
「トゥヘル監督の采配ミス」。その一言だけで片づけてしまうと...残酷な“12%”。イングランドは先制するまで、1つの完成形を示していた【W杯】
北中米W杯の準決勝でイングランドがアルゼンチンに敗れると、英国メディアは一斉にトーマス・トゥヘル監督へ厳しい言葉を向けた。
1-2の逆転負け。『タイムズ』は、「最も重圧がかかった時、トゥヘルは縮こまってしまった。交代策は後ろ向きだった」と批判した。『デーリー・テレグラフ』も、「アトランタのスタンドにいたサポーターも、イングランドの街角や家庭のリビングで見ていた人々も、彼の判断が間違いであることをすぐに察した」と記した。
『ジ・アスレティック』は、5バックへの変更について「大一番におけるイングランド代表監督の判断として、史上最も重大な過ちの一つ」と断じた。BBC放送もまた「トゥヘルが自ら敗戦を招いた」と容赦がなかった。
英国での見方は、ほとんど一つに固まっている。アンソニー・ゴードンの先制後、トゥヘル監督が守備的な選手を次々と投入したことでイングランドは主導権を手放し、それが逆転負けを招いた――。これほど各メディアの論調が一致するのも珍しい。あの戦術変更が試合の分岐点だったことに、ほとんど異論は見当たらなかった。
実際に数字は、残酷なほど「イングランドの劣勢」を示していた。
ゴードンが55分に先制してから、ラウタロ・マルティネスに逆転弾を許すまで、イングランドのボール支配率はわずか「12%」。守り切ろうとしたはずの変更によって、試合は「攻撃のアルゼンチン」対「守備のイングランド」という一方向の構図へ変わった。
ただ、この準決勝を「トゥヘル監督の采配ミス」の一言だけで片づけてしまうと、なぜその失敗がこれほど惜しまれるのかが見えなくなる。
ゴードンが得点するまでのイングランドは、トゥヘル監督がこの大会で作ろうとしてきたチームの1つの完成形を示していたからだ。
過去の因縁にふさわしく、試合は序盤から荒々しかった。アルゼンチンは危険な前進を巧みにファウルで止め、判定に不満があれば主審を囲んだ。試合前、元イングランド代表FWで98年W杯では主将を務めたアラン・シアラーは、アルゼンチンを「対戦したなかで最もやりづらく、ダーティーに戦う相手」と評していた。ボールを扱う技術だけではなく、主審との距離、相手の感情まで操ろうとする。
イングランドも苛立っているように見えた。それでも、相手が作った混乱にのみ込まれなかった。エリオット・アンダーソンは球際で引かず、左SBで先発したジェド・スペンスはリオネル・メッシに食らいついた。ジュード・ベリンガムも重圧を受けながら前へボールを運ぶ。決定機の少ない前半だったが、イングランドは互角以上に戦えていた。
先制点には、トゥヘル監督が進めてきたチームの形が表われていた。
ハリー・ケインが低い位置で攻撃に関わり、ロングパスを出す。デクラン・ライスを経由し、モーガン・ロジャーズが鋭いクロスを送り、ファーポストへ走り込んだゴードンが仕留めた。各選手が連鎖したゴールだった。
トゥヘル監督が期待を抱かせた理由の1つは、名前の大きさだけで招集選手を選ばなかったことにある。フィル・フォーデンやコール・パーマーら、中央で違いを作る「10番タイプ」を何人も同居させるのではなく、あくまでもケインとベリンガムを中心に据え、その周囲に幅、走力、守備強度を加えた。
ゴードンやアンダーソンらは試合を重ねるごとに存在感を増し、チームに必要な機能を担うようになった。試合内容が常に良かったわけではないが、クロアチア戦の後半やメキシコ戦の前半には、連動したプレスと縦への推進力があった。
何より、トゥヘル体制には「次の一手が試合を変えるかもしれない」という期待感があった。
ガレス・サウスゲイト前監督の時代は、流れが相手へ傾いても対応が遅れ、交代で試合を動かせないもどかしさがあった。対してトゥヘル監督は今大会、相手と展開に応じて積極的に手を打った。メキシコ戦では退場者が出た後に守備を再編し、リードを守り切った。選手を名前ではなく役割で選ぶ姿勢とともに、その決断力が新しいイングランドへの期待を生んだ。アルゼンチン戦の55分までは、その判断も選考も機能していた。
しかも先制したことで、試合はさらにイングランドに有利になるはずだった。ベテランの多いアルゼンチンは前へ出ざるを得ない。最終ラインの背後には、ゴードンらのスピードで突ける空間が広がる。『ジ・アスレティック』が記した通り、試合は「イングランドが望んでいた流れ」にあった。
