第79回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され、ヴィルジニー・エフィラさんと岡本多緒さんが、見事、共同で最優秀女優賞を受賞した『急に具合が悪くなる』。本作は哲学者の宮野真生子さんと人類学者・磯野真穂さんによる往復書簡を、濱口竜介監督が職業も国籍も変えて脚本化し、パリを舞台に繰り広げられる二人の女性の心の交流と、対話から広がる新たな世界を描いた作品です。
主演のヴィルジニー・エフィラさんの役はパリの介護施設長であり、岡本多緒さんはパリにやってきた日本人演出家。彼女と共に活動する俳優に長塚京三さん、その孫に黒崎煌代さんが扮し、「分からない感情を知ろうとする」ことで心は潤っていくことを、観客が体験する今までに類を見ない映画になっています。劇中、二人の女性が日本語とフランス語をお互いに発しながら絆を深めていく様が長回しで映し出されていくのですが、演じた本人は間違いなく大変だったのでは。今回は、そんな岡本多緒さんと黒崎煌代さんに役にどうやって取り組んでいったのか。そしてこの先、それぞれが思い描く未来についても伺いました。
――カンヌ国際映画祭で最優秀女優賞おめでとうございます!カンヌでは、岡本多緒さんとヴィルジニー・エフィラさんが共同で最優秀女優賞を受賞し、作品自体も大好評でした。映画を観終わった方から感想をもらえたのではありませんか。
多緒 本当にたくさんお祝いのメッセージをいただきました。あまり誉め言葉を上手くとらえることが出来ないところもあるので‥‥ (笑)、素っ気ないなと思われた人もいるかもしれません。まさか自分が賞を頂けるとは思っていませんでしたし…。「14分のスタンディングオベーション」も、どれほどすごいことなのか、私には比べられる経験もないので、とにかく “ (観客の) 皆さん、温かいな”と感じてましたし、正直その重みはまだ理解できていなかったですね。
黒崎 僕はカンヌから帰っても、ネットでカンヌの状況を追っていたので、 “好印象なんだな”って思っていましたよ。
多緒 そのことも私は黒崎君から話を聞くまで知らなくって、ジャーナリストの人達が星を付けるということを、現地に行くまで存在すら知りませんでした‥‥。
黒崎 でもあれは結局、“賞にはあまり関係ないんだ”ということもわかりますよね。
多緒 そうだよね、そう考えると面白いですよね。
――カンヌ国際映画祭の賞は、審査員の話し合いで決まりますからね。黒崎さんはネットで作品の評価のコメントも読んでいたんですかね。印象に残ったコメントはありましたか。
黒崎 やっぱり「映画史に残る1本になっている」というようなコメントが書いてあると“そんなふうに言われているんだ! ”と思って、嬉しくなります。
――映画を観ている時は、登場人物の心のうちをずっと見つめていたいという感情しかなくて。映画を観終わった後にずっと彼女彼らのことを考えていて、冷静になった時、皆さんの役がとても難しい役だと思いました。アプローチが一筋縄ではいかないというか。役を演じるために、沢山のリサーチや勉強をされたのではないかと。役が決まった時、どのように思われたのですか。
多緒 私は本当に“【真理】が自分自身ではないか? ”と思えたほど共感を持てるキャラクターだったし、本(脚本)が本当に素晴らしかったので、どうしても“私が演じたい”と思っていたんです。なので、準備期間中に濱口竜介監督に課題書籍を頂いたり、黒崎君と一緒に色々な施設に見学に行ったり、介護研究センターの先生にインタビューへ行ったりなど、色々な勉強をさせてもらいました。そのすべてが楽しかったし、その準備に苦痛を感じることはまったくありませんでした。
――【真理】は実在された方がモデルになっています。その責任感もあったんですか。
多緒 最初はそこを追求していたんです。実際にモデルである宮野 (真生子) さんのご実家にも、濱口監督が一緒に連れて行ってくださって、宮野さんのお墓参りと、お母様にもご挨拶させてもらいました。やはりご本人を知っている方がいらっしゃるわけですし、ご家族や、共同の原作者である磯野 (真穂) さんから見たら、ソウルメイトである宮野さんのことを思い出すような仕上がりに出来たらいいなという思いが凄くありました。
でも途中からだんだんと濱口監督が書いたセリフにそれだけではないエッセンスも色々と散りばめられていると気づいて。監督にも「迷ったらとにかく原作を読み返して下さい」と言われていたので、それをしているうちに不安を感じずにいられるようになっていきました。試写で初めて映画を観た時、一緒にご覧になっていた磯野さんが「自分達を連想させるところがたくさんあった」と涙ながらに言って下さったので、その時に“凄く救われたな”と思いました。
――磯野真穂さんは、カンヌにも一緒にいらしてましたね。黒崎さんはどうでしたか。濱口監督は、黒崎さん出演の映画『さよなら ほやマン』(2023) を観られていたんですかね。
黒崎 そうなんです。たまたま色々な繋がりがあってオーディションに呼んで頂いたんですけど、濱口監督は『さよなら ほやマン』を観て声をかけてくださったみたいです。
――冒頭の【智樹】の登場シーンには一気に引き寄せられ、彼が演劇の中に入り込む展開も面白くて、どこからどこまでが演出なのか?凄く気になりました。あの動きは、すべて演出されていますね。
多緒 私の友達や周りを含め「ずっと泣きっぱなしだったよ」と皆が言っていて、特に【智樹】の登場からうるうるしてきたって。あのシーンからガラッと空気が変わりますよね。
黒崎 トラムと並走するシーンは、実は去年のカンヌ国際映画祭に参加した時に、パリに寄って濱口監督とリハーサルをしたんです。実は去年のカンヌ国際映画祭の時点で、今年のカンヌ国際映画祭の為の練習をしていました (笑)。
――なんと! 昨年のカンヌで『見はらし世代』が監督週間に選出されて登壇された後に、ということですよね?
