
スペインの進化生物学研究所(IBE)で行われた研究によって、ヨーロッパ人の”虫嫌い”は単なる文化だけが原因ではなく、少なくとも9000年にわたる進化の歴史にも根ざしていた可能性が示されました。
研究では古代人の歯だけでなく昆虫の殻を消化するための遺伝子も解析されており、赤道から離れたヨーロッパの人々は進化の過程でその能力を失っている可能性が示されました。
研究者は論文において、昆虫を消化する能力を失うことが文化的・宗教的動機を超えて「昆虫食の嫌悪を強める方向に寄与」した可能性があると述べています。
研究内容の詳細は2026年6月5日に『Science Advances』にて発表されました。
目次
- あなたの「虫嫌い」は本当に”文化のせい”なのか?
- 赤道から離れるほど「虫を消化する力」が弱まっていた
あなたの「虫嫌い」は本当に”文化のせい”なのか?

世界に目を向ければ、数億人もの人々が日常的に昆虫を食べています。
国連食糧農業機関(FAO)が食用に分類する昆虫は1,611種にのぼり、人口増加と気候危機を前に、環境負荷の低い昆虫は「未来のタンパク源」として推奨されています。
理屈の上では、昆虫食は理にかなった選択肢なのです。
それなのに、少なくない人々が虫を食べることにどうしても抵抗を感じてしまいます。
特に西洋社会では昆虫食への抵抗が強いことが知られており、その理由は長年「文化」で説明されてきました。
だとするなら文化が花開くより遥か昔のヨーロッパ人は、文化の影響を受けずに虫を食べていたのでしょうか?
答えを得るため研究チームが目をつけたのは、意外にも「歯石」でした。
歯医者で取ってもらう、あの硬い歯石です。
正式には歯石(dental calculus)と呼ばれるこの物質は、歯垢が石灰化してできたものです。
一見ただの汚れのかたまりですが、研究者にとっては宝の山です。
石灰化する過程で、持ち主が生前に口にした食べ物のDNAが閉じ込められるからです。
「歯石は、最も消費された食品の分子アーカイブです。いわば、過去の人々の生活を覗く窓のようなものです」と、この研究を率いたIBEの主任研究員パブロ・リブラド氏は語ります。
研究チームが分析したのは膨大なデータです。
現生人類(ホモ・サピエンス)745人分の歯石——最古のものは約3万3000年前。
それに加え、ネアンデルタール人18人分、チンパンジーやゴリラなどの大型類人猿96頭分の歯石も比較対象として分析しました。
これらの歯石に含まれるDNAを、10,761種の昆虫のDNA情報を収めたデータベースと照合し、歯石の中にどんな昆虫のDNAがどのくらい含まれているかを網羅的に調べたのです。
結果、歯石の昆虫DNA量が最も多かったのは、意外にもゴリラでした。
ゴリラは草食動物であり、虫を狙って食べることはしません。
しかし柔らかい新芽を大きな手でむしり取って頬張るとき、葉の上にいた毛虫や甲虫を”うっかり”一緒に口に入れてしまいます。
結果として歯石にはたくさんの昆虫DNAが残されていたのです。
次に多かったのが西アフリカのチンパンジーです。
そして驚くべきことにネアンデルタール人の昆虫DNA量は、この西チンパンジーに匹敵しました。
なかでも圧倒的に多かったのが水辺や湿った環境に関係する双翅目(そうしもく)と呼ばれる昆虫のDNAでした。
研究者たちはこの結果から、ネアンデルタール人は仕留めた獲物を水辺に置くことが多く、そこにハエが卵を産みつけ、死骸には蛆(うじ)がわき、彼らはその蛆ごと肉を食べていた可能性がある、と説明しています。
現代的な人間の感覚からすれば、かなり嫌悪を感じるかもしれません。
しかし放っておくだけで仕留めた獲物の肉に加えて昆虫の体も食べられるとカロリー面では合理的と言えます(Beasley et al. 2025)。
さらに、ハエの幼虫は死骸の硬い部位も時間をかけて分解していきます。
仮にネアンデルタール人がそれを利用していたなら、消化しにくい部位までタンパク源に変えられたことになります。
では私たちの直接的な先祖「ホモ・サピエンス」ではどうだったのでしょうか?
