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「全盛期は2012年までだった」ウェイドがヒザ手術後の苦悩を回想「爆発力は戻らなかった」<DUNKSHOOT>

「全盛期は2012年までだった」ウェイドがヒザ手術後の苦悩を回想「爆発力は戻らなかった」<DUNKSHOOT>

バスケットボール選手にとって故障は避けて通れない。復帰まで1年を要する大ケガで長期離脱を余儀なくされる者もいれば、痛みを抱えながらコートに立ち続ける者もいる。

 NBAキャリア16シーズンのうち、マイアミ・ヒートで14シーズン半を過ごしたドゥエイン・ウェイドは、同球団で通算948試合に出場し、平均22.7点、4.7リバウンド、5.6アシスト、1.57スティールをマーク。通算2万1556得点や5310アシストなど、複数の球団記録を保持している。

 193cm・100kgと屈強な肉体を誇るガードは、ビッグマン相手にも当たり負けしないフィジカルと超人的な跳躍力を武器に、強烈なダンクや華麗なステップバックジャンパーなどでハイライトシーンを彩った。

 ただし、そんなウェイドもキャリアを通じてハイレベルなプレーを続けられたわけではなかった。晩年にはシックスマンの役割を受け入れ、インスタントスコアラーとして活躍した一方、爆発的な身体能力は30歳前後で徐々に下降線を辿っていったという。

 現地時間6月19日(日本時間20日)に公開された自身のポッドキャスト番組『The Check-in with Dwyane Wade』で、ウェイドはその経緯を明かした。

「3度目のヒザの手術を受けたのが2012年だった。同年のファイナルでOKC(オクラホマシティ・サンダー)を倒した後に手術を受けたんだ。あれ以降、かつてのような爆発力を完全に取り戻せたと感じることは一度もなかった。今振り返ると、復帰を急ぎすぎたんだろうね」
  ヒートはウェイドにレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)、クリス・ボッシュらを擁して2012年に優勝。翌年もリーグの頂点に立ち、フランチャイズ初の連覇を達成した。

 ウェイドは2011-12シーズンに平均22.1点、4.8リバウンド、4.6アシスト、1.67スティール、1.29ブロックを記録。翌シーズンはトレーニングキャンプから合流し、平均21.2点、5.0リバウンド、5.1アシスト、1.86スティールをあげ、オールスターとオールNBA3rdチームに名を連ねている。

 とはいえ、この頃にはウェイドは以前のようなプレーができなくなっていったという。

「リングへ向かってドライブする際、以前のように跳べなくなっているのが自分でもわかった。爆発力が失われていたんだ。だから、あのシーズンの後からはプレースタイルを変えていかなければいけなかった。全盛期と言える最後の年は2012年だったと思う。それ以降は、あくまで『それなりに良い選手』のレベルにとどまっていたんだ」

 超人的な身体能力やファーストステップが失われたといっても、ウェイドがスペシャルな選手であることに変わりはなかった。フィジカルの強さと豊富な経験から培われた駆け引きの巧さ、さらにはミッドレンジゲームを磨くことで一線級のレベルをキープし続けた。

 自身の身体の変化を受け入れ、失われた爆発力を補うようにプレースタイルを進化させていったことに、ウェイドの卓越した適応力が表われている。圧倒的な身体能力だけでなく、経験や技術、バスケットボールIQを武器にトップレベルで戦い続けたからこそ、彼はNBA史に名を刻むレジェンドとなり得たのだろう。

文●秋山裕之(フリーライター)

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配信元: THE DIGEST

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