黒崎 はい、あの後、濱口監督とパリで落ち合って、そこで練習をしました。もちろんマネージャーさんも居て。「絶対にこれは難しいシーンになるから」と。本当にリハーサルをしておいて良かったです。
――凄いですね。私は最初に『さよなら ほやマン』を観た時、『ギルバート・グレイプ』(1993) を思い出しました。
黒崎 ありがとうございます。もちろん、観ました。
――そこから更に自分なりのアプローチで役を作り上げていかれたんですか。
黒崎 そうですね。演じているのがレオナルド・ディカプリオさんという天才なんで、どうしようか迷いましたけど。『さよなら ほやマン』の時も脚本を読んだ段階から、“これは『ギルバート・グレイプ』だ”と思いました。本当にレオナルド・ディカプリオさんは凄いから、そこからはあまり観ないようにしていました。どうしても辿ってしまうから。
でも今回はレオナルド・ディカプリオさんを考える暇もないくらいに、何度も何度も濱口監督と【智樹】についてずっと話せたので良かったです。
――【智樹】について話すこととは別に当事者の方達に会ったりしたんですか。
黒崎 そうですね。役の作り方としては当事者の方は何を思っているのか、関係者の人は何を思っているのか、そして【智樹】は何を思っているのか、この三点を自分の中で考えていました。当事者の人は何を思っているかに関しては、自閉症の方が書いた本を読んで知識を得ました。関係者はどう思っているのかについては、施設を訪ねて勉強をさせて頂きました。【智樹】については、濱口監督と話し合いましたね。その三つの要素で徐々に作り上げていきました。
――凄いですね。本当に皆さん凄いです。多緒さんに至っては日本語とフランス語、さらに長回しでのシーンも多い。ホワイトボードで現在の資本主義について説明するシーンを観た時に、“これは女優賞か? ”と勝手に想像していました。
多緒 え~、本当ですか?
黒崎 あのシーンはやばいです。観客が急に受講者になる。映画であんな体験は無いですから。
――あんなシーンにトライするとは。もちろんがんを患っている役という身体的なこともあると思いますが、あのシーンは役者として凄く大変だと思います。多緒さんの環境問題への活動や社会に対しての発信を知っていたので、これもキャスティングされた理由だとも思いました。
多緒 あのシーンを読んだ瞬間にも“これ、私じゃないか”と思ったんですよね (笑)。普段考えていることが、より洗練された形で言語化されているみたいな感じがしました。だから“絶対にやりたい”と思ったし、それに何というか、ちょっと異質な感じがありますよね。濱口監督の違う作品でもありますけど、あのシーンについてあまり立ち止まって考えずに、とにかく“走り抜けなきゃ”という感覚で演じていました。本当にセリフも長くて難しかったですし。出来上がった作品を観た時は驚きました。
――あのシーンのセリフはすべて脚本に書かれている通りですか。アドリブは入っていますか。
多緒 アドリブは入ってないです。
黒崎 恐ろしいです。
多緒 一般的に考えるとあれだけ長くて難しいシーンは、途中でセリフを噛んでしまったり、間違えてしまったりしたら「とりあえず最後までやって、そこだけを撮り直そうか」となったり、カットを割って撮ることが多いんです。でも濱口組では、詰まったら「じゃあ最初からもう一回やりましょう」とふりだしにに戻る。正直“しんどい‥‥”と思ったこともあります。でも完成した作品を観た時は、監督の粘りのわけがわかった気がします。
――そこから【マリー=ルー】役のヴィルジニーさんとまた違った深まり方をするという点でも、なおさら。
多緒 あれは原作でもちょっとお二人がピリっとなる瞬間があるので、そのエッセンスを入れようといいう気持ちが、濱口監督の中にあったみたいです。“その含みのあるような言い方は、私に何か言おうとしてるの?”みたいなドキッとする瞬間に、芽生えていた友情が一瞬揺らぎそうに思えるところを原作から引き抜いたみたいです。
――聞けば聞くほど深い映画ですね。最後に役者以外に興味があること、やりたいことを教えて下さい。
黒崎 役者以外でやりたいことは‥‥、小屋を建てたい、ですかね。最近、地元に帰ったんですが、木がいっぱいある森なんですけど、昔はそこでよく秘密基地を作っていたんです。段ボールとか使って、あれをまたやりたいです (笑)。キャリア的なものでは全然ないんですけど。
多緒 全然良いよ。
黒崎 あっ、キャリア的には、やっぱり監督をやってみたいです。
多緒 本当に? 是非やって下さい!
