1990年代のイラクが舞台。当時の大統領、サダム・フセインが国連からの制裁によってさまざまな物資が不足していたにもかかわらず、自身の誕生日を盛大に祝うことを国民に強制していたという史実をもとにした映画『大統領のケーキ』。監督・脚本のハサン・ハーディは戦時下のイラク南部で育ち、学校で大統領のケーキ係を決めるという制度のもと、ケーキ係に選ばれた友人がケーキを用意することができず退学させられたという経験を持つ。
劇中では、祖母と2人で暮らす9歳のラミアが、大統領のケーキ係に選ばれてしまい、ケーキの材料を集めるために雄鶏のヒンディと果物係を命じられた親友のサイードと共に、町を駆け回る。過酷な状況の中でも強い意志を持ち、希望に向かってひたむきに進み続けるラミアの姿が胸を打つ。ハーディ監督が執筆した脚本の力により様々なサポートが集まり、イラクでの本格的な撮影が実現。カンヌ国際映画祭で新人監督賞と監督週間観客賞をW受賞、アカデミー賞国際長編映画賞のショートリストにも選出された本作について、監督にインタビューした。
――『大統領のケーキ』は1990年代にイラクの大統領を務めたサダム・フセインが行っていた、小学校で大統領のケーキ係を決めるという制度をモチーフにしています。
フセイン政権下のイラクで育った私の幼少期の記憶をもとにして生まれた映画です。毎年、先生がボウルを持って教室に入ってきて、生徒たちに自分の名前を書いた紙を入れるよう言いました。それから大統領の誕生日ケーキと、その他の果物や飾り付け、清掃用品、花などを用意する生徒の名前を引くのです。ある年、私は花係に選ばれました。花を持って行くだけでよかったので、家族が安堵していたのを覚えています。当時は経済制裁によって汚職が蔓延していたため、先生の自転車を修理したり髪を切ったりするなど、便宜を図ればくじ引きから逃れることができました。私は運良く花の担当に選ばれましたが、友人はケーキ係になりました。しかし、ケーキを用意することができず、後に学校を退学させられ、フセインの少年軍への入隊を余儀なくされました。友人が辿った過酷な運命を、自分は純粋な運のおかげで避けられたことに対し、私は常に葛藤を抱いてきたのです。友人の運命が完全に変わってしまったという事実がずっと頭を離れなかった。「なぜ、あのような不条理に対して誰もが黙っていたのか?」とか「不条理に直面した時、何が道徳的で、何が不道徳なのか?」とか「冷酷さが蔓延する中で、道徳に価値はあるのか?」といった問いや思考に対する内なる罪悪感と葛藤が、私をこの物語の執筆へと駆り立てたんです。
――劇中では、市民も警察等の国も、みんなが大統領の誕生日を祝うために動いています。どの描写も史実に忠実なのでしょうか?
今も独裁的な政治を行っている政治家は同じようなことをしていますよね。トランプ大統領も自分の誕生日に派手な軍事パレードを行っています。私たちは国の権力を握るトップが、いかに民衆に対して影響力を持ち得るかっていうことを少し見くびっているのではないかと思います。イラクがイランと戦争をしている時、政府はイラクの国民に対し、「戦争のためにお金を全部差し出しなさい」と命令した数週間後に、フセインの誕生日にそのお金を使いました。その映像は今でもYouTubeに残っています。
――監督としては、当時そういった動きを当たり前のこととして受け入れられていたのか、違和感を抱いていたのかどちらだったのでしょう?
権力者は自分の像を立てたり、写真を飾ったりして、あたかも神のようなアンタッチャブルな存在だというムードを作り上げます。両親から「フセインはとても悪い人間で、彼については話すべきではない」というようなことを話されたことは一度もありませんが、直感的に彼が悪い人間で間違ったことが行われていることはわかっていました。
――ラミアの相棒として雄鶏のヒンディがずっと一緒にいるというアイディアはどのように思いついたのでしょうか?
