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【名馬列伝】“反骨のトレーナー” 昆貢、笠松牧場の代表馬ディープスカイ 変則二冠の信念

【名馬列伝】“反骨のトレーナー” 昆貢、笠松牧場の代表馬ディープスカイ 変則二冠の信念

調教師の昆貢は反骨のトレーナーである。

 多くの厩舎がノーザンファーム、社台ファーム、白老ファームなど、GⅠレースの多くをかっさらい栄華を極める社台グループの良血馬を預かりたいと熱望するなか、昆厩舎はごく一部の外国産馬を除いて、日高地方で生産された馬たちがほとんどを占めている。1年をとおしてみずから車を運転して日高の牧場を巡って目に付く仔馬を探してまわり、積極的に自厩舎で預かっていく。

 何故か。昆貢は過去、メディアのインタビューでこう答えている。

「日高地方にはなかなかいい馬がいますよ。そんな馬と出会うために夏はずっとこつこつ歩いています。北海道での夏競馬開催中は、栗東を留守しています。同じ牧場の馬ばかりでレースをしても盛り上がらないし面白くないでしょう?」

「社台グループが強くなりすぎちゃったんです。日高にもちゃんと走る馬がいるんですよ。大物食いをしたいんです」

 広大な畑地でひそやかに光を放つ宝石を丹念に捜し歩き、そして育て、日本の競馬界に君臨する巨大コングロマリットにひと泡吹かせんと力を尽くす。それが昆貢という“反骨の人”の流儀である。
  2008年のNHKマイルカップと日本ダービーを制したディープスカイは、北海道・浦河町の笠松牧場、つまり日高地区で生まれた栗毛の牡馬である。しかし彼は、昆がそれまで管理してきた”日高出身馬”とは少し事情が違っていた。

 ディープスカイは、皐月賞を圧勝したあと屈腱炎を発症して現役を退いた“幻のダービー馬”ことアグネスタキオンを父に、イギリスから輸入されたアビ(父Chief's Crown)を母に、笠松牧場で生まれた。笠松牧場は当時、重賞勝利の経験もない、ほとんど無名に近い生産牧場だった。

 生まれ故郷で順調に育ったのちのディープスカイは1歳の春に静内へ移動した。ヤマダステーブルという育成牧場でトレーニングが施されると入厩先も決定。夏の北海道シリーズでのデビューをうかがうほどの成長を見せていた。しかし様々な事情から、入ったばかりの厩舎を退厩することになり、転厩先として声がかかったのが昆貢だった。 昆貢厩舎に入ったディープスカイはしっかりとトレーニングを積み増して2007年10月の新馬戦(京都・芝1400m)でデビューするのだが、なかなか1勝が挙げられない。のちにGⅠホースとなる馬としては、初勝利まで10戦を要したヒシミラクル(菊花賞、天皇賞(春)、宝塚記念)が有名だが、ディープスカイもそれには及ばずとも6戦を必要とし、初勝利は3歳1月の未勝利戦でのことだった。

 勝ちは何よりの薬、という言葉があるが、初勝利を挙げたディープスカイの成績は、そこから徐々に上向いていく。次走の500万下(現1勝クラス)を2着としたあと、格上挑戦となるアーリントンカップ(GⅢ、阪神・芝1600m)に出走。逃げたダンツキッスイ、先行したエーシンフォワードにこそ及ばなかったが、9番手から追い込んで勝ち馬とは0秒3差の3着に食い込み、重賞でも見劣らない力を見せた。

 その経験が次走の毎日杯(GⅢ、阪神・芝1800m)で結実する。以降、引退までずっとコンビを組む四位洋文を初めて鞍上に迎えた単勝6番人気のディープスカイは、道中は中団の後ろ目に控えて進み、直線で一気にスパート。すると自慢の末脚が爆発し、一気に先団を飲み込むと、1番人気のアドマイヤコマンドに2馬身半もの差を付けて重賞初勝利を挙げたのである。

 皐月賞に向けて“東上最終便”とも呼ばれる毎日杯の優勝に沸いた陣営だが、いったん冷静になって考えた。デビューした前年10月からこの3月末までの約半年の間に走ったレースは9戦にも及んでいる。馬の疲労も相当なものだろう。また昆厩舎は前年、ローレルゲレイロを春のGⅠレース3戦に挑戦させたが、皐月賞(GⅠ)が6着、NHKマイルカップ(GⅠ)が2着、日本ダービー(GⅠ)が13着と、ひとつも勝利を挙げられなかった事実もある。また昆は、ディープスカイが東京を走った前年11月の未勝利戦、この年2月の500万下戦(ともに2着)で見せた末脚がこのコース向きであることを感じていた。そこで陣営が選択したのは、皐月賞を見送り、NHKマイルカップと日本ダービーの、俗に言う“変則二冠”を狙うというプランだった。
 “変則二冠”は元調教師の松田国英がトライし始めたローテーションで、英国のクラシック、1600mの2000ギニー、2400mの英ダービーという流れに倣ったもの。この両レースを制すれば、将来的に種牡馬入りする際、価値が著しく高まるというのがその理由だった。松田は2001年のクロフネ、2002年のタニノギムレット、2004年のキングカメハメハの3頭でトライ。キングカメハメハでこのプランを成就させており、彼は目論見どおりに種牡馬として破格の成功を収めた。ディープスカイはそれ以来の“変則二冠”制覇を目指すことになった。

