
俳優の山谷花純が、6月26日(金)にセカンド写真集「遠距離、現在此。」を発売する。12歳でのデビューから18年、「手裏剣戦隊ニンニンジャー」(2015年2月~2016年2月、テレビ朝日系)の百地霞/モモニンジャー役、「劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」(2018年)など話題作への出演を続け、現在は大河ドラマ「豊臣兄弟!」(毎週日曜夜8:00-8:45ほか、NHK総合ほか)で有岡城主・荒木村重(トータス松本)の妻・だしを演じている。現在29歳、20代最後の姿を収めた今回の写真集の舞台は、デビュー時に出演したドラマ「ラブレター」(2008年11月~2009年2月、TBS系)の撮影地である香川・小豆島を選んだ。思い出を振り返りながら、彼女の俳優業への考えと“現在此”までを語ってもらった。
■役者の原点・小豆島への帰郷で実感した18年の成長
――写真集の舞台は、12歳のときに出演したドラマ「ラブレター」のロケ地・小豆島ですね。
18年ぶりに帰りました。当時、ワクワクが勝っていて、あっという間に小豆島に着いた記憶があるんです。でも、片道6時間かかりました(笑)。距離のことをあまり考えずに小豆島を希望したので、向かう途中で「こんなに遠かったんだ」と驚きました。乗り継いで乗り継いで、最後がフェリーです。でも、自分一人では行くことができない場所だと思ったので、とてもいい機会になりました。
――小豆島を希望したということは、「ラブレター」は山谷さんにとって特別な思いがあるドラマだったのでしょうか?
「ラブレター」は、初めてせりふを頂いて、初めて親元から離れて地方ロケに行ったお仕事でした。デビュー作はその前ですが、役者として本格的なスタートを切ったのは「ラブレター」と言えます。その思い出の場所に、18年たって29歳になった私が行ったらどんな気持ちになるんだろうと興味が湧いて、撮影地にさせていただきました。
――18年ぶりの小豆島はいかがでしたか?
街並みは想像していたよりきれいになっていて、観光地として栄えていたのが印象的でした。ただ、自然は記憶からあまり変わっていなくて懐かしかったです。エンジェルロードや二十四の瞳映画村は当時のままで、学校の教室には当時私が座った席が残っていて、こんなにちっちゃい机と椅子だったんだって、自分の成長を感じました。
――18年前の机と椅子が残っていたんですね。
ベンチとかもそのままで、「ここで撮影したな…」って思いながら懐かしく眺めていました。変わったものもあれば変わらないものもあって、自分と一緒だなと、そんな気持ちになりましたね。
――懐かしさの他に、確認できた感情はありましたか?
どちらかというと、この18年をどう過ごしてきたかに向き合う時間でした。その中で思ったのは、「この仕事、続けているな」って。変わらないものの中でそれが一番大きくて、お仕事で帰ってこられたことがうれしかったですね。

■酒蔵ではお酒を飲みながら…着飾らない等身大で撮影した「遠距離、現在此。」
――18歳のときのファースト写真集はかわいい衣装で、畳でごろごろしたり、無邪気に楽しむ姿が満載のフレッシュな内容でした。今回はどういったことをテーマにしたのでしょうか?
それこそ前作との対比にしたいと思いまして。当時で言えば、モモニンジャー役の後だったこともあって、かわいく着飾った自分を残していたと思うんですよ。それを今回は等身大をテーマにして、なるべくお化粧もせずに、着飾らない自分を意識して撮影してきました。
――拝見させていただきましたが、きれいで大人な写真がたくさんありつつも、仕事を離れて旅行を楽しんでいるようなカットもたくさんありますね。
「帰って来た」という気持ちが強かったので、本当にその通りだと思います。ご飯の時間は特に楽しかったですね。お昼も夜もクルーの人たちと一緒に食べて、お酒も飲んで。そのときに「お酒が入ったときの方が力の抜けた表情でいいよ」と言われたんです。それで、酒蔵での撮影では日本酒を飲みながら撮影させてもらいました(笑)。
ランジェリーカットのときも、「お酒飲みながらにすれば?」と提案があったんですけど、その日はそのまま帰る最終日だったので、さすがに飲まずに過ごしました(笑)。
――お酒は結構飲まれるのですか?
好きな方ですね。日本酒はあまり飲みませんが、焼酎、ビールが大好きです。
――そういうお話を聞くと、モモニンジャーも大人になったんだなと思いますね。
それも大きいですね。当時はジュースをいっぱい飲んでいました(笑)。小豆島には地酒があって、名物もたくさんあって、島の野菜もすごくおいしかったです。小学生のときとは目線が違うから、今回の撮影で初めて知る小豆島のこともたくさんありました。
――撮影中、印象的な出来事はありましたか?
山へと暮れていく景色の中、夕日を見ていたら感情が揺さぶられ、18年間が走馬灯のように流れてきました。悲しいこともあれば喜びもあり、出会いもあれば別れもあり…いろんなことがあったなぁって。ただ、後悔が1ミリもない今って、すごく幸せだなと思います。そのときの涙をどう思われるかは分からないですけど、私にとっては決して悲しい涙ではなくて、喜びの涙でした。だから、その夕日のカットはお気に入り。自分の人生を肯定できたような感じがしてすごく好きな一枚です。