ラミアが生活しているイラク南部の湿地帯では、70年代、80年代、90年代と、ずっと同じように人間と生物が共存しています。なので、ラミアが連れているのは犬でも鳥でも水牛でも猫でも良かったんですが、撮影する際に水牛を引っ張り回すよりは雄鶏の方が楽だろうっていう理由はありました(笑)。イラクには「雄鶏が鳴く時は悪魔か天使を見た時だ」という言い伝えがあり、劇中でヒンディが鳴く時はすべて悪いことが起こる前触れとして鳴くという風に演出しました。
――時計屋でヒンディが鳴いた時、店主が「お告げだ」と口にするシーンもありました。
あのシーンでヒンディが鳴くと、時計屋の店主は「神のお告げだから売ったほうがいいぞ」とラミアとサイードに言って、ヒンディが鳴いたことを利用します。実はあのシーンでヒンディは偶然鳴いたので、あのシーンだけは悪いことが起こる前触れで鳴くというセオリーからは外れています。ヒンディは基本的には鳴いてほしい時に鳴いてくれたんですが、勝手に鳴いてしまうことがありました(笑)。ヒンディの鳴き声は後から加えているわけではなく、すべて同録で撮りました。ちなみに、何匹もの雄鶏を集めてもらい、1番落ち着いている雄鶏を選んだんですが、実は4兄弟で、ヒンディに何かがあった時の代役として他に3匹が控えているという状況でした。
――監督も好きなシーンとして挙げてらっしゃるラミアとサイードが見つめ合って、勝敗のわからないまばたきゲームをするシーンが素晴らしかったです。そのシーンは3度出てきますが、演者の二人に何かリクエストはしたのですか?
特にしていません。ラミアとサイードも含めてキャストのほぼ全員が演技未経験者だったので、何度も事前にワークショップをやりました。踊ったり歌ったり、思い出をシェアすることで二人には本物の友情を育んでほしかった。ラミア役のバニーン・アハマド・ナーイフがワークショップが終わって僕に向かって「じゃあ失礼します」と帰っていった後、サイード役のサッジャード・モハンマド・カーセムが僕のところに泣きながら近づいてきて、「僕にはさよならを言わなかった」って言うんです(笑)。それくらい二人が仲良くなってから撮影をしたかったので目的は達成できました。あのまばたきゲームは、愛を表立って表現することができない、保守的なエリア且つ独裁政治下だからこそ編み出されたゲームです。見つめ合うことでお互いの気持ちを交換する。バニーンとサッジャードの間に本物の友情が育まれているからこそ、とても良いシーンになったと思います。直接愛を伝えられない場合は、例えば詩を送ったりするわけですが、まばたきゲームもそのような類のものですよね。
――生きるためにはお金が必要で、お金がないことで人々が摩擦を起こすことを痛感する映画でもありました。そのような意図はあったのでしょうか?
確かに私も若い頃は貧困を味わいました。しかし、私が監督として描きたいのは、極限の状態に置かれた時に人がどうリアクショするかということです。お金がなかったり食べ物がなかったり薬がないという状況に置かれると自分の主義やモラル、哲学さえ変わるかもしれない。人によってはその変化に抗う人もいれば、適応して変わる人もいる。ですので、意図したというよりは、多くのキャラクターを描く中で自然に派生した部分です。
――日本ではイラクというと戦争や紛争のイメージがあります。そのイメージとは違うイラクの魅力が『大統領のケーキ』では描かれていますが、意図したのでしょうか?
意図的でした。バグダッドはかつて平和の街として知られていましたが、戦争のイメージが付いてしまって、私としても悲しかった。本作は最初、ヨルダンやモロッコで撮影するのなら100%出資しますという話があったんです。私としてはイラクが舞台の映画 ですし、私のルーツもアイデンティティもイラクなので、イラクで撮影しなければいけないと思ってお断りし、結局イラクで撮影することができました。作品が求めているものにちゃんと応えて制作することで、映画が完成して、20年、30年と時間が経過した後も良作だと捉えてもらえる可能性が上がると思いますし、自分としても「良い歳の取り方をしたな」と思えるんじゃないかと思っています。
――現在のイラクが1990年代 のイラクと比べて変わった点と変わらない点について、どう思いますか?
まず、世界に向けて閉じていたところからは変わりましたよね。今の方が経済的には良い状況です。いろんな制裁を受けたことで、倫理観を含めた社会的な構造が破壊され、歪んだままになってしまっています。私が学生の時、素晴らしい女性の数学の先生がいました。戦争が始まって他国からの制裁を受けた後、彼女の高かった給料は卵1箱に変わりました。そういう状況になると、モラルを変えなければいけなくなり、生徒を教育するにあたって手を抜く可能性が出てきます。授業だけでは学びきれない子どもが出てきて、別に課外授業をやる必要が生まれ、親が授業料を払うことになったりする。制裁によって生まれた腐敗の連鎖が今のイラクにはまだ残っています。
【インタビュー・執筆】小松香里
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