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28年前、欧州競馬を震撼させたタイキシャトル 日本競馬史に残る“最強マイラー“の軌跡【名馬列伝】

28年前、欧州競馬を震撼させたタイキシャトル 日本競馬史に残る“最強マイラー“の軌跡【名馬列伝】

2024年の春、JRA史上に残る数々の記録を打ち立てた藤沢和雄が調教師を引退した。そんな名伯楽であっても、厩舎を開業してからしばらくの間はトップクラスの血統馬を管理することができなかった。彼が開業した1990年代の競走馬市場には、現在の『セレクトセール』のような、一流の血統馬が財力さえあれば誰でも自由に買えるセリ市はなく、評判の高い馬のほとんどは牧場が贔屓の馬主や調教師と直接売買する“庭先取引”が主流。新入りの馬主や若い調教師が割って入る隙間は無いに近かった。

 開業当初から水準以上の成績を挙げていた藤沢だが、なかなか重賞に手が届くようなトップホースを管理する機会には恵まれなかった。そんな若きトレーナーに手を差し伸べたのは、藤沢が調教助手を務めていたころに“皇帝”シンボリルドルフを通じて旧知の間柄だった騎手の岡部幸雄だった。

 岡部は古くから自身をバックアップしてくれていたオーナーの赤沢胖(ゆたか)が米国の牧場を買収し、そこで生産した馬をアイルランドで育成・調教。そのなかから日本競馬に合いそうな馬をピックアップしたうえで輸入し、新たに北海道の広尾郡大樹(たいき)町に開いた大樹ファームでさらに調教を積んで調教師のもとへ送り出すという壮大なプロジェクトを進めていた。そのため買収前に米国の牧場でマネージャーを務めていた優秀なホースマン、ジョン・マルドゥーンと再契約した。

 この試みはすなわち外国産馬を取り扱うということで、競馬サークルに入る前にアイルランドで4年の研修を積み、欧州スタイルの育成・調教から多大な影響を受けていた藤沢にとっては願ってもないチャンスとなる。このプロジェクトを任された赤澤胖の息子、赤澤芳樹とタッグを組んで外国産馬を管理するという新機軸に活路を見出そうとした。

 この挑戦は目覚ましい成果を挙げる。新たに設立したクラブ法人『大樹レーシングクラブ』に生産・育成馬を供給するほか、マーケットブリーダーの役割も担っていた大樹ファームは、赤澤がアイルランドのセールで購買した名種牡馬カーリアン(Caerleon)産駒の牝馬を輸入し、藤沢の勧めに応じた馬主の安田修に売却。シンコウラブリイと名付けられ、藤沢のもとへと入厩した。
  主戦騎手を務めた岡部は調教から深く関わりを持ち、藤沢の新たな試みをバックアップした。1991年11月にデビューしたその外国産の才媛は翌年のニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GⅡ)に優勝。これが藤沢にとって初の重賞制覇となる。その後も重賞勝利を4つ積み重ね、1993年のマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を勝って、自ら引退の花道を飾った。もちろん藤沢にとっての初GⅠ制覇であった。

 藤沢と大樹ファームのコンビはその後も次々と外国産の活躍馬を送り出す。1997年にはタイキブリザードで安田記念(GⅠ)を制した。その年の2月に入厩した尾花栗毛の牡馬が驚異的な成功を収める。その馬は、父デヴィルズバッグ(Devil's Bag)、母ウェルシュマフィン、母の父カーリアン(Caerleon)という血統の米国産馬で、名をタイキシャトルと言った。 育成・調教先であるアイルランドで藤沢の眼鏡にかなったタイキシャトルは、1995年に北海道の大樹ファームへ移動。怪我などによって予定より遅れたものの、1997年2月に美浦トレーニング・センターの藤沢厩舎へ入る。入厩後もソエが出たりと足元がなかなか固まらなかったためデビューが遅れ、脚に過度な負担がかからないダート戦でデビューすることになった。