■生放送じゃないの? テレビの謎を解きたくて始まった俳優人生
――12歳から俳優業を始めて18年。もともと俳優になるのが夢だったのですか?
いえ、違います。テレビの仕組みを知りたかったんです。小さい頃、テレビって全部生放送で作られていると思っていたんですよね。でも、CMになるとさっきまで番組に出ていた人が違う姿で出てくるのが謎で。だったら自分もテレビの中に入ってしまえば謎が解けると思って、学級活動で「テレビの中に入ってみたい」というのを発表したことがあったんです。それを当時の担任の先生が覚えていてくださっていて、エイベックスのオーディションが開催されるというのを知らせてくれたんです。
だから、応募のときの志望路線はなんでもよかったんです。たしか、タレント、モデル、アーティスト、アクターという項目があって、当時はモデルという言葉しか知らなかったから、そこに○を付けて。
――なるほど。だから18年たった今も「この仕事、続けてるな」だったんですね。
そうです。ただ、身長が低かったので、モデルではなく流れで女優さんの方になったんですけどね。でも、やってみたらすごく楽しかったです。いろんな場所に行けるし、大人の人も子どもの私を対等に扱ってくれるのが新鮮で。小学生のときはお仕事というより、東京に遠足に行くような気分でした。社会科見学みたいな感じです。

■戦隊ヒロインのイメージ定着にもがいた数年間、そして「劇場版 コード・ブルー」へ
――当時はモモニンジャーで人気が急上昇した時期でした。戦隊ものは若手俳優の登竜門的な作品ということもあり、ご自身の内外でいろいろな変化があったのではないでしょうか?
気持ち的なことでいうと、私は他の戦隊メンバーと違って小学生のときからお仕事をしていたので、“戦隊でデビュー”のような感覚は全くなくて、続けてきたお仕事の延長線という感覚でした。ただ、終わってから知ったのが、今の時代、1年を通して放送されるドラマ作品って、大河ドラマとライダーシリーズ、戦隊シリーズくらいということでした。すごく大きな作品に関わらせていただいてたんだなというのを、むしろ終わってから実感しました。
――お仕事には変化はありましたか?
うーん、なんとなくですけど、女性俳優の場合は戦隊シリーズに出演したからと言って、そこから一気にブレーク!となるパターンは、男性俳優ほど多くはないのかなと思います。むしろ、そこから数年、もがいた時期の方が長かったと思います。一番はモモニンジャーのイメージを外すのにすごく苦労して、どこに行っても自分の名前より先にモモニンジャーと紹介される感じでした。
それだけ大きい作品だったんだとそこでも実感して。だからこそイメージを外そうと、ピンクの衣装を控えたりしたのと同時に、東映さんへの恩返しにもつながればという思いで受けたのが、(末期がん患者役で丸刈りにした)「劇場版 コード・ブルー」のオーディションです。
――同じように、イメージの定着を嫌う俳優さんは多いですね。
先に進みたかったんです。過去の作品にいつまでも乗っかっているのが自分の性格的に良しとできなくて。今思えばそんなに大きな問題でもないし、流れに身を任せればいいのにとは思いますけど、当時の自分にとってはすごく大きな問題で。頑張っていましたね、まだ10代を終えたばかりで。

