命で毛沢東に追放された、民主化の希望の星だった胡耀邦元総書記が亡くなった。
すると国民の間から、追悼すべきだという気運が自然発生し、追悼のエネルギーは「民主化」を求める抗議活動へと変化していった。
この状況に、共産党政府は震えた。民主化の活動を止めなければ、共産党が瓦解すると恐れたからだ。
天安門事件から今年で37年。ここで本題に入る。政府がなぜ、天安門事件があったことを隠し続けるかだ。
最大の理由は、天安門事件は共産党統治の「正当性」にかかわるから、である。中国は中華人民民主主義共和国と宣言して誕生している。人民が国家の基本だ。だから人民解放軍が人民を敵とするのは、本来ならありえないこと。しかし、武力を用いて普通の学生・市民を鎮圧した。
それで共産党政府は天安門事件を単なる「政治騒動」と位置付け、政治騒動に対する正しい対応だとみなしているのだ。
(団勇人)