黒崎 やっぱり色々な方に触発されて、やってみたいと思います。
――監督するならどんなジャンルのものをやりたいですか。多緒さんの監督作品『サン・アンド・ムーン』は、会話劇ですが。
黒崎 コメディですかね。いやわからない‥‥、青春もの? ベン・スティラーさんが出演している。え~と、ジェイ・ローチ監督の『ミート・ザ・ペアレンツ』(2001) みたいなものも知っているけど。
――『ナイト・ミュージアム』『LIFE!』とか。
多緒 何だろう、『ズーランダー』(2002) とか。
黒崎 『ズーランダー』大好きです。そんな感じの作品をやりたいと思っております。
多緒・伊藤 期待しています。
黒崎 『リアリティ・バイツ』(1994) だ。
――ベン・スティラー監督の最初の方の作品ですね、青春群像劇。
黒崎 そうです。答えが出るのに時間がかかってすみません (笑)。
――いやいや、考えるのが楽しかったです。多緒さんはどうですか。
多緒 私は少し前から自分で短編とかの監督をしていますけど、“ドキュメンタリーを撮りたい”と最近は思っているんです。ちょっと気になっている題材があって、私はそれを基に脚本を書こうと思っていたのですが、“ドキュメンタリーの方がいいかもしれない”と考え直して、そのアイディアも練っているんですが、今は出産を控えているため、まずはそちらが第一プロジェクトだと思っています。
――子どもがお生まれになったら、面白い感覚が生まれるかもしれませんね。
多緒 そうですね。キャッチするものが変わって来るかもしれませんね。さらに広がるかもしれないと思っています。
――色々とワクワクですね、楽しみにしています。
カンヌ国際映画祭では新しい命と共にレッドカーペットを歩き、「命についても描かれる映画ですし、そういった意味でも子どもとの一生の思い出作りになりました」といったニュアンスで話し、微笑んでいた岡本多緒さん。共演者のヴィルジニー・エフィラさんと受賞の喜びを抱き合って分かち合っていた姿にこちらも胸が熱くなりました。また黒崎煌代さんは二度目のカンヌを楽しんでいるようで、カンヌでは終始笑顔でリラックスしていました。濱口竜介監督の現場が俳優陣にとっても素晴らしいものだったのではと、カンヌでの取材や日本での舞台挨拶を間近で見て感じた私ですが、気付けば間違いなくこの映画のファンになっておりました。
取材・文 / 伊藤さとり
撮影 / 奥野和彦
岡本多緒 ヘアメイク:美舟 SIGNO) / スタイリスト:船越 綾
黒崎煌代 ヘアメイク:Tomoe Chika (artifata) / スタイリスト:能城 匠 (TRON)
映画『急に具合が悪くなる』
パリ郊外の介護施設「⾃由の庭」の施設長であるマリー=ルー・フォンテーヌは⼊居者を⼈間らしくケアすることを理想としつつ、人手不足やスタッフの無理解などに悩まされている。そんな中、マリー=ルーは森崎真理という日本人の演出家に出会う。がん闘病中の真理が演出するのは、自閉スペクトラム症の孫・智樹と行動を共にする俳優・清宮吾朗の一人芝居。真理の描く演劇に勇気をもらったマリー=ルー。同じ名前の響きを持つ偶然に導かれて、二人の交流が始まる。しかし、あるとき真理は「急に具合が悪くなる」。真理の病の進行とともに、二人の関係は劇的に深まり、互いの魂を通わせ合うようになる。
監督:濱口竜介
原作:宮野真生子・磯野真穂著『急に具合が悪くなる』(晶文社)
主演:ヴィルジニー・エフィラ、岡本多緒、長塚京三、黒崎煌代
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2026年6月19日(金) 全国ロードショー
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