『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』、『フォレスト・ガンプ 一期一会』など、魅力的な主人公のサバイバルを描いたプロデューサー、エリック・ロスがサンダンス映画祭で目をつけたのが、イラク出身の若手ハサン・ハーディ監督。昨年、カンヌ映画祭の監督週間観客賞とカメラ・ドール (新人監督賞) の2冠を受賞した彼のデビュー作品『大統領のケーキ』はアカデミー賞国際長編映画賞のショートリストにも選ばれた珠玉の一品。1990年代、サダム・フセイン大統領の独裁下イラクを舞台に、映画は、9歳の少女が与えられた大統領へのケーキ贈呈という、嘘のような任務のために生きるか死ぬかの冒険を強いられる物語。歴史の隅っこに追いやられた、知られざるイラクの子供たちの苦悩を、イラク育ちの監督自らがデビュー作に込めた本作を、このコラムでもご紹介。
イラクの湿原に生きる少女
この映画の舞台となるイラクの湿原はなんともシネマティック。砂漠ばかりというイメージとは一変したその景色は、雄大なメソポタミア文明を築いた背景を垣間見るようで、映画ならではの臨場感。しかし、空にはF-16が飛び交っている。そんな湿地帯で、貧しくも逞しく生きる少女が主人公ラミア。学校へ通うために、細い木のような船を漕いで水路を行き来するラミアに両親はいない。孫だけには不自由させたくないと、食糧難な中でも、祖母は大事な林檎を一つ、ラミアに持たせる。しかし、お祈りのために遅刻。教師は叱りつけ、ラミアの大切な林檎を隠れて没収する。フセイン大統領下の学校制度では教師も非情。弱肉強食の社会では、子供たちが犠牲にされる。授業が始まる前に「我々のリーダー、サダム・フセイン様が長生きされますように。わたしたちの魂を捧げます。」と宣誓させられ、教師に従わない者は政府に密告すると、教師が生徒を脅す毎日。
フセイン大統領の誕生日を祝うために、教師はお祝いの品を用意する担当を生徒の中から選ぶ。その最も過酷な任務、大統領のケーキを準備するという貧乏くじにあたったラミア。日々の食事にも困っている祖母だったが、ラミアと彼女の飼い雄鶏のヒンディとともに、その材料を調達するために街へ出かける。そこで祖母はまず、ラミアの制服を新調する。その制服を着て凛としたラミアをある裕福な家に連れていく祖母。そこでラミアが知るのは、年老いた祖母が命をかけた決意をしていたこと。老いた身で孫は十分に育てられないと、ラミアを養女に出すことを交渉していたのだ。祖母と離れたくないと、ラミアはやさしそうな養母の前から飛び出す。街の中で途方に暮れるラミアだが、大統領のケーキを作らなくては、その先は地獄。自らの任務は達成しなくてはならないと、行方不明になった父を探して街を闊歩していた同級生のサイードに協力してもらい、ケーキの材料集めに奔走するのだった。
1990年、イラクのクウェート侵攻に対して、安保理が課したイラクに対する経済制裁によって、イラク国内の食料不足が悪化し、約150万人の犠牲者が出ただけでなく、ユニセフの統計では、制裁から6年後の1997年には3人に1人が栄養不良になっていた。知られざるイラクの子供たちの生き延びるための日々は、我々の想像を絶するほどに過酷なもので、映画監督を志望したハサン監督の育ちは決して、楽なものではなかった。
サンダンス映画祭のサンダンス・ラボで企画開発
監督ハサン・ハーディは1990年代に南イラクで育ち、1年に1回の国民の休日、誕生日を迎えるサダム・フセイン大統領のためのギフトを準備する係に選ばれることがとても恐ろしい記憶だったと語る。最も高価なギフトはケーキを準備すること。表向きは民主主義に見えるものの、国家や政治家が私腹を肥やすために、公的資金や資源を搾取する政治体制だったイラク。さらには湾岸戦争後、米国ほかによる制裁の中でイラクの国民、とくに子供たちの生活はおびやかされていた。
監督の同級生の一人がそのケーキを贈呈する係に選ばれ、その材料、小麦粉、砂糖、そして卵を手に入れることがいかに大変だったかと、昨年の全米公開前の記者会見で語っていた監督。事実はフィクションより恐ろしく、その同級生は材料を集められず、ケーキを贈呈できなかったために、学校から退学させられただけでなく、サダム・フセインの少年兵として徴用されたそうだ。その悲しい記憶をもとに、この映画の中では、イラク人の生活、家族、そして自らが生きる道を模索しなくてはならなかった当時の子供たちの話をドラマ化したという。
