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「タイガーマスク対ウルトラマン」が実現! 無許可でウルトラマンを名乗ったレスラーに円谷プロが怒らなかったワケ

「タイガーマスク対ウルトラマン」が実現! 無許可でウルトラマンを名乗ったレスラーに円谷プロが怒らなかったワケ


『ウルトラマン』キービジュアル (C)円谷プロ

【画像】え、「すごい光景だ」「カッコいい」「めちゃくちゃ極めてる」 コチラが「タイガーマスクvsウルトラマン」のプロレスしてるところです

ウルトラマンは世界の孤児のために変身したのだ!

「タイガーマスク対ウルトラマン」という、夢のヒーロー対決がTV放送されていたことを知っていますか。これは、1982年に「新日本プロレス」のリングで実現した試合です。

 覆面レスラー「ウルトラマン」の正体は、メキシコで活躍していたレスラー、ミロ・ベンチュラ・チャベスでした。最初は素顔でしたが、背骨骨折の治療中にTVで見た『ウルトラマン』に衝撃を受け、1975年からマスクマンのウルトラマンに変身して再デビューしています。

 自分は貧しい家庭に育ったので、孤児などの子供たちに勇気を与えられる選手になろうと奮起したそうです。ウルトラマンは瞬く間に、人気レスラーになりました。

 この、異色のレスラーに注目したのが「新日本プロレス」(以下、「新日」)です。ウルトラマンは1979年に初来日し、6月29日「大宮スポーツセンター」で藤波辰巳(現・辰爾)選手と初戦が組まれました。

 気になるのは、この「ウルトラマン」というリングネームです。当然、円谷プロ公認のわけはなく、無断借用でした。円谷プロ大激怒!……と、現在なら問題になりそうですが、円谷プロからの抗議はなく、それどころかむしろ協力的な対応を見せます。

 このとき、新日は円谷プロに事前に話を通し、試合当日は関係者を会場へ招待していました。入場曲は「♪むねーにつけーてるー」と歌う「ウルトラマンの歌」で、試合前には本物の『ウルトラマン』(着ぐるみ)からウルトラマンへ花束贈呈が行われ、会場は盛り上がりました。このように、無許可で誕生したレスラーを大歓迎し、本家が事実上のお墨付きを与える異例の展開だったのです。

 こんなことが可能だった背景には、新日と円谷プロの良好な関係があったと思われます。というのも、円谷プロが制作した1976年放送の特撮ドラマ『プロレスの星 アステカイザー』で、アントニオ猪木選手ら多くのレスラーが出演するなど、新日が全面協力していたのです。

 そんな縁から、円谷プロも話題づくりとして協力したのでしょう。昭和ならではといえる、大らかな対応だったように思います。


『プロレスの星 アステカイザー DVD vol.1』(円谷プロダクション)

テレビ欄を見て延髄切りを食らうほどの衝撃!

 初来日で一時的に注目されたウルトラマンは、3年後の1982年に再来日します。日本では、同じ架空のヒーロー「タイガーマスク(初代:以下、タイガー)」が登場して大ブームを巻き起こしていました。そして、「タイガーマスク対ウルトラマン」という、ウソのようなカードが実現したのです。

 6月18日「蔵前国技館大会」、WWFジュニアヘビー級タイトルマッチはTV で中継されます。ウルトラマンはゴングと同時にスペシウム光線をタイガーに撃つポーズを見せ、観客を沸かせました。この試合で、タイガーは「スペース・フライング・タイガー・ドロップ」という新技を初披露、これはプロレス名シーンのひとつとされています。結果は、タイガーがジャーマンスープレックスホールドで勝利しました。

 その後、ウルトラマンは約2か月の興行シリーズ中にタイガーとシングルマッチを4戦しており、結果は3敗1分です。人気はありましたが、突出した強さや代名詞的な必殺技もなく、次第に話題性が先行した印象が強くなっていきます。そしてこれ以降、新日マットに姿を見せることはありませんでした。ウルトラマンの記憶は、ここまでという人は多いでしょう。

 その後、ウルトラマンはメキシコで、ベルトを獲得するほどの活躍を見せます。1990年に久々に来日し「FMW」で大仁田厚選手と対戦しました。さらに、セミリタイヤ状態となっていた2005年には、「ドラゴンドア」旗揚戦に来日して、初代タイガーと23年ぶりにタッグマッチで対戦しています。ここでもタイガーに負けましたが、試合後は拍手喝采で送られたそうです。

 ウルトラマンはメキシコで長く活躍した人気レスラーでした。78歳の今でも、インタビューなどの仕事を受けるときはマスクをかぶり「ウルトラマン」に変身するそうです。

配信元: マグミクス

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