 4月19日のデビューは未勝利戦(東京・ダート1600m)。鞍上は主戦の岡部。ここを2番手から抜け出して後続を4馬身(0秒7差)突き放して圧勝すると、5月3日の500万下戦(現1勝クラス、京都・ダート1200m)も2着に1馬身(0秒2)差を付けて快勝。足元が徐々に固まってきたため芝を試すことになり、次走は菖蒲ステークス(OP、東京・芝1600m)に出走すると、このレースは逃げて2着に1馬3/4馬身(0秒3)差を付けて押し切り、初の芝レースも難なくこなした。続く菩提樹ステークス(OP、阪神・芝1400m)は逃げ馬をクビ差捉まえ切れず同タイムの2着と初の敗戦を喫し、これで春シーズンの戦いを終えた。

 夏の放牧休養をはさんで美浦トレーニング・センターへ戻ってきたタイキシャトルは3歳限定のダート戦、ユニコーンステークス(GⅢ、東京・ダート1600m)を次走に選んだ。これを先団からの差し切りで、2着に2馬身半(0秒4)の差を付けて圧勝。強い競馬で重賞初制覇を成し遂げた。
  陣営は目覚ましい充実ぶりを見せたここを境に芝の短距離路線に舵を切ることを決定。主戦の岡部が藤沢厩舎の同厩であるシンコウキングに騎乗するため、手綱は限定的に横山典弘に託されることになった。

 新コンビの初戦となったのはスワンステークス(京都、芝1400m)。好スタートから3番手を奪い、ポジションを押し上げながら最終コーナーを回ると力強い末脚を繰り出して差し切り勝ち。スギノハヤカゼ、エイシンバーリン、フラワーパーク、シンコウキングら有力馬を寄せ付けない圧勝だった。

 そしてついに迎えた大舞台。マイルチャンピオンシップ(GⅠ、京都・芝1600m)へ駒を進めたタイキシャトルは、武豊が乗るスピードワールドに続き、単勝オッズ3.8倍の2番人気での出走となった。逃げるキョウエイマーチを先にいかせて4番手の好位置をキープしたタイキシャトルは、流れが激しくなった第3コーナーすぎからも余裕を持って追走し、直線へ向くと末脚を一閃。粘るキョウエイマーチを差し切ると、それに2馬身半(0秒4)もの差を付けて圧勝。芝マイル戦線の頂を極めた。

 その余勢を駆って臨んだのは、当時は12月半ばに行なわれていたスプリンターズステークス(GⅠ、中山・芝1200m)。主戦の岡部に手綱が戻り、単勝オッズ1.9倍の1番人気、圧倒的な支持を受けたタイキシャトルは、ここでも余裕綽々のレースを見せる。逃げたいキョウエイマーチ、エイシンバーリンを先に行かせて自身は4番手をキープ。直線へ向くとあっという間に先頭へと躍り出て、2着のスギノハヤカゼに1馬身3/4(0秒3)の差を付けて快勝。3歳の秋にして短距離王者の座を確たるものとした。これらの活躍が評価され、1997年度のJRA賞で最優秀短距離馬に選出された。 成績によっては海外遠征の可能性もあるという命題を背負って、タイキシャトルの1998年は始まった。始動戦に選ばれた京王杯スプリングカップ(GⅡ、東京・芝1400m)に単勝オッズ1.5倍の圧倒的な支持を受けた彼は直線2番手から抜け出すと、追い込むオースミタイクーンに1馬身半(0秒2)差を付けて快勝。続く安田記念(GⅠ、東京・1600m)でも単勝オッズは1.3倍という高い支持。大雨で馬場状態が『不良』となったことが危惧されたタイキシャトルだったが、それは要らぬ心配。どしゃどしゃの馬場のうえ、香港から参戦したオリエンタルエクスプレスがいったん抜け出すが、状態の良い馬場の中央まで持ち出したタイキシャトルは緩い足下をまったく気にせず豪快に末脚を伸ばして一気の差し切りを決めて、2馬身半(0秒4)差の圧勝で二つ目のGⅠタイトルを手に入れた。

