ワールドカップでブラジル代表が敗れた。だが、本当に失ったものは勝利ではなかった。
ラウンド・オブ32で日本相手に2-1と逆転勝利した後、ブラジル国内では違和感を口にする声が少なくなかった。確かに勝った。しかし、ブラジルは良かったのか。多くの評論家やサポーターは、そう考えてはいなかった。
「日本が自分たちの武器を捨て、守備に徹してくれたから勝てただけ」
日本は本来の持ち味であるスピードや積極性を封印した。だからブラジルは助かった。チームが抱えている問題は多かったのに、勝利がすべてを覆い隠してしまった。
その“見たくない現実”が、一気に噴き出したのがノルウェー戦だった。敗戦後、ブラジルは再び混乱の中に落ちた。そして批判の矛先は、ひとりの男へ集中していく。
カルロ・アンチェロッティ。
ブラジルで今、最も議論されているのは監督の采配ではない。もっと根本的な問いである。
「そもそも、なぜこのメンバーだったのか」
世界最高峰のプレミアリーグで15ゴールを決め、得点ランキング5位タイに入ったチェルシーのジョアン・ペドロは選外。イゴール・ジェズス(ノッティンガム・フォレスト)、ガブリエウ・ジェズス(アーセナル)、アントニー(ベティス)、ブラジルリーグ得点ランキング2位のペドロ(フラメンゴ)も呼ばれなかった。
一方で選ばれた選手たちにも疑問符が付く。
MFルーカス・パケタはウェストハムからフラメンゴへクラブ史上最高額で移籍したものの、ウェストハムのサポーターは「返品不可」と書いた横断幕で送り出した。右SBで出場していたダニーロは所属のフラメンゴで十分な出場機会を得られていなかった。
初戦の前に負傷して離脱した右SBウェズレイの代役は、代表でプレーした経験が少ないアタランタのMFエデルソン(W杯開幕時点で代表3キャップ)だった。
何より南米予選で一度もプレーせず、最近は連続して試合に出ることも難しかったネイマールだ。ネイマールに関しては、スポンサーがらみもあって無理やりCBF(ブラジルサッカー連盟)がねじ込んだ説が濃厚だが、それを暗に認めたアンチェロッティ監督にも責任を求める声がある。
SNSにはこんなメッセージが並ぶ。
「ネイマールをピッチに立たせ全てをぶち壊した。金銭的なプレッシャーに屈したのか。恥を知れ」
「お前はCBFの操り人形だ。10年近く何もしていない怪我人を受け入れた。お前も共犯者だ」
ブラジル人が感じている違和感は、人選だけではない。もっと深いのだ。
「アンチェロッティはブラジルを理解していない」
そんな声が日に日に大きくなっている。
ジーコはこう語った。
「アンチェロッティの人生は、これからブラジルにいる限り難しいものになるだろう」
ブラジルでサッカーは、スポーツではない。文化であり、宗教であり、国家そのものでもある。その本当の重さを、彼は理解していなかった。
代表監督とクラブ監督は全く別の仕事だ。アンチェロッティ自身も、かつてはそう語り、代表監督就任を断り続けてきた人物だった。
それなのに今回、初めての代表監督として引き受けたのが大国ブラジルだった。しかもW杯まで残された時間は、わずか1年というタイミングだった。
この難しい条件を理由にブラジル代表監督就任を断ったのが、ジョゼップ・グアルディオラだった。「準備期間が短すぎる」と彼は判断した。皮肉にも多くのブラジル人は今になって、「あの判断の方が誠実だった」と口にしている。
また、アンチェロッティはポルトガル語を話せるが、流暢ではない。それを補うためにジーコやカカら、イタリア語を話せるレジェンドをスタッフとして迎え、選手との橋渡し役にすることもできたはずだった。
しかし彼が選んだのは、息子のダビデ・アンチェロッティだった。そのダビデが何の権限もないにかかわらず、敗れたノルウェー戦後のTVインタビューに父に代わって出てきた時は、ブラジル国民の悲しみの感情は即座に怒りに変わった。
敗れたノルウェー戦では、もうひとつ象徴的な場面があった。0-0で迎えた14分、ブラジルにPKが与えられた場面だ。キッカーに指名されたのはMFブルーノ・ギマランイス。しかし、そのキックは相手GKに防がれてしまった。
試合後の記者会見でアンチェロッティは、キッカーをB・ギマランイスに指名した理由をこう説明した。
「練習のデータでは、彼が最も安定していた」
だが、その説明はブラジルでは受け入れられなかった。練習と本番は違う。B・ギマランイスは代表の公式戦でPKを任されることがほとんどない。
精神的な経験値も含めて考えるべきだった。それこそアンチェロッティがブラジルを知らない証拠である。もしあのPKが決まっていたら、試合の流れは変わっていたかもしれない。だからこそ「あれは監督の責任だ」という批判が相次いだ。
さらに火に油を注いだのは試合後のコメントだ。アンチェロッティは言った。
「ブラジルはノルウェーより良かった」
SNSでは瞬く間に反応が広がる。
「どの試合を見ていた?」「パラレルワールドの話か?」
そして、もうひとつの発言。
「この敗戦は世界の終わりではない。新しいスタートだ」
監督として自身や選手たちに前を向いてもらう言葉だったのかもしれない。しかし、その瞬間にブラジル人が求めていたのは、未来ではなかった。
まず悲しみを共有すること。しかし、共感どころかアンチェロッティからは謝罪もなく、悔しさも感じられなかった。その温度差が、サポーターの怒りをさらに増幅させた。
もちろん、ブラジルが敗退した理由をひとりの監督だけに押しつけることはできない。
ブラジル代表の世代交代は必須だ。34歳のカゼミーロ、33歳のアリソン、34歳のダニーロ。32歳のファビーニョ。
「この失敗した世代から、もう誰も代表に選ばないでくれ」
サポーターからはこんな声も聞こえる。実際この大会を最後に代表から姿を消す選手は少なくないだろう。これからチームは大きく生まれ変わる。
しかし、ブラジル人が怒っているのは、選手だけが原因ではない。
負けることはある。ブラジルはそれを知っている。だが、自分たちが何者なのかも分からないまま終わってしまった。
あの負け方だけは、受け入れられない。だから今、ブラジルではメディアも、サポーターも、そして多くの関係者も「アンチェロッティ体制を続けるべきだ」とは口にしない。
アンチェロッティが名将なのは疑う余地はない。しかし、それは今のブラジル代表を率いることとは別問題だ。
ブラジルはいま、W杯敗退以上に大きな問いを突きつけられている。
「ブラジルらしいサッカーとは何なのか」
ノルウェー戦の敗北は、1試合の敗戦ではない。誇り高き伝統のあるセレソンが、自らのアイデンティティーを見失ったことを世界に露呈してしまった一戦だった。
文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子
【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/1963年8月29日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。ジャーナリストとして中東戦争やユーゴスラビア紛争などを現地取材した後、社会学としてサッカーを研究。スポーツジャーナリストに転身する。8か国語を操る語学力を駆使し、世界中の現場を取材。多数のメディアで活躍する。過去にはFIFAの広報担当を務め、1998年と2002年のW杯ではブラジル代表の広報スタッフとして活躍。ジーコやカフー、ドゥンガらとの親交も厚い。スポーツ運営学、心理学の教授として大学で教鞭も執っている。
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