答えは、極めて少ないものでした。
僅かに昆虫の痕跡もありましたが、汚染された水や保存食品に紛れ込んだ昆虫——つまり「意図せず口に入った虫」を示すものが多かったのです。
まとめると
ゴリラ(偶然の大量摂取)> 西チンパンジー(意図的) ≒ ネアンデルタール >> 私たちの祖先(極めて少ない)
となります。
ヨーロッパの古代人がいかに虫を食べてこなかったかが、鮮やかに浮かび上がりました。
しかし研究チームはもう1つ、まったく別の角度からも同じ問いに迫りました。
赤道から離れるほど「虫を消化する力」が弱まっていた

次に研究チームは、虫を消化する力を遺伝子のレベルから調べることにしました。
虫の体を覆う硬い殻は「キチン」という物質のせいです。
エビやカニの殻にも含まれているこの物質は、セルロースに次いで自然界で2番目に多い生体高分子で、消化するのが非常に難しいという特徴があります。
ただ絶対に無理というわけではありません。
ヒトの胃にも、このキチンを分解するための2つの酵素があります
この2つがしっかり働けば、虫の殻を分解しやすくなります。
研究チームは世界26の集団(合計約2400人)のゲノム(全遺伝情報)を解析し、この2つの酵素の遺伝子に注目しました。
結果「熱帯(赤道付近)に近い集団ほど酵素がよく働く遺伝子の型を持ち、赤道から離れるほど酵素の働きが弱い型を持っている」という、はっきりとした南北のグラデーションが浮かび上がったのです。
ヒトの遺伝子には、世界中どこに住んでいる人でもほとんど形が変わらないものがたくさんあります。
たとえば心臓を動かすための遺伝子や、酸素を運ぶ血液の遺伝子など、生きていくのに欠かせない設計図は、緯度が変わっても基本的に同じ形を保ったままです。
逆に、住む場所によってはっきり形が変わる遺伝子もあります。代表的なのは肌の色を決める遺伝子です。
赤道に近いほど紫外線が強く、肌を黒くするメラニンを多く作る型が有利になるため、緯度と肌の色には強い相関があります。
今回、研究チームは約1200万カ所の遺伝子変異を、この「緯度でどれだけ差が出るか」のランキングに並べました。
すると、虫の殻を消化する2つの酵素の遺伝子は、いずれも信じがたい順位に食い込んでいたのです。
酸性キチナーゼは上位約0.5%、キトビアーゼに至っては上位約0.04%——つまり1万個の遺伝子変異を並べたとき、片方は上から50番以内、もう片方はわずか4番以内に入る鮮明さです。
虫の体を消化する能力が、ヒトという種が地球上に広がっていく中で、肌の色に匹敵するほど強く選別されてきた——その事実が、ゲノムの数字として残されていたのです。
論文著者のマヌエル・ピニェロ氏は「昆虫はタンパク質が豊富ですが、体が小さいため、カロリーを補うには大量に食べなければなりません。熱帯地域ではシロアリやアリなどの社会性昆虫が豊富に生息しており、その量と多様性によって年間を通じ持続的に利用できます。さらに害虫駆除にもなるのです」と述べています。
つまり熱帯では大量の昆虫が手に入るため、「虫の殻を消化する力」が生存に有利に働き、遺伝的に保持されてきた。
一方、高緯度に移動した人々は虫が乏しい環境に入ったことで、その力を維持するメリットがなくなり、進化の過程でじわじわと”手放されていった”と考えられます。
問題は、この傾斜がいつから存在していたのか、です。
答えを出すためには、農耕の影響を受けにくい集団――つまり農耕が広まった後も採集生活を続けていた人々を調べることにしました(その中には日本の縄文人も含まれていました)。
すると農耕社会に移行していなかった古代人ですら、すでに「虫を消化しにくい型」の遺伝子を高い割合で保持していたことがわかりました。
つまり「虫を消化しにくい体質」は農耕が生んだ変化ではなく、農耕よりもさらに古い時代から存在していたことになります。
一方、ネアンデルタール人と、シベリアのデニソワ洞窟で発見された古代人類であるデニソワ人は、逆に「虫の消化を促進する型」の遺伝子を持っていました。
まとめると以下の2点が浮かび上がります。
1つ目の歯石の分析は「先史時代の欧州人は虫をほとんど食べていなかった」ことです。
2つ目の遺伝子解析は「欧州系の人々では、虫の殻を消化する遺伝子の働きが弱まる方向に変化していた」ことです。
高緯度に移れば虫が減り、虫が減れば食べなくなり、食べなくなれば消化力は不要になって進化的に手放される――その過程がヨーロッパ人の遺伝子に刻まれていたのです。
そして研究者たちは、キチンを消化する力が低めだったことが、昆虫食への抵抗を強めた可能性もあると考えています。
論文でも「ヨーロッパ系の祖先を持つ集団では、キチン消化能の低さが、先史時代の昆虫摂取を妨げた可能性があり、文化的・宗教的動機を超えて嫌悪を強める方向に寄与した可能性がある」と述べています。
もしそうなら中世以降の宗教的タブーが強まるより前に、すでに生態と遺伝がその土台を敷いていたことになります。
もちろん、「文化は無関係だった」という意味ではありません。
ですが新たな研究は、虫嫌いの正体は「文化か、進化か」の二者択一のような単純なものではなく、進化と文化が幾重にも積み重なった、深い地層のような構造をしている可能性を示しています。
元論文
Genomic evidence for limited entomophagy in ancient Europeans
https://doi.org/10.1126/sciadv.aec6939
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

