太田裕美の『木綿のハンカチーフ』、久保田早紀の『異邦人』など、昭和を代表する名曲の数々は、作詞家や作曲家だけでなく、楽曲に命を吹き込む編曲家の存在によって完成された。なかでも6月16日に80歳の誕生日を迎える編曲家・萩田光雄は印象的なイントロや緻密なサウンドづくりで楽曲の魅力を何倍にも引き上げ、多くのヒットを生み出してきた。今なお愛され続ける名曲の裏側には、どのような仕事があったのだろうか。
太田裕美「曲全体の持つ良さを倍増して聴かせてくれる職人さん」
太田裕美の代表作になった『木綿のハンカチーフ』(作詞/松本隆・作曲/筒美京平)は当初、『心が風邪をひいた日』というアルバムの中の1曲として誕生したものだった。
しかし、レコーディングの段階になって、スタッフたちの間で「いい曲だ」「シングル向きだ」と盛り上がった。
編曲家の萩田光雄は、アレンジした時のことをこう振り返っている。
この曲は松本隆さんが書いてきた歌詞が4番まである長いもので、しかもストーリーになっているため、京平さんもテンポをつけるのに苦労した、という話は有名だ。私もアレンジを施す段階で「長い!」と思ったが、何とかスピード感を出すために、いろいろと工夫をしている。
例えばイントロのベースは4拍子を刻んでいるが、ギターのフレーズは「ズタタ、ズタタ、タタ」と3拍フレーズになっている。ギターとベースの拍子が微妙にずれることで、同じテンポでも2倍ぐらいのスピード感が出た。
萩田は編曲の仕事を始めて間もない時期に、南沙織のB面曲だった『この街にひとり』で筒美京平と仕事を始めた。その仕事の中で編曲家としてたくさんのことを学んだという。
その成果が大きく出たのが、『心が風邪をひいた日』というアルバムで、萩田は若いのに腕の立つ編曲家だとして大きくクローズアップされていった。
さりげない細部にまで凝っていて、センスが良いだけでなく、実に丁寧な仕事に支えられているのが萩田のアレンジの特徴だ。
しかし、『木綿のハンカチーフ』はそれまでと違って、弾き語りのスタイルをとっていない。そのせいもあってか、歌い手の太田裕美は今ひとつ馴染みにくく感じていたという。
それともう一つ、この歌には「僕」という男性が「君」に語りかけるパートと、「私」という女性が「あなた」に呼びかけるパートが出てくる。そのために主人公を歌い分ければならないという、歌唱表現における難しさがあった。
アルバムが1975年12月5日に発売された直後の同月21日、『木綿のハンカチーフ』はシングルとしてリリースされた。
シングル化にあたってディレクターの白川隆三は、プロモーションのことなども考えて、短くしようとあれこれ苦心してみたらしい。だが、長いと言われていた歌詞は結局、どこも削ることが出来なかった。
そして、『木綿のハンカチーフ』は翌年の年明けからシングルチャートを駆け上り、やがてミリオンセラーを記録することになる。
萩田はこの曲が日本の音楽史に残る曲になり、自らの出世作として認められたことについて、その頃は思いもよらなかったと正直に述べている。
太田裕美は萩田について、心からの賛辞を贈っていた。
「例えばギターのイントロ、あれがないと『木綿のハンカチーフ』じゃない、というくらい印象的で、なおかつ歌の持つメロディーの世界を壊さない。そういうものを作れる人ということでは本当にピカイチだと思います。もちろんそれだけじゃなくて、曲全体の持つ良さを倍増して聴かせてくれる職人さんだと思いますね」
『異邦人』を名曲にした萩田光雄の編曲術
1979年10月1日にリリースされた、無名の新人シンガー・ソングライター、久保田早紀のデビュー曲『異邦人』が誕生した裏にも、編曲家の萩田光雄によるプロの仕事があった。
当時からこの作品のアレンジに対する評価は、同じプロの編曲家の間でも高いものだった。
元曲となったのは、CBSソニーがオーディションで見出した大学生、久保田小百合(久保田早紀)が書いた『白い朝』というタイトルの歌だった。
基本のメロディラインはヨーロッパ調で、中近東の匂いなどはどこにもなく、若い女性シンガー・ソングライターのピュアな感性による作品だったと思われる。
それをシルクロードをイメージしたCM映像にマッチする音楽に仕立てたのが、CBSソニーのディレクターだった酒井政利だ。
南沙織や山口百恵といったアイドル歌手を手掛けるヒットメーカーだった酒井は、その年の2月にジュディ・オングの『魅せられて』を世に送り出して、1979年のレコード大賞に選ばれる。
ワコールのCMソングだった『魅せられて』は、エーゲ海を舞台にした大人の愛の物語で、エキゾチックなメロディとサウンドにして大成功を収めていた。まさにこの時期の酒井には、飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。
『異邦人』の場合も、コマーシャルとのタイアップが酒井に持ち込まれて、そこに楽曲とアーティストをはめ込む形で、異色の大ヒット曲が作られたのだ。
歌った久保田早紀の声には、ベルベット・トーンの柔らかさとクールな品の良さがあり、徹底した中近東風のサウンドと中和して不思議な心地よさを生み出していた。
『白い朝』という小品のタイトルが『異邦人』に変わっただけでなく、歌詞の中のキーワードが「異邦人」になったことで、メロディにも手が加えられた。
そこにシルクロードをイメージさせるために、前奏、間奏、後奏がすべて中近東風のメロディという、極めてインパクトの強い曲が誕生したのだ。
『異邦人』は、ノーベル文学賞を受賞したフランスの作家で、不条理文学で知られるアルベール・カミュの小説と同じタイトルでもある。
小説の舞台はアルジェリアのアルジェで、2番の歌詞の「市場へ行く人の波」や「石だたみの街角」がそのあたりを連想させて、文学の香りも加わっている。
サブタイトルに「シルクロードのテーマ」と付けたのも酒井のアイデアで、『魅せられて』の時は「エーゲ海のテーマ」というサブタイトルだった。アーティストもソングライターも異なるのに、その2曲がどこかに共通するテイストを与えるのはそのためだろう。
酒井の意向を受けてアレンジを手掛けた萩田は、シンセサイザーや民族楽器のダルシマーなども取り入れて、見事なまでのスケール感を持った歌謡曲を仕上げた。
慶應義塾大学在学中にクラシック・ギターのサークルで活動していた萩田は、大学を出た後に24歳にして恵比寿にあるヤマハの作・編曲家教室に入門した。
そしてヤマハ音楽振興会でアルバイトをするようになり、嘱託のような形の勤務になって、1973年からアレンジの仕事を始めている。
そして1975年には太田裕美のデビュー曲『雨だれ』(1974年11月1日発売)、岩崎宏美のデビュー曲『二重唱(デュエット)』で評価を高め、布施明の『シクラメンのかほり』がその年にレコード大賞を受賞した。
翌年には梓みちよの『メランコリー』で、日本レコード大賞の編曲賞を受賞。一気に名声を高めつつあった。
当時のアレンジャーの仕事ぶりについて、編曲家でもある森俊之の言葉で締めくくりたい。
「なんと精密巧妙でいて華やかでグッとくるアレンジなんだろう。完全に曲の良さを何十倍にもしてる。サウンドキャラばかり先立つ昨今、こういう価値観こそ後世に残すべきなんじゃないかと」
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
参考・引用
『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットーミュージック)
「Musicman's RELAY 第140回 酒井政利氏 音楽プロデューサー」

