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【名馬列伝】ダービー制覇をフロック視されたサニーブライアン 並大抵ではない逃げ切り二冠の芸当は驚異的な“成長力”

【名馬列伝】ダービー制覇をフロック視されたサニーブライアン 並大抵ではない逃げ切り二冠の芸当は驚異的な“成長力”

クラシックホースでありながら、信じ難いほどに評価が低い馬がいる。その代表格が1997年の皐月賞(GⅠ)、日本ダービー(GⅠ)の二冠を逃げ切りで制したサニーブライアンである。

 皐月賞を逃げ切ったときには「展開に恵まれた」と、その勝利をフロック視され、日本ダービーを制した際にさえ「6番人気の伏兵」扱いだったサニーブライアン。当時の筆者もそれに近い見方をしていたひとりだったが、今となってはその浅薄な捉え方を恥じ入りたい気持ちに変わっている。二冠を続けて逃げ切るという芸当は、ポテンシャルの高さ失くしてはできないことだというのが身に沁みて分かってきたからだ。

 その考えを変えるきっかけを与えてくれたのは、日本ダービーをマカヒキ(2016年)、ワグネリアン(2018年)、ドウデュース(2022年)で三度も日本ダービーを勝ち、尾形藤吉に次ぐ勝利数でJRA歴代2位に上がっているクラシックマスター、友道康夫調教師の言葉だった。

「ダービーを勝つ馬の成長力は凄いんですよ。特に皐月賞を勝ったあとのワグネリアンの充実ぶりは凄まじくて、そばで見ていると日に日に馬が良くなって、本格化していくのが手に取るように分かった。あぁ、ダービーを勝つ馬というのは、こんなに凄い成長をするものなんだなぁ、と。それ以降、管理馬をダービーに出す際には、そのときのワグネリアンの急激な成長がひとつの物差しになっています」

 これはあくまで筆者の見方だが、サニーブライアンは皐月賞の前に激しく成長し、日本ダービーの前にもう一段上のフェイズへと駆け上がるような成長を示したのではないか、と。でなければ、皐月賞の一回だけならまだしも、続く日本ダービーでも決してラクとは言えず、誤魔化しの利かない東京の2400mを逃げ切ることなど並の馬にできるはずがないからだ。

 今回は、いまだに悲運の二冠馬サニーブライアンの復権を勧めることを念じながら、彼の蹄跡を追ってみたい。
  騎手の大西直宏は1980年、美浦トレーニング・センターの中尾銑治厩舎の所属騎手としてデビュー。初年度に9勝を挙げて民放競馬記者クラブ賞(関東新人騎手賞)を受賞。順調なスタートを切った。その後も毎年二桁勝利を挙げ続け、1981年には南関東から鳴り物入りで中尾銑治厩舎に転厩してきたゴールドスペンサーに騎乗。天皇賞(秋)で3着、ジャパンカップで日本馬最先着の5着、有馬記念も5着と健闘し、大西の名前は全国区のそれへと広がっていった。

 大西が日本ダービーに初騎乗を果たしたのは1987年のこと。自厩舎のサニースワローがフルゲート24頭の枠に滑り込み、単勝22番人気(オッズ225.4倍)という超低評価のもとで出走した。レースは根本康弘が騎乗するメリーナイスが独走状態で圧勝するのだが、その6馬身後方で2着に入ったのは何とサニースワローだった。第3コーナーの手前から進出を開始すると4角先頭で直線へと向き、メリーナイスには差されたものの、2番手をキープして粘り込んでしまったのだ。このときの複勝は4680円というダービーレコードを記録している。このあとサニースワローは引退まで勝ち星を挙げることができず、日本ダービー2着はまさに乾坤一擲の大駆けということになった。 それから9年後のこと。中尾厩舎に1頭の牡馬が入厩する。名前はサニーブライアンという。父は初年度産駒、ナリタブライアンの活躍で一気に名声を高めたブライアンズタイムで、母はサニースワローの全妹であるサニースイフト(父スイフトスワロー)。オーナーの宮崎守保、生産した北海道・浦河町の村下ファームもサニースワローと同じだった(村下ファームは当時「村下松太郎」名義)。鞍上は大西直宏で、彼が全戦で手綱をとることになる。なお大西は1991年に中尾厩舎を離れてフリーとなっていたが、本人の成績が惨憺たるものであっても、所属時代と変わらぬ密接な関係が続いていた。

 デビューは1996年10月の東京の芝1800m戦。サニーブライアンは先手を取ると軽快に逃げ、2着に2馬身半差を付けて快勝。幸先の良いスタートを切った。しかしそれからの4戦は勝利に見離され、500万下(現1勝クラス)でとどまったまま2歳シーズンを終えた。

 3歳になったサニーブライアンは、初戦の500万下戦で2着に入ると、次戦は格上挑戦となるオープンのジュニアカップに参戦。ここで先手をとった彼はマイペースでレースを運び、2着を半馬身抑えてゴール。5戦ぶり、二つ目となる勝ち鞍を挙げた。勢いに乗るサニーブライアンはクラシック戦線への道を確かなものにするため、皐月賞トライアルの弥生賞(GⅡ)に参戦。逃げ馬を先にやって3~4番手を進むと、勝ち馬のランニングゲイルには6馬身以上の差を付けられたものの3着に食い込み、皐月賞への優先出走権を確保した。