この映画の中で、主人公の少女ラミアを手伝う同級生サイードに、「壁には耳があるんだから」と注意するシーンがある。それらは、当時、サダム・フセインが自らの電話番号を公表し、その瞬間から国民全員が密告者となって、独裁体制に反対するものを全て罰したという事実に基づいている。
最初は盗みをしてはいけないというモラルに基づいている主人公たちも、偽善者な大人たちの行いに苦しむ中で、サバイバルのためには盗みもしかたがないと、純真だった子供たちが、食うか食われるかの綱渡りを学びはじめる。
サダム・ハサン監督は米ニューヨーク大学のフィルムスクール出身。大学の受け入れから学生ビザを取得するために、米・イラクの国家間の問題で約3年かかったそうだ。しかし、イラクには映画製作を学ぶ基本的な施設が存在しておらず、カメラ機材やセットが使える環境は映画監督になる上でこの上なく重要だったという。さらには、運命の出会いとなったプロデューサーのリア・チェン・ベイカーと意気投合し、短編映画を共に作り、ハサン監督のアイディアを長編の脚本にしてはとリアが提案したことでこの企画が動き始める。そしてサンダンス・ラボに参加し、脚本、監督、プロデュース、カタリストというサンダンスの中での資金集めを手助けするフォーラムに助けられ、制作総指揮にエリック・ロスが参加。リスクがあると言われたものの、イラクというロケ地で撮ること、役者は全員素人、ほとんどリハーサルはなしという、デビュー映画製作で行ってはならない規則を全て破るような形で決行した。そのおかげで、物語の信憑性は増し、世界中からの絶賛によって、ようやく成功したと感じたそうだ。
湾岸戦争などの映像では取り上げられなかった美しいイラク湿原の歴史は深い。イラン・イラク戦争 (1980~1988)の舞台となった湿原。迷路のような土地柄を盾に、シーア派の勢力が武器蜂起を行おうとしていたほどの湿地帯。湾岸戦争後の大統領サダム・フセインは、それらの敵を防ぐために、別に水路を作って湿原の水を留め、イラクの面積の17%を占めていたという豊かな湿原は、1996年ごろ、その半分以下に減少したのだそうだ。ハサン監督は、湿原がいかに民の生活の場であり、さらには水鳥や多様な生物の生息地として、重要な場所だったかを映画で描きたかったのだそうだ。湾岸戦争 (1991) 、イラク戦争 (2003)、そしてイラクでの裁判によって、1979年から独裁政権を敷いた大統領は、2006年に戦争犯罪者として裁かれて死刑となり、国父として振る舞った独裁がようやく崩壊した。ハサン監督は、多くのイラク国民が悲惨な生活を余儀なくされた中で、とくに苦労したのは女性たちだとも語る。監督の想いがこめられた主人公の少女ラミアや、皺を重ねた祖母の顔から浮き彫りになる物語は、世界に相通ずるやさしさで包まれている。
文 / 宮国訪香子
映画『大統領のケーキ』
祖母と二人で暮らす9歳のラミアは、学校のくじ引きで「大統領のケーキ係」に選ばれてしまう。フセイン大統領の誕生日に、お祝いのケーキを準備する係だ。翌朝、ラミアは祖母に連れられて、父の形見の時計と、“友達”の雄鶏ヒンディとともに町へ出かける。だが、日々の食卓も満足に揃えられない祖母の目的はケーキではなく、ラミアを養子に出すことだった。思わず逃げ出したラミアは、自らの手でケーキの材料を集めれば、祖母との暮らしを続けられると信じて、クラスメイトのサイードと協力して町を駆け回る。十分なお金も時間もなく、あるのは知恵と想像力だけ── はたして、“名誉あるケーキ作り”の行方は?
監督・脚本:ハサン・ハーディ
出演:バニーン・アハマド・ナーイフ、サッジャード・モハンマド・カーセム、ワヒーダ・サーベト、ラヒーム・アルハジ
配給:松竹
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2026年7月10日(金) 新宿ピカデリーほか全国公開
公式サイト presidentscake
