聖子、明菜に続く第3の女─アイドル歌手としてくすぶる小泉今日子を転生させたのは、仰天の独自路線だ。元祖インフルエンサーとして消費社会に貢献、異端な役柄、政治的発言、さらには59歳で「一糸まとわぬ姿」も。変貌の軌跡から休業明けの復活を占う。
1980年代末、出版界では、半ば冗談ではあるが「小泉今日子を『需要喚起型水先案内人』として表彰しよう」という声が出た。彼女がラジオや雑誌で「この本は面白い」と言うと売れる現象が頻出したのだ。
87年にサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」について語ったら、突然売れだした。89年に吉本ばななについて語ると、吉本の小説「TUGUMI」(中央公論社。以下、刊行当時)、「キッチン」(福武書店)はこの年のベストセラーの1位と2位になった。芥川賞・直木賞ではなく、“小泉今日子文学賞”を作ったほうがベストセラーが生まれるのではないか、との声まであがった。
まだそんな言葉はなかったが、小泉は元祖インフルエンサーと言える。
小泉文学賞は作られなかったが、彼女の影響力をバブルを謳歌していた広告業界は見逃さない。80年代末からの数年間は宮沢りえ、牧瀬里穂ら年下のタレントと「CM女王」の座を競い合い、ピーク時には8社の広告に出ていた。小泉を起用すると、売上が2割増えるという伝説が生まれた。
資本主義、消費社会の象徴だったのに、リベラル文化人になるから面白い。
平成になると、小泉は年齢的にもとっくに「少女」ではなくなっていたので、歌でも映画・ドラマでも転機を迎える。しかし松田聖子が「永遠のアイドル」になり、それを追う同世代アイドルが結婚・出産して「ママドル」になっても、小泉は独自の道を切り拓いていく。
89年5月、小泉が希望して近田春夫に作詞作曲を依頼した「Fade Out」が発売された。これは同月に出るアルバム「KOIZUMIIN THE HOUSE」からシングルカットされたもので、当時の最先端の音楽であるクラブミュージックそのものだった。先端路線でブレーンとなったのがライターで編集者でもある川勝正幸で、彼を通して、いわゆるサブカル系文化人との交友を深めていった。その人脈のなかに、夫となる俳優の永瀬正敏もいた。
日本芸能界で最もメジャーなところにいたはずの小泉はサブカルの騎手になる。それもまたカッコいい生き方だった。
中川右介(なかがわ・ゆうすけ)作家、編集者。出版社アルファベータ編集長。歌謡曲に論及した「松田聖子と中森明菜」「山口百恵」ほか、クラシック音楽、歌舞伎に関する著書多数。