 不可解だったのは次の一戦だ。すでに皐月賞への優先出走権を獲得しているにもかかわらず、皐月賞指定オープンの若葉ステークスに出走し、先行策から流れ込むだけの4着に終わってしまったのだ。調教師の中尾は旧来の習慣を重んじる昔気質のトレーナーだったため、使えるところは使っていくスタイルが基本ではあったが、敢えて皐月賞の前に一戦を挟んだのには、サニーブライアンが体質的に太りやすかったので、実戦を叩きながら仕上げたいという思惑があったという。しかしその結果、サニーブライアンは若葉ステークスで一敗地に塗れ、著しく評価を下げることになってしまった。
  迎えた皐月賞。重賞2勝を挙げ、トライアルのスプリングステークス(GⅡ)でも2着に入った松永幹夫騎乗のメジロブライトが単勝1番人気。弥生賞でサニーブライアンを3着に降して優勝した武豊騎乗のランニングゲイルが2番人気。この2頭による“二強対決”というのが大方の見方で、先述した若葉ステークスの敗戦も響いたサニーブライアンは単勝オッズ51.8倍の11番人気という低評価に甘んじた。

 しかし、彼はここで大勢を引っ繰り返す快走を見せる。スピードに乗るまでにやや手間取るため、外から被されるのを恐れていた大西は、枠順抽選に自ら臨み、見事に希望の大外、18番枠を引き当てた。幸運に恵まれたサニーブライアンは、大西が戦前から「逃げ宣言」を連発していたように、ゲートを飛び出すとぐんぐんとスピードを上げ、内へ切れ込みながら第1コーナーの手前で先頭を奪うことに成功。途中、かかったテイエムキングオーに先を譲る区間もあったが、第3コーナーで先頭を奪い返し、最終コーナーの前から仕掛けて直線へと向いた。そして早めにスパートしたサニーブライアンは後続との差を数馬身に広げ、懸命にゴールを目指す。後方では人気馬が馬群のなかで喘いでおり、猛追してきた10番人気のシルクライトニングをクビ差抑えて優勝。鮮やかに下剋上を完遂したのだった。

 こうして皐月賞を快勝したサニーブライアンだったが、ファンやマスコミの評価は冷淡なものだった。「スローペースの展開に恵まれた」、「有力馬が牽制し合った隙を突いただけ」と、彼の勝利をフロック視する辛辣な声はあとを絶たなかった。しかし手綱をとった大西の相棒に対する信頼は揺らぐことはなかった。日本ダービーも逃げられさえすれば…との思いは日に日に高まっていった。

 その後、中尾がトライアルのプリンシパルステークスを使う方針を示したことが「使いすぎだ」と物議を醸したが、調教中に負った外傷のため取り止めとなり、結局、日本ダービーへ直行することになった。 その中間の出来事。調教で稽古駆けすることで知られたスピードワールドと同じ時間帯に馬場入りしたサニーブライアン。結果として併せ馬にはならなかったものの、スピードワールドを煽るほどの動きを見せ、その急激な成長ぶりが周囲を驚かせた。そしてその調教後、スピードワールドに跨った騎手の田原成貴は「あの馬、かなり強いね」とサニーブライアンの走りを称賛。辛口で慣らす田原のコメントは報道陣をざわつかせたという。

 迎えた日本ダービー。皐月賞と同じように外枠から出て逃げたいと考えていた大西は自ら枠順抽選に臨み、またも希望どおりに大外の18番枠を引き当てる“強運”を発揮。単勝オッズ13.6倍の6番人気という、とても皐月賞を快勝した馬とは思えないほどの低評価を受けた相棒と運命の一戦へと向かった。
  メジロブライト、サイレンススズカ、シルクジャスティス、マチカネフクキタルと、のちにGⅠホースとなる精鋭が揃った第64回日本ダービー。18番枠から飛び出したサニーブライアンはダッシュを決めて、迷いなく内へ切れ込みながら先頭を奪う。勝負はこの瞬間に決まったと言ってよい。先頭に立った彼は鞍上の落ち着き払ったレース運びを受け入れ、見事に折り合って進み、直線に入ると素早くスパート。一気に後続を突き放して数馬身のリードを取ると、大外から追い込んできたシルクジャスティスを1馬身抑えて先頭でゴール。大西は馬上で立ち上がり、二度、三度とステッキを持った左手を突き上げて歓喜を表した。

 レース後のフラッシュインタビューで、のちに語り継がれる名言が大西の口から発される。今回も人気薄でしたが…と向けられた質問に対して「評価はどうでもよかった」と答えたあと、こう続けた。

「1番人気はいらないから、1着だけほしいと思っていました」

 その後、三冠へ向けての抱負を語った大西だったが、骨折が判明した相棒がターフへ帰ってくることはついに無かった。骨折が癒えたのち、復帰を目指しての調教中に屈腱炎を発症。サニーブライアンは能力の全貌を表さないまま現役を引退した。

 いまも評価が定まらないサニーブライアンだが、筆者は私たちが思うよりずっと強かったのではないかと考えている。彼があまりに急激な成長曲線を描いたために、周囲の評価がそれに付いていけなかったからではないか、と。サニーブライアンが菊花賞を、また古馬の中長距離路線を走る姿が見られなかったことは本当に残念なことだったとあらためて思う。

文●三好達彦

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配信元: THE DIGEST

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