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田淵幸一の波乱万丈な結婚と離婚…映画タブチくんを巡る確執と広岡管理野球への造反【記者失格第4回】

田淵幸一の波乱万丈な結婚と離婚…映画タブチくんを巡る確執と広岡管理野球への造反【記者失格第4回】

AIで生成したイメージ

昭和の時代、プロ野球選手は女性によくモテた。相手も夜の街の女性から有名歌手、女優まで華やかで、スター選手の熱愛・結婚ともなればマスコミを賑わせることも多々あった。

私が大学時代から親しく付き合ってきたミスタータイガース・田淵幸一(79)もそんな1人だ。当時のスポーツ紙記者は、どれだけスター選手に食い込んで情報を取れるかが勝負だった。それだけに究極のプライベートである結婚をスクープすることは記者にとって一種の勲章で、他紙の記者からは随分と羨ましがられた。

もちろん、関係が近いからこそ、いつ、どう書くか、あるいは書かないか、と悩む苦労はあった。田淵の最初の結婚相手・Hさんは、大手商社の御造司と離婚歴があり、しかも2児の母だったこともあって、結婚に至るまでスンナリと進まなかった。

付け加えて言えば、私は田淵の父親から「変な女と結婚させるわけにはいかない」と、女性関係に目を光らせておくよう内々に頼まれていた。確かに、田淵は捕手というポジションにしては珍しく、おおらかで純粋な男だ。父親が息子の結婚相手を心配する気持ちも理解できた。

ただ、こうした周囲からの期待や干渉が強かったせいで、それまで好きになった相手と同なか結婚に至らなかったのも事実。過去に女性との交際がスキャンダルとして報じられたこともある。世間では「田淵は女癖が悪い」などと言われたが、私からすれば、周囲からの重圧で本当に好きな相手と結ばれることを許されなかった、スターゆえの不幸のように見えた。

そのため田淵とHさんの結婚スクープではかなり慎重になった。時には他メディアに情報が漏れないよう協力したことまである。

最終的には直接、両者に結婚の意思を確認した上で、田淵がHさんを抱っこする写真でスクープしたことを覚えている。

在京球団への移籍と映画タブチくんを巡る破局

結婚後も田淵夫妻とは親しく付き合い、スポーツ紙の企画で、新婚旅行を兼ねたハワイ旅行にまで同行した。この時期、田淵の活躍をHさんが支えたことは間違いない。

この幸せは長くは続かなかった。田淵は1978年に阪神タイガースから西武ライオンズにトレードされるが、そこにはHさんの意向が強く反映されていた。田淵の浮気を心配したHさんが「関西から離れた在京球団がいい」と要望し、最終的に西武が選ばれたのだ。

西武に移籍した田淵は埼玉・所沢に新居を構え、慣れない土地での生活となったHさんのため、メディアでの仕事を紹介する。しかし、この仕事が破局の引き金となってしまう。

「記者バッジを外してマンションまで来てくれ」

ある日、私は田淵から連絡を受けた。行くとマンションにHさんの姿はなく、田淵は怒りの表情で私に一枚の写真を見せてきた。Hさんと映画『がんばれ!!タブチくん!!』の監督が、ハワイの海岸で仲睦まじく写ったツーショットだった。

真相は分からない。ただ、この映画を巡ってモメていたのは事実。映画で家庭を描いたシーンがあまりにリアルで、一時は私が情報を流したと疑われたほどだ。結局、これはHさんで、ギャラも含めて田淵は何ひとつ聞かされていなかった。

田淵は怒り狂っていた。「離婚する。離婚届を市役所から貰ってきてくれ」と頼まれ、もう修復はない決意の固さを確信した。

私は田淵が寝ている間に編集局に電話し、速記者に口頭で離婚原稿を送った。その後、目を覚ました田淵に、「もう輪転機は回った」と伝えたが、田淵は何も言わなかった。

スクープ後、Hさんと親しかった梨元勝ら芸能レポーターが田淵を追いかけはじめ、田淵は身を隠した。その間、私も会社(スポーツニッポン)に無断で行動を共にしたが、幸いクビにはならなかった。

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広岡管理野球への反発とジャネット八田との再婚

Hさんとの離婚問題を乗り越えた田淵に、さらなる試練が降りかかったのは'82年のこと。広岡達朗が西武ライオンズの新監督に就任し、徹底した管理野球をぶち上げたのだ。

当時の西武は野武士軍団といわれた西鉄ライオンズ色が色濃く残り、東尾修、大田卓司といった個性派が揃っていた。彼らは肉食禁止、食事は玄米食、練習は基本ばかりという方針に猛反発し、高知県・春野での春季キャンプは大荒れに荒れた。

特に食事に関しては、ほぼ選手全員が造反。毎晩のように宿舎を抜け出しては高知市内の寿司店に集合し、焼き肉(寿司店の大将夫人の実家が精肉店)を食べていた。

同行していた私も同罪で、それだけでも冷や汗ものだったが、田淵はキャンプ休日の前日になると、こっそり東京行きの飛行機に飛び乗っていた。広岡の耳に入れば間違いなく処分されていただろう。

帰京のワケは再婚相手の女優・ジャネット八田と会うためだ。田淵は、とあるパーティーで知り合ったジャネット八田に一目惚れし、急進展したのである。もちろん、私も交際を知っていたが、ジャネット八田との再婚はHさんと離婚して日も浅く、まだ早いだろうと勝手に思い込んでいた。ジャネット八田が野球のことをほとんど知らなかったこともよかったようだ。

そうこうするうち、日刊スポーツに田淵の再婚をスクープされてしまった。どうやら日刊スポーツと親しかった東尾ルートから漏れたようだ。

'82年、広岡西武はパリーグを制し日本一となる。それだけ選手間の結束が強かった証拠で、広岡への強い反発心が日本一の原動力となったのだ。

初の日本一と2回目の結婚が、田淵の晩年の野球人生を蘇らせた。

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吉見健明
1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。
配信元: 週刊実話WEB

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