
堤幸彦監督が手がけた映画「hinata」が、6月12日(金)よりシモキタ-エキマエ-シネマ『K2』ほかで順次公開される。本作は、堤監督と俳優との座談会をきっかけに、選抜された20人とのワークショップから生まれたオリジナル作品。“故・沖村ひなた”の葬儀に集まった20人の男女が弔辞を読み上げる中で、次第に“ひなた”の人物像が、人によって性別すら全く異なることが明らかになっていく模様を描く。
堤監督に、本作の誕生秘話から、作り上げていくまでの過程、インディーズとメジャー作品でのスタンスの違い、映画制作への熱い思いなどをたっぷりと語ってもらった。
■「個性がバラバラの方たちをどうまとめて“一つの主役”に」
――映画「hinata」は、座談会がきっかけとなって生まれたプロジェクトとのことですが、参加者のどういうところに惹かれたのでしょうか?改めて制作するまでの経緯を教えてください。
とにかくその座談会が面白くて、キラキラした目の俳優と作品を作りたくなったんです。そこから一人ひとりの設定は対面で詰めるとして、個性がバラバラの方たちをどうまとめて“一つの主役”にするかを考えていました。どんなシチュエーションがハマるか悩んでいた時、突然降ってきたのが“葬式”です。通常弔辞を読むのは1〜2名ですが、今回は全員が、全く違う人物像について語るスタイルで行きたいなと。これはミーティングの休憩中に降ってきたアイデアで、“どうすれば全員が主役になれるか”というテーマが“全員に弔辞を語らせる”に転じました。弔辞をしゃべっている限り、その人は主役ですからね。
――20人全員が主役とあって、一人ひとり話し方や性格に特徴がありますよね。個性が分かれているからこそ没入できました。キャラクターはどうやって作っていったのでしょうか?
脚本家の方にミーティング段階の録音とプロフィールを渡し、「そこから想像してください」とお願いしました。僕から「この人はこうあるべきだ」と口出しはしていません。上がってきたキャラクターを見て、誰一人被っていないのに、最後は“ひなた”から何かをもらっている一点で括られる。なるほどと思いましたね。
■「人間の“業”と“プラマイゼロ”が、実はテーマに」
――キャラクター作りという面では、スムーズに進んだのですね。
僕がより悩んだのは“ひなた”の扱い方です。最初はAIロボットや天からの声も考えましたが、映画の落としどころとして「誰かが棺から出てくる」というのは最初から決めていました。沖村ひなたは出てこないと思ったでしょ?実際に出た時に白けさせず、どう納得させるか。極めて抽象的だけれど、きちんと実体化させるために、「神の後光のように見える人って誰だろう」と考えて、あの方にお願いしました。
――実体化はされていますが、あくまで“ひなた”自体はファンタジー寄りですよね。でも、人は相手によって違う面を見せるのでリアルだなとも思いました。ひなたという人物像は、どう捉えて作り上げていったのでしょうか?
人にはそれぞれ抱えている闇や信じているものがあります。それを一つに括ってしまうと、宗教や政治のルールの話になって映画として面白くならない。だったら個人のバラバラな闇や信条を括っていく“線”って一体何だろうと。答えのないパズルをやっているような感覚でしたが、脚本段階で非常にうまくハマりましたね。
――では、ひなたは人が信じたいものの象徴的な存在ということでしょうか?
オチを言うと面白くないんですが、特筆すべきは「ひなたに対して究極に肯定的か、否定的か」ということ。最後に“あること”をする数人は、ひなたと一心同体だからこそ、存在してもらっては困る人たちなんです。そういう人間の複雑さや奥深さを感じてもらいたいです。それから、葬式中に出産する妊婦のキャラクターがいて、失われていく命と生まれていく命が一つになる。人間の“業”と“プラマイゼロ”みたいなところが、実は結構なテーマになっている気がします。
■「作りすぎず、役者それぞれが持っている“地の味”を自然に」
――それは人間の矛盾でもありますよね。演出の面では今回どういうことを意識したのでしょうか?
