6月26日、エンジェルスはペリー・ミナシアンGMを解任した。就任1年目の2021年から昨季まで5年連続負け越し、今季もここまでアメリカン・リーグ西地区最下位。在任中の成績は392勝500敗と、長く続く低迷に歯止めをかけるどころか、余計に加速させてしまった感すらある。
改めて、ミナシアンGM政権の「迷走と混沌の5年半」を振り返ってみよう。
▼大失敗に終わった「大学生投手ドラフト」(2021年)
就任後初めて臨んだ21年のドラフトで、ミナシアンGMは前代未聞の奇策に出た。指名した20人全員が投手、しかもそのうち19人が大学生という“超偏重ドラフト”を敢行したのである。
通常は比較的早くメジャーに昇格できる大学生と育成に時間がかかる高校生、そして投手と野手のバランスを考えながらドラフト戦略を構築するものだが、この年のエンジェルスは「即戦力投手」に一気に振り切った。
そして、その戦略は清々しいまでの大失敗に終わった。
5年が経った今、メジャーの戦力として機能しているのはサム・バックマン(1巡目)とチェイス・シルセス(11巡目)のみで、しかも2人ともリリーフ投手。この年のドラフトは決して大豊作というわけではないが、それでもメイソン・ミラー(現パドレス)、ブライアン・ウー(マリナーズ)、ジャクソン・メリル(パドレス)、ジェームズ・ウッド(現ナショナルズ)、ハンター・グッドマン(ロッキーズ)といった好選手を輩出している。
そんな中、「野手」という選択肢も「高校生投手」という選択肢も自ら外して「即戦力」にこだわった結果がこれでは、批判は免れないだろう。▼名将ジョー・マッドンとの確執と解任劇(2022年)
22年、エンジェルスは開幕ダッシュに成功した。5月15日時点で24勝13敗。勝率.649はメジャーリーグ全体でも3位で、アストロズと並んでア・リーグ西地区首位に君臨していた。大谷翔平とマイク・トラウトの2大スーパースターが揃い踏みし、野手陣ではテイラー・ウォードがブレイク、投げては若手左腕のリード・デトマーズがノーヒッターを達成するなど投打の歯車ががっちり噛み合っての快進撃だった。
だが、16日から4連敗。その後3連勝と息を吹き返したかに思えたが、25日から再び黒星街道に突入する。投手陣の崩壊に加えて接戦も落とし続け、6月6日のレッドソックス戦に敗れてついに12連敗。翌日の午前中、ミナシアンGMは名将ジョー・マッドン監督に解任を告げた。
08年にレイズを球団創設以来初のリーグ優勝に導き、16年にはカブスに108年ぶりのワールドチャンピオンをもたらしたマッドン監督だったが、ミナシアンGMとはデータ活用法などをめぐって対立。22年は契約最終年で、もともと危い立場ではあった。
それでも、この解任劇は驚きをもって迎えられた。マッドン監督にとっても青天の霹靂だったはずだ。何しろその日、意気消沈したチームを盛り上げるため自らモヒカンヘアにしたばかりだったのだから。結局、選手たちが名将のユニークなヘアスタイルを直に見ることはなく、フィル・ネビン三塁コーチを監督代行に据えたチームはその後も立ち直れないまま73勝89敗でシーズンを終えた。▼乾坤一擲の大補強から1ヵ月でチーム解体(2023年)
この年のエンジェルスは、FAイヤーを迎えた大谷の投打にわたる活躍もあって7月25日時点で52勝49敗の地区3位。地区首位からは6.5ゲーム差、ワイルドカード3位から3.5ゲーム差と、何とかプレーオフ戦線に踏みとどまっていた。
実はこの時、レイズからトップ・プロスペクトのジュニオール・カミネロを含むパッケージで大谷をトレードしてほしいとの申し込みがあったが、アート・モレノ・オーナーがこれを拒否。一転してミナシアンGMは、大谷のラストイヤーに14年以来のプレーオフ進出を果たすべく、夏のトレード市場で勝負に出た。
26日にホワイトソックスからルーカス・ジオリト、レイナルド・ロペスの両投手を獲得すると、30日にはロッキーズから一塁手のCJ・クロン、外野手のランダル・グリチックも補強。打線の底上げにも乗り出した。
選手たちの士気は上がり、チームもこの勢いに乗って快進撃......とは、残念ながらならなかった。新加入のジオリトは炎上に次ぐ炎上で、大砲クロンも不発。8月は何と8勝19敗と大きく負け越し、プレーオフ争いからあっという間に脱落してしまった。 するとミナシアンGMは8月末に一転、今度は補強したばかりのジオリト、ロペスに加えてハンター・レンフロー、マット・ムーアら主力選手を次々にウェーバーにかけて放出。これは総年俸をぜいたく税課税ライン以下に収めるための措置で、見返りに若手有望株を獲得しようとすらしなかった。機を見るに敏な動きとも評価できるが、チームの混迷ぶりを際立たせたことは間違いない。
9月には、孤軍奮闘を続けてきた大谷の右肘がついに悲鳴を上げ、2度目の靭帯再建手術。結局、エンジェルスでの6年間で一度も10月の舞台に立つことなくFAとなってドジャースへ去った。
(後編へ続く※明日公開)
文●久保田市郎
1976年、東京都出身。2002年にSLUGGER編集部に加入、編集長を務めた後、26年にフリー・エージェントとなる。日本の雑誌メディアで最初にOPSやDRSを紹介した一人。

