ロサンゼルス・レイカーズ、そしてNBA全体のレジェンドであるコビー・ブライアントは、歴代4位となる通算3万3643得点をあげた希代のスコアラーだった。そんな男をマークすることは、ディフェンダーとしても「名誉」だったとマット・バーンズ(元ロサンゼルス・クリッパーズほか)は振り返っている。
ローワー・メリオン高出身で1996年のドラフト13位指名でNBA入りしたコビーは、キャリアを通じて歴代4位の通算3万3643点を記録。リーグ優勝も5回(2000~02、09、10年)成し遂げ、2006年1月のトロント・ラプターズ戦では歴代3位の1試合81得点を叩き出した。ヘリコプター墜落事故で命を落とした2020年には数々の功績が認められ、バスケットボール殿堂入りを果たしている。
名ディフェンダーたちと数々の名勝負を繰り広げたコビーだが、“守る側”からしてもコビーとの対戦は格別だったという。執拗なディフェンスを武器としたバーンズは、敵でもあり、2010~12年にはレイカーズで共闘したスーパースターについて人気ポッドキャスト番組『ALL THE SMOKE』で「コビーは俺たちの世代にとってのMJ(マイケル・ジョーダン/元シカゴ・ブルズほか)だった」と語った。
「だからコビーに挑み、ぶつかっていくしかなかった。彼が君(トニー・アレン/元ボストン・セルティックスほか)のことをどれほど高く評価していたか、俺はいつも見ていたよ。1対1のディフェンダーとして君が『歴代最高だ』と言っていた。
それ以降、俺やロン(アーテスト/メッタ・サンディフォード・アーテスト)のような、向かってくるタイプを味方に引き入れ始めたんだ。俺やロンみたいな連中を相手にするのに疲れたんだろうね(笑)。その前の年、ロンは彼を絞め殺そうとしたし、俺はあの(顔面への)ボールフェイクをやった。俺はいつでもやり合う準備ができていたんだ。彼は『こいつらを相手にするのはもう勘弁だ、仲間にしよう』って感じだった」
バーンズは、コビーが1999-2000シーズン開幕前のプレシーズンに右手首を骨折したが、「まるで最初から左利きであるかのように」すべてのワークアウトを左手だけでこなしていたと回想。「まさに努力の化け物」だと称した。
「彼をガードしなければならないというのは、常に名誉の証だった。毎晩、俺は世界最高の選手たちをガードしていた。ポール・ピアース(元セルティックスほか)、T-MAC(トレイシー・マッグレディ/元オーランド・マジックほか)……毎晩がそんなマッチアップだった。
だから俺は、その仕事を本当に楽しみにしていたんだ。スケジュールにコビーの名前がある時は、いつだって準備ができていなければならなかった。彼はこれでもかっていうくらいシュートフェイクを仕掛けてくるから、辛抱強く守る必要があったんだ」 コビーは極めて高い技術を備えていたのはもちろん、負けは受け入れない不屈の闘争心を持つ男だったゆえ、時には「汚いプレーも厭わなかった」とバーンズは明かす。
「ヒジを食らわせてきたり、掴んできたりね。あの(2010年3月の)オーランドでの出来事の時は、俺はもう爆発寸前だった。『バスケなんて知るか、このボールを顔面に叩きつけてやる』と本気で思っていたんだ。
彼はすでに俺の胸骨にヒジ打ちを食らわせていて、俺の息が止まりそうだった。でも、それが俺たちのやり方だった。試合が終われば『MB(バーンズ)、大丈夫か?』ってね。そこにはリスペクトという一線があったんだ」
その年の夏、バーンズはマジックからフリーエージェントでレイカーズへ移籍。コビーから連絡があったという。
「知らない番号から電話がかかってきて、それがコビーだった。彼は『俺に喧嘩を売るほどクレイジーなヤツなら、一緒にプレーするのにも十分クレイジーだろう。レイカーズの一員になりたいか?』と言った。その4日後、俺はLAで(レイカーズとの)契約書にサインしていたんだ。
それから俺たちはすごく親しくなった。俺たちがオフに一緒にいるのを見て、周囲は『どうやってコビーを外に連れ出したんだ?彼は練習以外で滅多に顔を出さないのに』と驚いていたよ。俺は、1人の人間としての、ビジネスマンとしての、そして父親としてのコビーを知ることができた。マスクの裏側にいる1人の男をね。それが俺にとって一番の宝物だ」
バーンズの話を受けて、コビーから一目置かれた名ディフェンダーのアレンも「誰にも“マンバ・メンタリティ”という言葉を軽々しく使わせちゃいけない。あれはトップ中のトップだけが持つものだ。俺がレイカーズとのプレーオフで彼に頭を殴られた時なんて、脳震盪を起こしそうだったよ(笑)」と、英雄コビーとの思い出を懐かしげに語っていた。
構成●ダンクシュート編集部
【画像】シャック、アイバーソン、コビー、レブロン、カリー、ヨキッチ…2000年以降のMVPを受賞当時の写真で一挙振り返り!

