
池松壮亮さん(2021年10月、EPA=時事)
【画像】え、「悲惨すぎる」「閲覧注意」 コチラが秀吉のえぐい兵糧攻めで「人馬を食う」羽目になった鳥取城内の地獄絵図です
「餓え殺し」「干殺し」……恐ろしすぎる秀吉の攻め
天下人・豊臣秀吉(演:池松壮亮)を支えた弟・秀長(演:仲野太賀)が主人公の大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、秀吉を陽気な人たらし、秀長を争いや殺生を好まぬ好人物として描いています。しかし、実際に秀吉が行った戦いは、残虐なものが少なくありませんでした。詳細がカット、あるいは改変された戦いを振り返ってみましょう。
飢餓者が続出した「鳥取城攻め」
第26話「信長を笑わせろ!」は、秀吉が織田信長(演:小栗旬)に鳥取攻めについて褒められる場面から始まります。1581年の秀吉による鳥取城攻めは、戦国時代の城攻めのなかでも特に悲惨なものとして知られており、後に「鳥取城の餓え(かつえ)殺し」「鳥取城の餓え死に」と呼ばれるようになりました。
秀吉はあらかじめ鳥取周辺の米を高値で買い占める一方、鳥取城を孤立させるために大規模な包囲網を構築し、補給路を完全に封鎖し、さらに兵が籠る鳥取城に数千人の農民を追いやります。城内の食料はまたたく間になくなり、飢餓に陥りました。何週間か経つと、城内の家畜、植物などは食い尽くされ、飢えた男女が柵際まで出てきて助けを求めて泣き叫びましたが、秀吉の軍は彼らを撃ち殺しています。
城主の吉川経家は切腹し、将兵は助命されましたが、粥を与えられた多くの者は命を落としてしまいました。低栄養状態の人に急激な栄養投与を行うことで生じる、リフィーディング症候群が起きたのではないかと考えられています。
なお、2014年に鳥取城のマスコットキャラクターデザインが募集され、「かつ江さん」という「餓え殺し」をモチーフにしたキャラクターが披露されましたが、わずか3日で公開中止になりました。
2年半も続いた「三木の干殺し」
第24話「軍師官兵衛!」では、秀吉の三木城攻めが描かれています。籠城を続けていた別所氏の別所賀相(演:田中美央)に対して秀吉が降伏を求めて頭を下げ、当主の別所長治(演:下川恭平)が切腹して家臣たちを助けるというエピソードです。しかし、実際の三木城攻めは「三木の干殺し(ひごろし)」と呼ばれる凄惨なものでした。
三木城には、一帯から7500人が集まって籠城していました。秀吉は周囲の城を攻撃して、補給路を断つことに成功します。長期間の包囲によって三木城の兵糧は完全に底をつき、城内では雑草までも食べ尽くされ、多くの餓死者が出ました。
別所長治は決断を下し、自らの命と引き換えに城兵や人々の助命を願い出て、秀吉はこれを受け入れます。『豊臣兄弟!』では描かれていませんでしたが、秀吉は城主一族の切腹を条件とし、別所長治は幼い我が子を刺し殺し、妻も手にかけた後、自害しました。
なお、秀吉は三木城攻めに2年半もかかってしまった経験を反省し、周到に準備を行った上で鳥取城攻めを実行しています。
女子供も磔・串刺しにした「上月城の戦い」
第21話「風雲!竹田城」は、なるべく人を殺さずに竹田城を攻略したいという秀長の優しさが描かれたエピソードでしたが、同時に上月城を攻めていた秀吉が女子供を磔にしていたことも明かされました。
信長は秀吉に毛利攻めを命じており、その最初の重要な攻防の舞台になったのが現在の兵庫県にある上月城です。秀吉は上月城を攻撃して陥落させました。これは、第一次上月城の戦いと呼ばれています。
秀吉の残虐さが見えたのは、戦いの後の処置でした。配下に命じて敵兵を次々と斬首した上、非戦闘員である女子供200人を串刺しにして殺し、磔にして晒したのです。秀吉がこれほどまでに残虐な行為をしたのは、「織田に逆らえばこうなる」という恐怖を周囲に見せつけるためだったと考えられています。
なお、『豊臣兄弟!』第22話「播磨大誤算」では、秀吉は上月城の人たちを助けようとしたものの城内の女子供たちはすでに自害しており、丁重に葬ろうとしましたが、竹中半兵衛(演:菅田将暉)が涙ながらに見せしめのために磔を提案する、という内容に改変されていました。
秀吉に限らず、戦国時代の戦では残虐な行為がほぼ当たり前のように行われていました。節目となる本能寺の変以降も、当時の戦いが『豊臣兄弟!』でどのように描かれていくか、今後も注目していきたいと思います。