キャラクターを作りすぎず、役者それぞれが持っている“地の味”みたいなものを自然に出してもらいたくて、個性を大幅に変えることはしませんでした。ただ深海(理央)さんだけは“高知出身の渡部篤郎”というテーマでかましてもらいましたけど(笑)。それ以外はほとんど作っていないので、お刺身がいっぱい並んでいるようなものですよ。いろんな魚の地の味をそのまま活かして、一つだけ煮物にしてみた、っていう(笑)。
――堤監督は、渡部篤郎さんが好きですよね。「truth〜姦しき弔いの果て〜」など他の作品でもモノマネが出てくる印象があります。
好きですよ、もちろん。
■「常に新しい発見がないと作り続けていけない」
――堤監督は近年「ゲート・オン・ザ・ホライズン〜GOTH〜」や「転校生ナノ」(共にFODにて配信中)など、新人俳優をはじめ若く新しい才能とタッグを組むことが多い印象です。
僕ももうすぐ70歳ですし、映画も60本超えたくらい。常に新しい発見がないと作り続けていけないし、「一体何歳までできるのかな」という自分へのチャレンジでもあるんですよね。だから今回、いっそ潔く「全部見知らぬ人、知らない人とやる」のはとっても楽しみでしたし、キャスティングにも一切絡んでいません。「目の前に並んだ素材からインスピレーションを得て演出したい」と僕からオファーした企画なので、非常にスリリングでした。
――今回の撮影で、20人の俳優たちに驚いたことはありましたか?
シンプルに驚いたのは、みんな上手いんですよ。全員が一通り台本を読めばしっかり形になって見えたんです。皆さん、演技経験だけでなく豊かな人生経験を積んできた方たちなんだなと。元々「それぞれが主役」というコピーありきでしたが、狙いは間違っていなかったですね。
■「ワンシチュエーションものって舞台劇と同じなんですよね」
――本作の特徴は20人の主役だけでなく、一つの部屋で、ほぼ衣装も照明も変わらず、ワンシチュエーションで撮られているという点もあげられます。堤監督が思う、そういった制限がある撮影だからこその面白さや難しさを教えてください。
1980〜90年代頃から、そういう映画が大好きだし、得意でもあるんですよ。僕の過去作でいうと「チャイニーズ・ディナー」や「2LDK」、最近だと「Page30」などが、一つのロケセットで撮り切る“ワンシチュエーションもの”です。限られた空間で起きる悲喜こもごもや、最初と最後で登場人物の見え方や感情が大きく変わってしまう面白さ。言葉を変えると、これって舞台劇と同じなんですよね。
――確かに、一枚の板の上にある舞台と同じですね。
今回の脚本も、そのまま舞台に転用できる作りです。あちこちロケに行く通常の映画とは違い、閉じ込められた空間だからこそ、逆に世界観が意外な方向へ展開していく。そういうトライアルが好きでこの形をとりました。もちろんすべて画は見えていますが、そこに至る心模様は、現場で少し手直ししたり関係性を変えてみたりと、数日間かけて調整していきました。アプローチとしてはまさに舞台の演出とほぼ一緒です。
――約100分間飽きずに面白さを積み重ねていく構成がすごいです。映像的な工夫やリズムをつけるポイントなどはありますか?