ところがトゥヘルは2点目を狙うより、1点を守る方へ大きく舵を切った。
72分、得点者ゴードンを下げてセンターバックのエズリ・コンサを投入。5バックに移行し、その後もダン・バーン、ニコ・オライリーらの守備的な選手を加えた。
判断に戦術的な根拠がなかったわけではない。アルゼンチンは幅を広げ、クロスを増やした。リース・ジェームズとライスには故障や疲労の問題もあった。ペナルティエリア内の高さと人数を増やそうとした意図は理解できる。
だが、局地的な問題を解決しようとして、チームのバランスを大きく崩した。
ゴードンが退くと、アルゼンチンの最終ラインを後方へ走らせる選手がいなくなった。ボールを奪っても前方に出口がない。クリアはすぐに回収され、メッシやエンソ・フェルナンデスがボックス周辺で自由にプレーする時間が増えた。
交代策が変えたのは、陣形だけではない。選手の心理にも「もう1点を取る」のではなく、「ここから耐える」というメッセージになった。
いずれも元イングランド代表のウェイン・ルーニーは「これではパニックになる」と評した。ジョー・ハートも、あれほど早く守備を固めたことに「トゥヘルが自分のチームにはアルゼンチンをさらに傷つける力がないと判断した」と指摘した。
12%という数字は、アルゼンチンの支配力を示すだけではなく、イングランドが、自ら攻撃の可能性を取り除いた記録でもあったように思う。
トゥヘル監督は試合後、5バックという陣形自体が問題だったとは認めなかった。
「4-4-2でも、5-3-2でも、5-4-1でも、私たちは十分に能動的ではなかった。ボールを持つ選手に近づけず、クロスへの対応にも苦しんだ」
さらに、ボールを保持して圧力から逃れられなかったことを「ゆっくり死んでいくようなものだった」と表現した。
彼の分析は、ピッチ上で起きた現象としては正しいだろう。イングランドは寄せられず、2列目から走り込む選手を捕まえられず、奪ったボールも落ち着かせられなかった。
しかし、選手が受け身になったのなら、その受け身を助長する人選と配置を選んだのも監督だった。元フランス代表主将のパトリック・ヴィエラは、感情的に責めるのではなく、静かに結論を示した。
「私はトーマス・トゥヘルのファンだが、今回、彼は判断を誤った。もう一度、試合をするなら、同じ変更はしないだろう」
試合後、アルゼンチンのラウタロもこう証言した。
「イングランドが下がったことで、より落ち着いてボールを回し、幅を使えるようになった」
トゥヘル監督の変更によって何が起きたのかを、相手側から最も端的に説明する言葉だった。
試合後、BBCのインタビューに応じたトゥヘル監督は、何度も視線を落とし、質問者と目を合わせる時間が極めて短かった。時折、右手で左腕に触れながら、言葉を選ぶ。仕草から心理を断定することはできないが、少なくとも、普段の確信に満ちた姿とは違っていた。自らの判断の重さを持て余しているように映った。
今回の敗戦を受け、英国では、サウスゲイト時代と同じ結末だという論調も広がった。
18年W杯のクロアチアとの準決勝でも1-2の逆転負け。EURO2020のイタリアとの決勝戦でも、先制しながら追いつかれ、PK戦で敗退した。『タイムズ』はロックバンド、ザ・フーの歌詞を借り「新しいボスに会った。前のボスと同じだった」と記した。
ただ結末が似ていても、そこへ至るプロセスは同じではない。
サウスゲイト前監督は悪化した流れに対して動けないことが多かった。トゥヘル監督は今大会、交代で試合を動かしてきた。今回のアルゼンチン戦は、動かなかったのではない。動いて、誤ったのである。
元イングランド代表DFのジェイミー・キャラガーは、「ペップ・グアルディオラでさえ、マンチェスター・シティを欧州王者へ導くまで、大一番での采配を何度も批判された」と書いた。世界的な名将だからといって、すべての重大な判断で正解を常に選べるわけではない。
それでも勝負の世界では、一度の誤りが、それまでの仕事を覆い隠す。今回、イングランドがトゥヘル監督の判断ミスによって敗れたことは否定できない。
イングランドは変わっていなかったのではない。変わりつつあった。ベリンガムを中心に役割が整理され、ゴードンやアンダーソンらが大会の中で成長した。その成果は先制点まで確かに表われていた。
だからこそ、この敗戦は惜しいのである。
文●田嶋コウスケ
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