
カーボベルデってどこ?「もう誰も聞いてこなくなった」。ロペスら世界中に散らばったルーツを持つ選手が集結。サッカーを通じて一つの国として姿を現わし、その名は人々の記憶に刻まれた【W杯】
「これこそが、私たちがW杯を愛する理由である」
英紙『タイムズ』は、北中米W杯の決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン対カーボベルデ戦をそう表現した。
リオネル・メッシを擁する前回王者が、人口約52万5000人の島国に延長戦まで追い込まれる。日本で言えば鳥取県ほどの人口しかない小さな国が、三度のW杯制覇を誇る強敵と互角に渡り合う。
世界中の誰が、そんな試合を想像しただろうか。タイムズ紙はこうも伝えた。「誰もが心を動かされるのは、やはり彼らのようなアンダードッグの物語だ」と。
マイアミ・スタジアムで、カーボベルデはアルゼンチンに2-3で敗れた。だが、単なる敗戦とは言えない内容だった。メッシに先制されても追いつき、延長戦で再び勝ち越されても、また追いついた。最後はオウンゴールに泣いたが、イギリスでも大きく報じられたのは、アルゼンチンの勝利だけではなかった。カーボベルデの勇敢な戦いぶりもまた、称賛を持って伝えられた。
カーボベルデは、アフリカ西岸沖の大西洋に浮かぶ10の島からなる国である。1975年にポルトガルから独立し、W杯出場は今回が初めて。大会前、そんな彼らを決勝トーナメント進出候補に挙げる人はほとんどいなかった。グループHには欧州王者スペイン、南米の強豪ウルグアイ、サウジアラビアがいた。普通に考えれば、グループステージ敗退が濃厚だった。
ところが初戦でスペインを0-0で封じると、続くウルグアイ戦も2-2で引き分けた。最終戦のサウジアラビア戦でもスコアレスドローで勝点を積み上げ、勝点3ながらグループ2位でラウンド32へ進出。W杯初出場の国が、いきなり世界の強豪国を相手に旋風を巻き起こした。
躍進の原動力となったのが、40歳GKのヴォジーニャだった。
昨季までポルトガル2部のシャベスでプレーし、契約満了によって現在はフリー。スペイン戦で神がかったセーブを連発すると、アルゼンチン戦でも8本のセーブを記録した。今大会通算18セーブは大会3位の数字だ。
元イングランド代表DFのギャリー・ネビルは、英テレビ局ITVで「ヴォジーニャはこのワールドカップのおかげで、必ず良いクラブへ移籍することになる」と語った。「彼はいったい今までどこにいたんだ!? もっと早く知っているべきだった」とも驚きを隠さなかった。
元イングランド代表FWのイアン・ライトも、アルゼンチン戦のヴォジーニャには「英雄のオーラがあった」と称えていた。
アルゼンチン戦で輝いたのは守護神だけではない。
後半にMFのデロイ・ドゥアルテが低いシュートを突き刺して同点。延長戦で勝ち越された後には、左サイドバックのシドニー・ロペス・カブラルが大会屈指の一撃を放った。
左サイドから内側へ持ち込み、鋭く落ちるシュートをゴール右上へ決めた。今夏にトルコのトラブゾンスポルへ加入したばかりのカブラルは、3年前にはドイツ4部のロート=ヴァイス・エアフルトでプレーしていた選手である。その彼が、世界王者を沈黙させた。アルゼンチンのリオネル・スカローニ監督も「あれは信じられないゴール。守ることは不可能だった」と脱帽するしかなかった。
カーボベルデの快進撃を象徴する存在が、DFのロベルト・ロペスだった。
ロペスは、アイルランドのダブリン生まれ。父のカルロスはカーボベルデのサン・ニコラウ島出身で、16歳の時に島を離れた。ロペス自身はアイルランドのU-19代表経験を持つ一方、10年前は住宅ローンアドバイザーとして働きながら、アイルランド1部ボヘミアンズでパートタイムの選手としてプレーしていた。
幼い頃から父の祖国を意識する機会は多くなかった。本人も後に「自分のルーツについて十分に知らず、それを語るのが少し恥ずかしかった」と振り返っている。祖父母の故郷について質問されても、自信を持って答えられなかったという。
転機は2017年だった。