一つは編集ですね。通常ダラッと繋ぐと冗長になりがちで、冒頭を逆さまにして編集したりしています。それから、セリフとセリフの間のちょっとした間や呼吸を全部取っ払って、みんながいっぺんにダーッとしゃべっているように繋いでスピード感を出したり、あるいは逆に黙っている部分を多くして無音を作ったりと、演出的な手練手管をいろいろ駆使しています。
■「“現代の神”であるAIと、“僕の神”である大滝さんがマリアージュ」
――テンポ感を出すためには、視覚よりも聴覚が重要なんですね。
あとは時々流れる不思議なBGMですね。名前も出ていない謎の作曲者が作った曲ですが…実はこれ、AIちゃんなんだけどね(笑)。ラストにはもちろん派手な展開を用意していますが、そこにいかに引っ張っていくか。役者さんたちも、実際に一回お芝居をしてもらうまで分からないアングルや魅力が隠れています。僕は現場で見つけるのが好きなので、「ここは全然カットせずにいこう」「細かく割ろう」と現場での思いつきで決めていきました。自分の中でどんな新しい発見ができるだろうと考えながら撮っていましたね。
――音楽がAIだったとは…。テロップの入れ方など全体的に「SPEC」の雰囲気も感じました。
僕がずっと信頼している音楽プロデューサーの茂木(英興)さんが、この数年でAIを使ったBGM作りに熟練していて、今回はもうほぼその完成形です。主題歌をAIで開発して、そこにラストは僕が神と崇める大滝(詠一)さんが加わる。つまり、“現代の神”であるAIと、“僕の神”である大滝さんがマリアージュしているんですよね。
■「小さくてもいいから世界に打って出て、本音で勝負」
――堤監督はもう何十年もメジャーのヒット作品を生み出しつつ、近年はインディーズ作品も多く撮られていて驚きました。
メジャー作品は、これはもう私の稼業ですから。商業監督としてどう生きるかではなく“どう死ぬか”に向かっていっている気がしますね。自分のキャリアを延長して、いかに大きく高いものを目指すかということは、商業監督としてずっとトライしていきたいです。
一方、インディーズならではの目的もあります。「映画って面白いよね」「表現の一つの出口だよね」と思ってくれる世界中の人々にちゃんと見てほしい。もちろん商業映画でも海外の映画祭に行きますが、やはり「原作は漫画・小説ですよね」という前提があり、演出として勝負しても、少し歯がゆさを感じる瞬間があるんです。
――日本の商業作品はどうしても原作ありきが多いですものね。
「じゃあ自分で本を書けよ」という話になるんですが、いかんせん僕にはそういう才能がない。だからこそ、アイデアの種を見つけて志ある仲間を募り、小さくてもいいから世界に打って出て、本音で勝負ができる人たちと組んで仕事をしたいと思うんです。
その始まりが「truth」でした。これまで世界で賞なんて取ったことがなかったのに、大小関わらず10数カ国で賞をいただいた。それがとっても気持ちよかったし、「本来、映画監督がするべきことはこれなんじゃないか」と思い続けています。今回の作品も、まさにその滑走路の中にいるんだと。今後もそういうお話があればずっとやりたいし、自分でお金を集められれば出資して作りたいとも思います。
■「僕は決してアーティストになりたいわけではない」
――国内向けと海外向けとで、制作の軸をどう変えているのでしょうか?
メジャー作品に本音がないかというと、決してそうではありません。「メジャー作品の中のどこに自分の魂を置くべきか」を見つける作業はとても楽しいし、漕いでる船もでかいので、やりがいもあって気持ちいいんです。ただ、自分の置きどころを見つけるのはなかなか辛い作業でもあります。
だからこそ、今回のように“葬式で全員が弔辞を読む”というたった一つの入り口から一点突破して、世界観の広がりを掴み取っていくのは、よりスリリングで自分らしいなと。僕は決してアーティストになりたいわけではないんです。ただ、「違う楽しみ方がこんなにありますよ」と変わり種料理をいっぱい出す。それが、メジャーでいろんな仕事をさせていただいていることに対する、心のバランスの取り方にもなっているんですよね。
――では、国内と海外の映画市場をどう捉えていますか?
僕はラース・フォン・トリアー作品とかが大好きなんですよ。北欧の小さい作品でも、世界を席巻している。決して“遠い天上界の話”だとは全然思わないんです。多少いかがわしいアイデアであっても自分が素直に発想したことの方が、海外の人々の目には届く確率が高いんじゃないかなと。「truth」などでそういうことを証明してきたような気がします。
――最後に、堤監督が今後映像作品で挑戦したいことはありますか?
見たことないものを作りたいですね。今回もそうかもしれませんが、最初は「なんだこりゃ」と思うけれど、だんだん引き込まれていく。それが映画本来の持つ力だと思うので、そういうものを今後いくつ作れるかなと思っています。
取材・構成・文=戸塚安友奈

