
最後に視線が集まるのは、この男。チームを救う2ゴールも、ケインが偉大であればあるほど、イングランドの問題も浮かび上がる【現地発】
また、ハリー・ケインがイングランドを救った。
イングランドが敗退まで残り15分に追い込まれた時、最後に視線が集まるのは、やはりこの男である。
北中米W杯の決勝トーナメント1回戦、DRコンゴ戦。開始7分に先制されたイングランドは、75分まで0-1のまま時間を失っていた。攻めてはいたし、チャンスも作っていた。だが、相手GKリオネル・エンパシの好守もあり、ゴールは遠かった。
そして何より、内容が重かった。
ガーナ戦、パナマ戦でも感じた不安が、再び顔を出していた。守備は落ち着かず、中盤は試合を支配し切れず、攻撃は最後の精度を欠いた。この内容で本当に優勝できるのか。そう感じさせる75分間だった。
英メディアの論調も、そこは厳しかった。
BBC放送は、コンゴ戦について「我が国のW杯史に残る屈辱を危うく回避した」と伝えた。『タイムズ』も厳しい試合展開に「2016年EUROで敗退が決まった、アイスランド戦を思い出した」と書いた。あの悪夢のような敗戦を知る者なら、DRコンゴに追い込まれたイングランドの選手たちの表情に、同じ種類の恐怖を見たというのである。
その空気を変えたのがケインだった。ファーサイドからの柔らかいクロスに、力強いヘディングで同点弾を叩き込んだ。
だが、この日のケインの凄みは、86分の逆転弾に表われていた。ペナルティエリア付近の密集で右足へ持ち替え、強烈なシュートをゴール上部へ突き刺した。元イングランド代表FWのアラン・シアラーは「殺し屋ストライカーの一撃」と評した。半歩のスペースを与えれば、ケインは決め切る。まさに、その通りのゴールだった。
試合後、イングランドの選手たちはピッチで円陣を組み、主将ケインの言葉に耳を傾けた。「今を楽しもう」。そう言ったという。サポーターが陣取ったスタンドからは英ロックバンド、Oasisの『Wonderwall』が歌われていた。今大会のアンセムにしたいとサポーターが願っている曲だ。その一節に、こうある。
「たぶん君こそが、僕を救ってくれる人なんだ」
英『デーリー・テレグラフ』紙は、「その歌詞はこの夜、ケインのためにあった」と書いた。それ以上に的確な言葉はないだろう。ケインはイングランドを救った。しかもまたしても、である。
そのケインは今季、数字の上でも異常な領域にいる。
所属クラブのバイエルン・ミュンヘンとイングランド代表を合わせて「72ゴール」。イングランド代表では通算84得点となった。W杯通算では13得点で、ペレの記録を上回った。
元イングランド代表DFのジェイミー・キャラガーは、テレグラフ紙の手記で「もし今この瞬間にバロンドールの投票が行なわれるなら、受賞者はケインであるべきだ」と訴えた。「ここ最近、1シーズンでこれほどの数字を残したのは、全盛期のリオネル・メッシくらいしかいない」とも記している。
トーマス・トゥヘル監督の言葉も面白い。
ケイン、メッシ、キリアン・エムバペ、アーリング・ハーランドのような選手たちは、お互いの得点を見ているという。誰が何点決めたか、誰が試合を決めたか。それを知ったうえで、さらに自分も決めにいく。トゥヘル監督は彼らのようなアタッカーを「サメ」と呼んだ。血の匂いを嗅ぎつければ、そこへ行き、ゴールを決める。ケインは、まさにその群れの中にいる。
ただし、ケインという人物には派手さがまるでない。
少年時代からの知り合いであるケイティ・グッドランドさんと結婚し、家庭を大切にする愛妻家という印象が強い。スター選手にありがちな、きらびやかな生活を誇示するタイプでもない。真面目で、誠実で、地に足がついている。
有名な一枚の写真がある。元イングランド代表MFのデイビッド・ベッカムが、2005年にロンドンに設立した「David Beckham Academy」で、少年時代のケインが憧れのベッカムの隣に立っている。ケインはこのアカデミーに通っていた。
その近くには、後に妻となる少女時代のケイティの姿もあった。ベッカムの隣で笑っていた少年が、今はイングランドの主将として国を背負い、W杯でチームを救っている。その物語性も、ケインという選手を特別な存在にしている。
ただ、ここで美談として終えるわけにはいかない。ケインが偉大であればあるほど、イングランド代表の問題も浮かび上がるからだ。
BBCが指摘したように、この逆転劇によって、それまで露呈していたチームの乱れや守備の脆さが消えるわけではない。タイムズ紙も「イングランドには試合終了まで、落ち着きも考えも欠けていた」と指摘した。テレグラフ紙に至っては、「ケインが救ったのはイングランドのW杯だけでなく、トゥヘルの仕事でもあった」とまで主張した。その見方は、間違っていない。
イングランドは個の力で試合をひっくり返した。ケインが決め、ベリンガムが何かを起こす。だが、それだけでW杯の頂点まで届くのか。そこにはまたしても大きな疑問が残る。DRコンゴ戦で見えたのは、組織として相手を圧倒する優勝候補の姿ではなかった。
次の相手はメキシコだ。しかも、メキシコシティーのアステカ・スタジアム。標高は約2240メートルである。
トゥヘル監督自身も、試合前の数日では高地に順応するのは不可能だと難しさを認める。さらに、メキシコのサポーターが決勝トーナメント1回戦の対戦相手だったエクアドルの試合前夜に、彼らのホテル周辺で騒音を立てたという報道もある。
イングランドは宿泊先を公表せず、耳栓や睡眠用バンド、ホワイトノイズ機器(※テレビの砂嵐音に似た「サーッ」という均一な雑音を流す機械)まで用意している。
ピッチ上だけではない。次のメキシコ戦では、空気の薄さも、開催国の熱気も、眠りを妨げるかもしれない夜の騒音も相手になる。
ケインはイングランドを救った。
だが、イングランドがこの先も「ケインが救ってくれる」ことを前提に戦うなら、優勝には届かないだろう。メキシコの高地で問われるのは、イングランドが彼の偉大さに見合うチームになれるかどうかだ。
文●田嶋コウスケ
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