ダブリンのライバルクラブ、シャムロック・ローヴァーズからオファーを受け、昼の仕事を辞めてプロ選手となった。そして2019年、さらに思いがけない形でカーボベルデ代表への道が開ける。
当時の代表監督から、ビジネス向けSNSのLinkedIn(リンクトイン)にポルトガル語のメッセージが届いた。だが、ロペスはポルトガル語が分からず、それを迷惑メールだと思って無視してしまう。
約9か月後、今度は英語で再び連絡が来た。「以前の話を考えてくれましたか?」。そこで初めて元のメッセージをGoogle翻訳にかけ、内容がカーボベルデ代表入りへの打診だったことを知った。
ロペスはすぐに心を決めた。「100%、代表の一員になりたい」。その返事から、彼のもう一つの人生が始まった。
このロペスのエピソードは、カーボベルデ代表の成り立ちそのものを表わしている。
国内1部リーグは12クラブしかない。欧州5大リーグでプレーする選手もほとんどいない。国内リーグだけでは、人材は限られる。
そこで同国のサッカー連盟が目を向けたのが、世界中に散らばるカーボベルデ系の人々や、その子孫だった。
こうした人々は「ディアスポラ」と呼ばれる。もともとはギリシャ語で「離散」や「散らばること」を意味する言葉だ。カーボベルデの場合、独立前の1960年代から70年代にかけて多くの人々が島を離れ、ポルトガルやオランダ、フランス、アイルランド、アメリカなどにコミュニティを築いた。
その世界中に散らばったルーツを持つ選手たちが、代表チームの一員として支えた。同代表の26人中、14人がカーボベルデ国外生まれだ。つまり過半数(約54%)がディアスポラにあたる。
アイルランド生まれのロペスは、英BBC放送でこう語った。
「私たちは世界中に散らばっている。でも、こうして一つになれば、こんなことまで成し遂げられるんだ」
FWのダイロン・リブラメントも、その一人だ。オランダ・ロッテルダム生まれの彼は、量産型のストライカーではない。しかし大舞台に強く、予選のカメルーン戦では見事な独走ゴールを決め、国民的英雄となった。
もちろん、48チーム制への拡大により、アフリカの出場枠が増えたことは追い風だった。だが、それだけで彼らの物語を説明することはできない。スペインを無得点に抑え、ウルグアイと打ち合い、アルゼンチンを延長戦の最後まで追い詰めた戦いは、新制度の産物ではなく、このチームが持つ力と信念を、自らのプレーで証明したものだった。
英BBCラジオで、元スコットランド代表のジェームズ・マクファデンはこう語った。
「カーボベルデは敗れた。だが、彼らは勝者でもあった」
カーボベルデ代表が示したのは、勇気や結束力であり、「自分たちが何者であるか?」への揺るぎない信念だった。
強豪国に挑む小国の健闘だけなら、W杯では時折起こる。だが、カーボベルデの物語が特別だったのは、世界中に散らばった人々が、サッカーを通じて一つの国として姿を現わしたことにある。
試合後、カーボベルデの選手たちはピッチに崩れ落ちた。帰りたくなかったのだろう。この舞台に、もっと長くいたかったのだろう。それでも彼らは、確かな足跡を残した。
メッシは試合後、「試合中は僕を散々蹴ってきたのに、終わったらユニホームを欲しがって、写真まで撮っていたよ」と笑みを浮かべたが、こうも語っている。
「正直に言えば、この試合は最初からとても難しくなると分かっていた。彼らを過小評価したことは一度もない」
そのメッシも、最後まで諦めないカーボベルデを前に、自陣深くまで戻って守備に走った。世界最高の選手をそこまで走らせたこと自体が、カーボベルデの奮闘を物語っていた。
前出のロペスは、今大会の意味をこう表現している。
「もう誰も『カーボベルデって地図のどこにあるの?』と、聞いてこなくなった」
それ自体が、彼らにとって勝利だったのかもしれない。カーボベルデはアルゼンチンに敗れた。だが、その名は世界中の人々の記憶に刻まれた。小さな島国の大きな夢は、マイアミの夜に終わったのではない。そこから始まったのだ。
文●田嶋コウスケ
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