 そして臨んだ“一冠目”、稍重馬場のNHKマイルカップ。単勝オッズ4.3倍の1番人気に推されたディープスカイは、予定どおり後方に待機。第3コーナーから徐々にポジションを押し上げると、直線では内へと進路をとる。そして坂上でエンジンを全開にした彼は、先に抜け出した松田国英厩舎のブラックシェルを一気に交わし去り、1馬身3/4差を付けて快勝した。この勝利は、オーナーの深見敏男、調教師の昆貢、生産者の笠松牧場にとって、いずれもGⅠ初制覇となった。 NHKマイルカップを快勝したとはいえ、ディープスカイがこれまで経験した最長距離レースは未勝利時代の2000m戦のみであり、それも9着に惨敗していた。昆の頭には距離の問題がずっと引っ掛かっていたが、NHKマイルカップの爆発的な末脚がその不安を吹き飛ばした。東京の長い直線ならば勝てる。大一番に向けて昆は腹を固めた。

 迎えた日本ダービー。ディープスカイの単勝オッズは3.6倍と、NHKマイルカップを超える支持率を得て1番人気に推されてゲートインした。そして最内の1番枠から出た彼は距離ロスがないように内ラチ沿いに進路を取り、後方の15番手から追走。第3コーナーを回ったあたりで徐々に外へ持ち出し、大外まで位置を移しながら直線へと向いた。内寄りでは先行馬群から12番人気のスマイルジャックが抜け出し、それを6番人気のブラックシェルが追う。そこへ大外から力強い末脚で伸びてきたのがディープスカイ。1頭だけ他馬とは違う切れ味を繰り出して粘るスマイルジャックを交わすと、それに1馬身半差を付けてゴール。見事に”変則二冠”奪取の大望を成就させると同時に、昆の「大物食いをしたい」という願いもかなえたのだった。また鞍上の四位洋文は、前年のウオッカに続く2連覇という偉業を達成した。

 ひと夏越しての秋シーズン。ディープスカイは初戦の神戸新聞杯(GⅡ)でブラックシェルをクビ差抑えて勝利すると、距離適性を考慮して古馬中距離路線を選択。次走の天皇賞(秋)(GⅠ)はウオッカとダイワスカーレットがハナ差の激闘を繰り広げた“伝説のレース”となったが、ディープスカイはそれとタイム差なしの3着に健闘。続くジャパンカップ(GⅠ)でも勝ったスクリーンヒーローとは半馬身差の2着に食い込み、3着となったウオッカに先着して見せた。これらの実績が評価され、彼は2008年度のJRA賞で最優秀3歳牡馬に選出された。
  翌2009年の春には、成績次第でフランスの凱旋門賞(G1)へ挑戦するプランも発表された。しかし大阪杯(GⅡ)と安田記念(GⅠ)が2着、宝塚記念(GⅠ)が3着と勝利は挙げられず、遠征のプランは白紙に戻された。そして8月の半ばに放牧先から函館競馬場に入厩したが、足元が熱を持っていることが判明。エコー検査を受けた結果、昆が予想したとおり、左前肢に浅屈腱炎を発症していることが分かり、復帰までは早くても1年を要すると診断された。これを受けて関係者が協議した末、現役引退と種牡馬入りを決定。8月30日に、日本ダービーを制した際に付けた「1」番のゼッケンを背に引退式を挙行。北海道・日高町のダーレー・ジャパン・スタリオン・コンプレックスへスタッドインした。

 種牡馬としてのディープスカイは、ダートを中心に活躍馬を出し、そのなかには全日本2歳優駿を制したサウンドスカイ、ジャパンダートダービーを勝ったキョウエイギアというGⅠ(JpnⅠ)ホースも含まれている。そして、種牡馬を引退した2022年からは北海道・日高町のひだか・ホース・フレンズに功労馬として繋養されている。

 ウオッカやダイワスカーレットが大活躍する“牝馬の時代”に押されて地味な印象を受けがちだ。しかしディープスカイは、時代の波に押し流されるままにしておくにはあまりに勿体ない名馬だったと、いま改めて感じている。

文●三好達彦

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配信元: THE DIGEST

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