
人生のスタート地点は、老後の心の健康をどこまで左右するのでしょうか。
貧しい子ども時代を過ごすことは、発達や健康に大きな影響を与えると考えられています。
しかし東京都健康長寿医療センターの新たな研究は、たとえ子ども時代に経済的困難があっても、その後の人生で困難が和らいでいた人では、高齢期の抑うつ傾向が低いという関連を示しました。
この成果は、2026年4月5日に国際学術誌『Journal of Epidemiology』で公開されています。
目次
- 経済的困難は「いつ苦しかったか」だけでなく「どう変化したか」が重要
- 「貧しかったか」より「抜け出せたか」が老後の心に関わる可能性
経済的困難は「いつ苦しかったか」だけでなく「どう変化したか」が重要
経済的に厳しい状況が、心の健康に影響することは以前から知られていました。
特に子ども時代の貧困は、教育機会や健康、将来の生活環境にも関わるため、長期的な影響を残す可能性があります。
それでも人生は一枚の写真ではなく、長い映画のように変化していくものです。
子どもの頃は苦しかったものの、大人になるにつれて生活が安定した人もいれば、逆に若い頃は困っていなかったのに、高齢期にかけて経済的に厳しくなる人もいます。
そこで研究チームは、経済的困難を「ある時点」だけで見るのではなく、子ども期から高齢期までの変化の軌跡として捉えることにしました。
分析に使われたのは、2012年に実施された「長寿社会における中高年者の暮らし方の調査」のデータです。
対象となったのは、全国から層化二段無作為抽出で選ばれた高齢者のうち、調査に回答した60〜92歳の男女1324人でした。
研究では、「18歳以下」「25〜35歳」「35〜50歳」「現在」の4時点について、生活必需品への支出に困ったかどうかを尋ねました。
また、現在の抑うつ傾向は、CES-D-8という8項目の尺度で評価されました。
その結果、経済的困難の推移は5つのタイプに分かれました。
「一貫して経済的困難が小さい群」「経済的困難が徐々に和らいだ群」「経済的困難が中程度で推移した群」「経済的困難が徐々に強まった群」「一貫して経済的困難が強い群」です。
そして大きな発見は、子ども時代には苦しかったものの、その後に困難が徐々に和らいだ人たちでは、一貫して困難が強かった人たちに比べて、抑うつ傾向が低かったことでした。
より詳細な結果は、次項で見ていきましょう。
「貧しかったか」より「抜け出せたか」が老後の心に関わる可能性
研究チームは、抑うつ傾向との関連を調べる際に、年齢や性別だけでなく、現在の所得、学歴、婚姻状況、就労状況、健康状態、孤独感、さらに両親の学歴なども統計的に調整しました。
つまり、単に「今の収入が高いから抑うつ傾向が低い」という説明だけでは片づけられないようにしたのです。
そのうえで、「経済的困難が徐々に和らいだ群」は、「一貫して経済的困難が強い群」に比べて、抑うつ傾向を示すオッズが低いことが分かりました。
調整後のオッズ比は0.60でした。
さらに興味深いことに、モデルで推定された予測確率だけを見ると、抑うつ傾向は「経済的困難が徐々に和らいだ群」で12.5%、「一貫して経済的困難が小さい群」で15.8%でした。
数値上は、“ずっと困難が小さかった人”よりも、“困難を抜け出した人”の方が低い値を示していたのです。
また、今回の分析では、この関連は男性よりも女性でより顕著でした。
では、なぜ経済的困難が和らぐことが、老後の心の健康と関係するのでしょうか。
研究チームはその理由として、経済的困難が和らぐことで慢性的なストレスが減ったり、心理的な回復力が育まれたりする可能性を考察しています。
一方、一貫して経済的困難が強い群では、経済的困難が長く続くことで、生活不安だけでなく、家族関係や社会関係、自尊心、社会的支援などにも影響し、ストレスが積み重なりやすくなると考えられます。
この研究は横断研究であり、「経済的困難を抜け出したから抑うつ傾向が低くなった」と因果関係を断定することはできません。
また、対象者の多くは日本の高度経済成長期に若年期や中年期を過ごしており、現在の若い世代にそのまま当てはまるとは限らない点にも注意が必要です。
それでも本研究は、子ども時代の経済的困難だけで老後の心の健康が決まるわけではなく、人生の途中で困難から抜け出せる機会を増やすことが、高齢期のメンタルヘルスを支える可能性を示しています。
参考文献
子ども時代に経済的な困難があっても、 その後の人生で困難が和らいだ高齢者は抑うつ傾向が低い
https://www.tmig.or.jp/research/news/nid00001346.html
元論文
Trajectories of Life Course Financial Disadvantage and Depressive Mood: Results From the National Survey of the Japanese Elderly
https://doi.org/10.2188/jea.JE20250159
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部