■転機となった3作品、10年越しの朝ドラオーディション合格
――「コード・ブルー」が上がりましたが、他に転機になった瞬間というような仕事、特別な出会いはありましたか? もがいてた時期を抜けた瞬間みたいな。
吉田鋼太郎さんと出会って、舞台「シェイクスピア」シリーズの「ヘンリー八世」(2020年、2022年)に参加できたこと、「鎌倉殿の13人」(2022年、NHK総合ほか)で大河ドラマに初めて出演できたこと、連続テレビ小説「らんまん」(2023年、NHK総合ほか)にレギュラー出演できたこと。この3つが1年ごとにかなっていって、一番大きなターニングポイントになった3年間でした。それこそ、今の自分を支えてくれていると思います。
――大河ドラマ、朝ドラを目標にしている俳優さんは多いです。山谷さんもそうだったのでしょうか?
朝ドラのオーディションは10年間受け続けました。でも、10年たつと年齢的にオーディションの幅も狭まってくるので、「らんまん」はどうしても受かりたい作品でした。牧野富太郎さんの本を読み込んで、家族構成なども話しながら面談して。やっと掴めた朝ドラだったので、とにかくものすごくうれしかったですね。
――放送中の「豊臣兄弟!」にもだし役で出演し、SNSで話題になりました。
視聴者の方々に受け入れていただけてほっとしました。だって、“絶世の美女”という人物じゃないですか。私のだしを見て、「えー!」って言われたらどうしようって。お芝居じゃない部分で作品が非難されたら申し訳なさすぎて、オンエアまでずっとドキドキでした。

■「エゴサも大好き(笑)」、NHKドラマの熱量と、視聴者の心に残るやりがい
――大河ドラマ、朝ドラと出演し、NHKのドラマ作品には縁が生まれてきているように見えます。ご自身ではどう感じていますか?
演出家さんが以前ご一緒したことのある方だったりして、NHKさんには本当に育てていただいているなと感じています。あとは、やはり届く人の数が明らかに違いますね。朝ドラや大河ドラマに出演させていただくたびに、「NHKの全国放送ってすごいんだな」と毎回圧倒されます。
今の時代でも、やはり国民的ドラマ枠としての力は大きいですね。テレビ離れの時代と言われても、NHKさんの作品からはまだまだとんでもない熱量を感じます。
――これからもいろいろな作品に出演されていくと思いますが、山谷さんにとってやりがいのある仕事とはどんなものですか?
見てくださった方の心に残る作品や役に関わらせていただいたときですね。「勇気をもらいました」「感動しました」といった感想を頂くとすごく励みになります。実は私、エゴサーチが大好きなんですよ(笑)。
作品名を検索して、自分の役や名前が少しでも話題に上がっているとうれしいんです。たとえ厳しい言葉があったとしても、その人の心に残ったんだなと思うとやりがいを感じます。時には自分では気付けなかった表現の見落としを視聴者の方のコメントで教えられることもあるので、連ドラの撮影期間中は特に欠かさずチェックするようにしています。
――メンタルが強いですね。外部の意見に左右されないようにと、あえて見ないようにする俳優さんもいらっしゃいます。
人それぞれだと思いますが、私はやっぱり見てくださる方に喜んでいただける作品を作りたいという思いが強いんです。お芝居に関しても、舞台の稽古場動画や本番の映像を何度も繰り返し見て、常に勉強だと思って取り組んでいます。

■一段ずつ登り続けた18年「いつかレッドカーペットを歩く姿を両親に見せたい」
――今は映像のお仕事が多いですが、舞台への思いはいかがですか?
やりたいですね。去年、3年ぶりに舞台に立つことができて、ものすごく楽しかったです。あのライブ感、全員で一つの作品を作り上げるバトンリレーのような感覚はたまらなかったです。
3年ブランクがあっても、「シェイクスピア」でたたき込まれた空間把握能力や言葉の使い方が自分の中に残っていると確認できて安心しました。鋼太郎さんからは本当に大きなものを頂いたんだなと。「シェイクスピア」はお芝居の基礎と言われていますし、時代劇でも助けられています。30歳になるタイミングでまた挑戦したいですし、新しい演出家さんともご一緒してみたい。来年はもっと演劇の勉強を前のめりにしていきたいですね。
――12歳から始まったキャリアを振り返り、これからの未来をどう描いていますか?
一段の高さはそれほど高くないかもしれませんが、一段一段、確実に登り続けてきたキャリアなのかなと思います。24~26歳あたりで少し多めに階段を登れた感覚があって。決して下がることはなかったというのは、すごく幸運で幸せなことだと思っています。ただ、自分の努力だけでは登れない階段もあるので、出会いの力を借りて、まだ見ぬ景色を広げていきたいです。
――その先には、大きな主演作といった目標も?
主演かどうかというのには、実はあまりこだわりは持っていないんです。それよりも、映画祭でレッドカーペットを歩くのがずっと夢で。特に「東京国際映画祭」で歩く姿を両親に見せたい。出演させていただいた映画「告白」(2010年)が「日本アカデミー賞」を受賞したときに見たレッドカーペットの美しさに魅了されて映画が大好きになったんです。あのときの感動は忘れられませんし、私もいつかあそこに立ちたいです。
◆取材・文=鈴木康道


