
災害現場では、人間が入れないほど狭く、しかも水没した空間がしばしば生まれます。
がれきの隙間、排水管、地下トンネル、浸水した通路などは、救助や点検が必要でありながら、従来のロボットでも進入が難しい場所です。
そこで期待されているのが、生きた昆虫の運動能力を利用する「サイボーグ昆虫」です。
しかし、これまでのサイボーグ昆虫には大きな弱点がありました。
それは、陸上昆虫である以上、水中では呼吸できないことです。
今回、南洋理工大学シンガポール(NTUS)と早稲田大学の研究チームは、陸上昆虫を水中でも活動させるための柔軟な「潜水スーツ」を開発しました。
研究の詳細は2026年6月29日付で学術誌『Nature Communications』に掲載されています。
目次
- サイボーグ昆虫を「水陸両用」にするスーツ
- 水中で最大3時間の活動が可能に
サイボーグ昆虫を「水陸両用」にするスーツ
サイボーグ昆虫とは、生きた昆虫に小型の電子制御装置を取り付け、外部から移動方向などを誘導する技術です。
小型ロボットはモーターを動かすために多くの電力を必要としますが、サイボーグ昆虫は昆虫自身の筋肉を使って歩くため、少ない電力で移動できます。
また、昆虫の体は小さく、複雑な地形にも適応しやすいため、がれきや配管のような狭い場所の探索に向いています。
ただし、その活動範囲は昆虫の体の限界に縛られます。
例えば、ゴキブリのような陸上昆虫は、水中の酸素を魚のように取り込めません。
昆虫は体表にある「気門」から空気を取り込み、気管を通して全身へ酸素を送っています。
そのため、水中に沈むと気門から空気を取り込めず、活動を続けることが困難になります。
そこで研究チームは今回、マダガスカルオオゴキブリを用いて、彼らに装着できる小型の潜水スーツを設計しました。
このスーツは、
・酸素を発生させる装置
・体を水から守る柔軟な防水シェル
・発生した酸素を胸部の気門へ届ける酸素供給チューブ
から構成されています。
【こちらがスーツを着用したサイボーグ昆虫の実際の画像。昆虫が苦手な方は閲覧をお控えください】
仕組みの中心にあるのは、過酸化水素水と二酸化マンガンを使った酸素発生です。
過酸化水素は二酸化マンガンを触媒として分解され、水と酸素を生じます。
ただし、単に反応させるだけでは泡が激しく発生し、昆虫の動きを不安定にしてしまいます。
そこでチームは、二酸化マンガンをセルローススポンジに固定し、反応を細かい場所で分散して起こすようにしました。
これにより、激しい泡立ちを抑えながら、安定して酸素を供給できるようにしたのです。
また、酸素発生器にはPTFE微多孔膜が使われています。
これは気体を通しつつ液体を通しにくい膜で、発生した酸素だけを外へ送り、過酸化水素水や二酸化マンガンが漏れるのを防ぎます。
研究では、振動や長時間の配置試験でも液体漏れは確認されず、装着した個体は実験後3日間生存し、通常の行動を示したと報告されています。
水中で最大3時間の活動が可能に
では、この潜水スーツは実際にどれほど効果があったのでしょうか。
実験では、1.0mLの3%過酸化水素水を使うことで、酸素発生量は6.2±0.2mLに達しました。
スーツ内の酸素濃度は注入から約8分後に47.4±14.2%まで上昇し、3時間後でも14.8±3.4%を維持しました。
一方、酸素発生器がない場合、スーツ内の酸素濃度は1時間で6.2±2.7%まで低下しました。
実際の水中試験でも、違いは明確でした。
潜水スーツを装着したサイボーグ昆虫は、水中で2〜3時間にわたり外部刺激に反応し、移動を続けることができました。
これに対し、スーツを装着していないゴキブリは、水中で約2分以内に窒息しました。
【潜水スーツの仕組みの説明画像がこちら】
また、運動能力も保たれていました。
陸上での平均前進速度は87.5mm/s、水中では78.4mm/sでした。
水中では流体抵抗の影響で旋回速度が低下しましたが、それでも3時間後まで前進や旋回の動きは維持されました。
さらにチームは、実際の災害現場を想定した実験も行っています。
長さ1.7m、断面5cm四方のトンネルを作り、その中にCO₂で満たされた区間と水没区間を連続して配置。
スーツなしのサイボーグ昆虫は、CO₂や水中で反応を失いました。
しかし潜水スーツを装着した個体は、3回すべての試行でCO₂区間と水没区間を通過しました。
また、外付けの装置が狭い隙間に引っかかる問題に対しては、バックパックとバッテリーを体内に埋め込む構成も試されました。
この完全埋め込み型のサイボーグ昆虫は、水中にある高さ2cmの狭い隙間を通過できました。
この成果は、サイボーグ昆虫の活動範囲を「陸上」から「水中」や「低酸素環境」へ広げるものです。
洪水後のがれき、排水管、下水道、地下トンネルなど、従来の小型ロボットでも入りにくい場所で、将来的に人命探索やインフラ点検に役立つ可能性があります。
ただし、すぐに現場投入できる段階ではありません。
泥、水流、複雑ながれき、長距離移動、通信、位置推定、センサー搭載など、実用化に向けて解決すべき課題はまだ残っています。
それでも今回の研究は、昆虫の身体能力と人工装置を組み合わせることで、従来のロボットとは違う探索手段を生み出せることを示しています。
小さなゴキブリ用の潜水スーツは、未来の災害現場で、人間がたどり着けない場所へ最初に向かう「小さな調査員」になるかもしれません
参考文献
世界初、陸上昆虫で水中探査が可能に 酸素供給スーツで3時間潜水するサイボーグ昆虫を実現 ~浸水した災害現場やインフラ内部での活用に期待~
https://www.waseda.jp/inst/research/news/84905
元論文
Underwater Suit-Wearing Cyborg Insect Capable of Hours-Long Diving and Terra-Aqua Travel
https://doi.org/10.1038/s41467-026-74235-1
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