 陣営から海外遠征に対するゴーサインが出て、レース選択の最終決定は藤沢に任された。赤澤が牧場を手に入れてから地道なサポートを続けていた副社長のジョン・マルドゥーンは、英サセックスステークス(G1)、仏ジャック・ル・マロワ賞(GⅠ)の二つであれば、より平坦な馬場で行なわれるジャック・ル・マロワ賞のほうが良いと勧めた。その声を聴いてもまだ頭を悩ませていたが、栗東トレーニング・センターの調教師である森秀行から「うちのシーキングザパールをフランスへ運ぶので(G1のモーリス・ド・ゲスト賞に出走予定)、経費を節約するため一緒に行きませんか」との誘いを受けた。ならば話は早い。ジョンが推すジャック・ル・マロワ賞に向けて、シーキングザパールと同じ便で渡仏することを決めた。
  同便でフランスへ飛んだシーキングザパールは、ジャック・ル・マロワ賞の1週前に行なわれたモーリス・ド・ゲスト賞を快勝。日本馬として初めて海外G1レースを制するという快挙を成し遂げる。そのインタビューの際、調教師の森は「来週出てくる日本の馬はもっと強い」コメントし、欧州のマスコミや関係者大いにざわつかせた。

 ジャック・ル・マロワ賞は直線コースで行なわれる1600m戦。直線競馬が初めてのタイキシャトルにはやや不安があり、欧州の『重馬場』が日本よりも相当にタフというのも気にかかった。しかし好調をキープしていた彼にとっては、それらは杞憂に過ぎなかった。好スタートから逃げ馬の後ろの2番手に位置を取って流れに乗り、あとは直線コース特有の仕掛けどころの難しさをクリアするだけだ。鞍上の岡部は後続の脚色も確認しながら、残り100mの地点で相棒にゴーサインを出した。ゴール前は接戦になったが、スピードの持続力に長けたタイキシャトルは先頭に躍り出て、さらに脚を伸ばし、追い込んできたアマングメンを半馬身差に抑えて優勝を果たした。日本のホースマンの夢を叶えた瞬間だった。タイキシャトルに関わるすべての人には笑顔があった。そんななか表彰式に臨んだ岡部がふと落涙し、普段のクールな印象からは想像できないその仕草が、この勝利の持つ意味の大きさを示していた。 帰国したタイキシャトルは、凱旋レースとしてマイルチャンピオンシップに出走。単勝オッズ1.3倍の1番人気という支持に応え、2着のビッグサンデーに5馬身(0秒8)もの差を付けて楽勝、2連覇を果たした。そして現役を引退して種牡馬入りするという情報が駆け巡るなか、ラストランとしてスプリンターズステークスに臨む。ここでも彼は単勝オッズ1.1倍の1番人気に推されたが、優勝争いに加わったものの、勝ったマイネルラヴとタイム差なしの3着に敗れる波乱を起こす。その騒めきも治まらないなか、最終レースが終わったのち、スタンド前の本馬場で引退式を挙行。競馬場から直接、北海道の種馬場へと旅立った。

 この年のJRA賞では最優秀4歳以上牡馬、最優秀短距離馬、そして短距離馬としては史上初となる年度代表馬に選出された。また、フランスのJRA賞にあたるエルメス賞において最優秀古馬にも選出された。もちろん日本馬が海外のタイトルを手にしたのはこれが初めてだった。なお1999年には顕彰馬に選ばれ、競馬の殿堂入りを果たしている。
  種牡馬としては、NHKマイルカップ(GⅠ)を勝ったウインクリューガー、フェブラリーステークス(GⅠ)を制したメイショウボーラーら多数の重賞勝ち馬を出して成功した。2017年に引退してからは北海道・新冠町のノーザンレイクで功労馬として繋養。そして2022年8月、心不全(老衰)で死んだ。28歳没の大往生だった。

 日本生産馬とは異質の、スケールの大きさを感じさせたタイキシャトルは、外国産馬をもって大きく活路を開いていく藤沢和雄厩舎の旗頭であり、同時に礎となった。(文中敬称略)

文●三好達彦

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配信元: THE DIGEST

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