アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、スノーボードのビッグエアとスロープスタイルでミラノ・コルティナオリンピックに出場、スロープスタイルで金メダルを獲得した深田茉莉さん。第一線で活躍した経緯、その土台となる食への意識、今後への思いなどを前編/後編でお届けする。
――スノーボードを始めたきっかけを教えてください。
スノーボードは家族が好きだったので小学校1年の頃からやっていました。土日に滑りに行って、競技としてではなくファミリーで楽しむという感じでした。
――本格的にスノーボードに取り組むようになったのはいつ頃だったのでしょうか。
13歳の時に今も指導していただいている佐藤(康弘)コーチや先輩である岩渕麗楽選手と出会いました。世界で戦う人を見てかっこいいなと感じましたし、佐藤コーチに習ってからはすごく技術も上がったので「このコーチについていったら上を目指せるのではないか」と思いました。そこから佐藤コーチのいる埼玉の方に愛知から通うようになりました。
最初は毎週末でしたが、段々と学校に2週間くらい行ったら埼玉に2週間くらい練習に打ち込むというスノーボード中心の生活になっていき、高校生からは、こちらの大学に通うことになった兄と埼玉で2人暮らしを始めて、今も一緒に住んでいます。
――練習のために埼玉に通うなかで、学生という立場と競技とどう両立させていましたか?
中学校のときは、勉強もついていけないし、友達もなかなか作れなくて大変でした。高校生では通信制に通うことにしたのでスノーボードに集中できるようになりました。毎日練習してスキルを上げていかないと、レベルアップが難しいので、その選択がよかったのかなと思っています。
――高校1年でワールドカップにデビューし、ビッグエアで優勝。またスロープスタイルではコンチネンタルカップで優勝と、急速に成長した印象があります。何が要因だったのでしょうか。
佐藤コーチからの影響や教えが大切だったと思います。努力家であり、人のために尽くせる方なので、ダメなときはしっかり叱ってくれて、親子のように接してくれるコーチだったことが私にとって大きなことでした。
あとは練習量の部分でも恵まれていたと思います。中国に行ってトレーニングをすることができたり、いつもお世話になっている練習施設も営業時間外から滑れるようにしてくれたり、たくさんの人が場所や時間を用意してくださって本当に助けていただきました。
――どんどんと結果を出すなかでご自身の意識に変化はありましたか?
オリンピックは小さい頃から目標にしていましたが、まだぼんやりとしたイメージでした。でも初めてワールドカップに出場して優勝できたとき、自分でも戦えると感じて、そこからは現実的な目標としてオリンピックに出てメダルを取りたいと考えるようになりました。
――そのワールドカップデビューの前シーズンには北京オリンピックがありました。
北京五輪はテレビで観ていました。安比高原というところで練習しているときで、いつも同じ練習施設で練習している岩渕選手や大塚健選手が出場していたので、応援していましたし、これから自分が目指したい場所を見ておかないといけないなと思っていました。
――北京で活躍していた選手からはどのような影響を受けましたか?
そうですね。やっぱり1位を取った選手はかっこいいなと思いましたし、見ている人に与える影響力っていうのはすごいだろうなと思いました。岩渕選手は4位でしたが、五輪という大舞台で世界初の技にトライした結果でしたし、スノーボードだけではありませんが、競技後に選手同士がお互いを称え合ってハグするような光景はスポーツじゃないと起こらない感動なのかなと思うので、自分もそんな風にリスペクトされる選手になりたいと憧れを覚えました。
<プロフィール>
深田茉莉(ふかだまり)
2007年1月1日生まれ、愛知県みよし市出身
小学1年生のとき、スノーボードを始める。13歳から埼玉県熊谷市に通うようになり競技として本格的に取り組む。高校1年生でワールドカップに出場し、アメリカでの大会でビッグエア優勝。以降、ワールドカップや世界選手権で活躍。2026年ミラノ・オリンピックに出場、ビッグエア9位、スロープスタイル金メダル。この金メダルは日本女子最年少での獲得であった。

